005 一撃の乙女
ハパロがレイピアを天に掲げると、空気を震わせて瞬時に数百もの魔法陣が彼の背後に幾何学的な模様を描いて展開された。
「行けッ!」
振り下ろされた剣先に導かれ、十数本の光の剣が流星群のように射出される。それらは意思を持っているかのように複雑な軌道を描き、機竜カルコサの巨体を嵐のように滅多斬りにし始めた。
「アラティナ、右翼へ回れ! 私が左を抑える。ヘテラはハパロ隊長の死角を援護しろ!」
「了解ッス!」
「任せておけ、副隊長」
副隊長ディアデマの的確な指示のもと、次世代のエースであるアラティナが炎の槍を乱れ打ち、頭脳派のヘテラクティスが精密な重力魔法でカルコサの動きを鈍らせる。一糸乱れぬテネブレの洗練された連携。先ほどまで手も足も出なかった災害級のモンスターを相手に、圧倒的な手数の暴力で制圧していく光景に、アウラ・コピアの面々はただ言葉を失うしかなかった。
だが、その戦場を最後方で俯瞰しながら次の一歩を踏み出そうとしていたディアデマの顔色だけが、サッと青ざめた。
「……駄目です、隊長! 連撃を止めてください!」
「あ? 何を言って――」
ハパロが苛立たしげに眉をひそめた、その瞬間。
「――ギィィィィィィィッ!!」
カルコサが不快な金属音のような咆哮を上げた。同時に、竜の全身を覆う結晶の鱗が、不気味な音を立てて生き物のように波打ったのだ。
光の剣が何度突き刺さっても、結晶は瞬時にその魔法波長と手数のリズムを学習し、細胞レベルで最適化していく。そして、完全に魔法への耐性を持った『鏡面』へと装甲の性質を変化させた。
――Aランク【カルコサ】の真の恐ろしさ。反応装甲が発動したのだ。
ガィィィンッ!!
ハパロが追撃として放った光の刃が、硬化した鏡面装甲に激突し、鋭い火花を散らして明後日の方向へと跳ね返った。反射した光の刃が地面を深く抉り、ハパロの頬を掠める。
「な、なんだと!? 俺の剣が通じないだと!?」
ハパロの顔に、初めて明らかな焦りが浮かんだ。
「奴は手数に反応して装甲を最適化します! このままむやみに手数を増やせば、全て反射されて全滅します……っ!」
ディアデマの悲痛な警告が、平原の風に空しく響き渡った。
「黙れ! 俺の魔法が通じないはずがない! 処理速度を上げる! 俺の剣技で、装甲が完全に硬化する前に千に切り刻んでやるッ!」
激昂したハパロは、ディアデマの制止を振り切り、愛剣であるレイピアに己の限界を超える莫大な魔力を叩き込んだ。
――しかし、それが致命的な一線だった。
専属の天才アーキテクトを失い、王都の素人技師によって無理やりバイパスを繋がれただけの未更新のチップ。排熱のルートはとうに詰まり、演算のキャッシュが限界まで溜まりきっていた極小の魔導回路に、ハパロの暴走した魔力が許容量の数倍もの負荷を掛けた結果。
ビィィィィーッ!!
という耳をつんざくような不快なエラー音と共に、レイピアの刀身に精緻に刻まれていた魔導回路が、一瞬にして真っ黒に焦げ付いた。
「……え?」
空中で旋回していた十数本の光の剣が、まるで電源を落とされたかのように一斉にブラックアウトして墜落する。同時に、ハパロの身体を空中に留めていた浮遊の魔法陣も、ガラスが割れるように霧散した。
――完全なる魔力熱暴走。
「う、うわぁぁぁぁっ!?」
数十メートルの上空から、ハパロは無様に地面へと叩きつけられた。純白のコートは泥に汚れ、手にはただの黒焦げた鉄の棒と化したレイピアが握られている。
肺の空気を吐き出し、咳き込みながら顔を上げた彼の前には、レイピアという牙を失った丸腰の餌を、氷のように冷酷な虹色の瞳で見下ろす機竜カルコサの姿があった。
すでに装甲を限界まで硬化させた機竜が、獲物を粉砕すべく、容赦なく巨大な爪を高く振り上げる。
側面で展開していたヘテラクティスもアラティナも、距離が遠すぎて助けに入れない。魔法による援護も、鏡面装甲の前に弾かれるだけだ。
(死ぬ……俺は、ここで……っ!?)
最強の天才を自負していたハパロが、死の恐怖に顔を歪め、絶望に目を瞑った、その刹那。
――ズドォォォォォォォォンッ!!
