004 襲来の結晶殻機竜
王都ソラリスのテネブレ部隊専用の待機室では、怒号が響き渡っていた。
「ふざけるな! なぜ俺の魔力を流すとノイズが走る!? これじゃあ魔法陣の展開速度がコンマ二秒も遅れるだろうが!」
「ひぃっ、も、申し訳ありません! ですが、ヒバリ殿の残したソースコードが複雑怪奇すぎて、我々では完全に解読できず……とりあえず動くようにバイパスを繋いだだけでして……」
新しい主席技師が、顔を真っ青にして平伏している。
ハパロは苛立ちに任せて魔導細剣を机に叩きつけようとしたが、すんでのところで思いとどまった。ヒバリがいなくなった今、この剣が壊れれば取り返しがつかないと、心のどこかで理解し始めていたからだ。
「もういい、失せろ無能が!」
技師が逃げるように部屋を出ていくのと入れ替わりで、副隊長のディアデマが静かに入室してきた。
彼女は床に散乱した回路図を一瞥し、冷ややかな視線をハパロに向けた。
「……隊長。やはり、ヒバリの不在は部隊にとって致命的です。今からでも彼を捜索し、頭を下げてでも連れ戻すべきではありませんか」
「馬鹿を言え。あんな機械オタクに俺が頭を下げるだと? あり得ん」
「ですが、あなたの剣は明らかに不調だ。それに――最近のあなたは様子がおかしい」
ディアデマの鋭い指摘に、ハパロの肩が微かにビクッと跳ねた。
「以前のあなたなら、剣の不調など『俺の力でカバーしてやる』と笑い飛ばしていたはず。何をそんなに焦っているのですか?」
「黙れッ!!」
ハパロの激しい怒声が待機室の空気を震わせた。
ディアデマが僅かに目を見張る。ハパロは荒い息を吐きながら、自身の金糸の髪を苛立たしげに掻きむしった。
(……俺は天才だ。最強であり続けなければならない。最強の駒として価値を示し続けなければ……姉上の、薬が……っ)
脳裏に過る、病床の姉の青白い顔と、ガスト副長の不気味な薄ら笑い。
ヒバリを追い出したのは上層部の意向だ。――ハパロはそれに逆らえなかった。自分は最強の剣士などではない、ただの操り人形なのだという重圧と自己嫌悪が、彼を内側から蝕んでいた。
「……俺は、最強だ。誰の力も借りん。俺の天賦の才があれば、剣の