大地そのものを砕くような、凄まじい質量の着地音が平原に響き渡った。
突風が吹き荒れ、舞い上がった土煙の中で、ハパロと機竜の間に巨大な黒い影が立ち塞がる。
カルコサが振り下ろした、家屋すら容易く押し潰すであろう巨大な爪。それを、その影が持つ無骨で巨大な鉄の塊が、一歩も退かずにがっちりと受け止めていたのだ。
「な……」
ハパロが信じられない思いで目を開けると、そこには、見知らぬ女剣士の背中があった。
艶やかな黒髪をポニーテールに結んだ、装飾の少ない革鎧姿の女。その華奢な身体には全く似つかわしくない、身の丈ほどもある巨大な鉄塊を構えている。
「誰だ、お前は……この街のハンターか!? 馬鹿野郎、逃げろ! そんなただの鉄くずで、カルコサの装甲が貫けるわけねぇだろ!!」
自分を助けた相手への感謝よりも先に、見知らぬ田舎のハンターに対する焦燥とプライドから、ハパロは悲鳴のように喚き散らした。
しかし、その女剣士――ルキオラは、ハパロに一瞥もくれなかった。彼女の冷たく透き通るような黄金色の瞳は、ただ真っ直ぐに、眼前の強大な竜だけを睨み据えている。
そして、彼女の手にある巨大なバスターソードが、まるで内側から脈打つように、チリチリと不穏な熱を帯び始めていた。
その後方で、ディアデマはハッと息を呑み、釘付けになっていた。
(あの無骨な形……違う。ただの鉄塊じゃない。内側に、信じられないほど緻密で、そして強固な魔力流動を感じる……!)
ディアデマの優れた魔力感知能力が、大剣の真の恐ろしさを捉えていた。
(所有者の莫大な魔力を限界まで受け入れ、極限の『熱制御』のみに特化させた、狂気的なまでの回路設計。あんな異常なアーキテクチャを寸分の狂いもなく組み上げられる人間は、世界にただ一人しかいない。間違いない、あれは――)
ディアデマの背筋に、戦慄にも似た確信が走った。
「……行きます」
ルキオラが静かに呟き、巨大なバスターソードの柄を両手で強く握りしめる。
これまで己の内に封じ込めてきた、ダムが決壊するような規格外の高電圧魔力が、彼女の全身の回路を駆け巡る。そして、柄を通じて大剣の極太の魔導回路へと、濁流のごとく一気に注ぎ込まれた。
チリチリと、周囲の空気が高密度の魔力に耐えきれずに歪み、微かな紫電がルキオラの足元を走る。
「――排熱バイパス、全開放」
ルキオラが柄のトリガーを引き絞る。
ガコンッ!!
重厚な機械音が鳴り響き、大剣に仕込まれた分厚い排熱装甲のロック機構が一斉に外れた。
刀身に刻まれた幾多のスリットから、鼓膜を物理的に叩き割るような轟音と共に、超高温の蒸気が猛烈な勢いで全方位へ吹き出した。
吹き出した熱波に触れただけで、周囲数メートルの牧草が瞬時に水分を奪われて炭化し、黒い灰となって散っていく。
巨大な漆黒の鉄塊であった大剣は、内部に流れる極大のエネルギーによって内側から赤熱し、紅の光を放ち始めた。
「な、なんだあの莫大な熱量は……!?」
「馬鹿な! あんなふざけた魔力を流せば、どんな高価な回路だろうがコンマ一秒で焼き切れて自壊するはずだぞ!?」
後方にいたヘテラクティスとアラティナが、自分たちの常識を完全に破壊する狂気的なまでの排熱効率を目の当たりにし、眼球が飛び出そうなほど目を剥いて叫んだ。
彼らエリートの常識では、あの大剣はすでにドロドロに溶けていなければならないのだ。
「どこぞの強いハンター殿、危ないので下がってください」
ルキオラが、背後で腰を抜かしているハパロへ向けて、氷のように冷たく言い放つ。
機竜カルコサの絶対防壁『リアクティブ・アーマー』は、無数の魔法や連撃といった分散処理には無類の強さを誇る。だからこそ、テネブレの洗練された連携すら傷一つ付けられなかった。
だが、今のルキオラが放とうとしている一撃は、小手先の剣技でも魔法でもない。カルコサの装甲が処理できるキャパシティの数十倍という桁違いのエネルギーを、一切のラグもなく、ただ『一点』に叩き込む純粋な暴力だった。
「ギャァァァァァァァァッ!!」
野生の勘か、それとも生物としての本能か。カルコサが、眼前の小さな人間から放たれる死の気配に戦慄し、迎撃のために巨大な顎を広げた。
しかし、遅い。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ルキオラが、赤熱し白煙を吹き出すバスターソードを大きく上段に構え、大地の泥を蹴り飛ばして踏み込んだ。
極大の物理的質量と、ヒバリの設計によって完全に熱エネルギーへと変換された破壊の権化が、機竜カルコサの脳天から真っ直ぐに振り下ろされる。
激突の瞬間、世界がスローモーションに陥ったかのように、音すらも遅れて響いた。
鏡面硬化していたカルコサの絶対防壁が、バスターソードの刃に触れた一点からメシミキと嫌な音を立てて亀裂を走らせる。硬化して反射する暇など、コンマ一秒すら与えられなかった。
強固なプリズムの装甲は、まるで薄い飴細工やガラスのように呆気なく粉砕され、虹色の破片が空中に舞い散る。
――ズドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
遅れて、空気が爆発したような究極の轟音が平原を揺るがした。
光と熱の嵐が吹き荒れ、視界が真っ白に染まる。
バスターソードの圧倒的な質量と、注ぎ込まれた破壊の熱量が、巨体を誇る機竜カルコサの頭部から尾の先までを、文字通り真っ二つに両断し、完全に叩き割ったのだ。
ズズゥン……という重い地響きと共に、両断されたカルコサの巨大な亡骸が左右に崩れ落ちる。
ルキオラが剣を振り抜いたその後方の平原は、数十メートルにわたって大地が赤熱し、溶岩のようにドロドロに溶け、ガラス化して異様な輝きを放っていた。
「…………え、あ……?」
ハパロは、泥だらけの地面に腰を抜かしたまま、口を金魚のようにパクパクとさせていた。
彼の瞳は、限界まで見開かれたまま硬直している。
ヘテラクティスの眼鏡は無様にズレ落ちて鼻にかかり、アラティナは震える手から自慢の武器を取り落とし、乾いた音を立てた。
テネブレの面々は、誰一人として声を発することができなかった。ただ唖然とし、自分たちの信じてきた強さの常識が跡形もなく消し飛んだ事実に、慄然と震えることしかできない。
自分たちトップエリートが束になっても、傷一つ、鱗一枚すら剥がせなかったAランクモンスターを。
名も知らぬ田舎の女剣士が。
たった一振りの、純粋で暴力的な一撃だけで粉砕してしまったのだ。
シューシューと、まだ超高温の白煙を吹き出し続けるバスターソード。
機竜の返り血すら刀身の熱でジュワッと蒸発させながら、ルキオラが静かに剣を下ろす。
(やはり……ヒバリだ。あんな常軌を逸した剣を、熱暴走させることなく制御しきる天才は、世界に彼しかいない)
ディアデマは、額から冷たい汗を流しながら、圧倒的な恐怖と、そしてそれ以上の畏敬の念を抱いて、白煙の中に立つ戦乙女の姿をただ見つめることしかできなかった。
◆◆◆
そこから数キロ離れた、ファウンテンの強固な防壁の上。
空を焦がすような凄まじい熱波と突風が、遅れて街の防壁へと到達し、ヒバリのボサボサの黒髪を激しく揺らした。
カチッ、と音を立てて、ヒバリは顔の半分を覆うような分厚い魔力観測用のゴーグルを外した。レンズの奥で高速でスクロールしていた膨大な魔力波長のデータが、ゆっくりと収束していく。
ヒバリの視線の先には、平原の地形を変えるほどの一撃の痕跡と、天を貫くように立ち昇る巨大な白煙があった。
「ふむ……。やはり、ヒートシンクの第七層に少し熱が偏っているな。回路の融解ギリギリの温度だ。ルキオラさんの出力にはまだ余裕があるというのに、これじゃあ『器』の方が先に悲鳴を上げてしまう。次は放熱板の素材を純度九〇%のミスリル合金に変えて、冷却液の循環ルートをさらに並列化して最適化してみるか」
手元の羊皮紙に凄まじい速度で数式や図面を書き殴りながら、ブツブツとオタク特有の早口で反省点を口にするヒバリ。だが、その口元は抑えきれない歓喜の笑みで深く歪んでいた。
無理もない。自身が心血を注いで設計した最高傑作が、Aランクモンスターの絶対防御を粉砕するという、理論値を超える圧倒的なパフォーマンスを発揮したのだ。
そして何より、無能扱いされ、誰にも理解されずに孤独だった彼女が、自身の呪いのような力を一切ためらうことなく解放し、エリートどもの度肝を完全に抜いたこと。
その事実が、たまらなく嬉しかった。
「……完璧でした。よくやりましたよ、ルキオラさん」
世界最高のアーキテクトは、自身を理不尽に追放したソラリスへのこれ以上ない最高の返答に満足げに頷いた。
この温かくのどかな街で、彼女と、ギルドの仲間たちと共に、これからも最高のモノづくりをしていける。そう信じて疑わないヒバリは、新しい改良案のインスピレーションに胸を躍らせながら、鼻歌交じりに『アウラ・コピア』の工房へと歩き出した。




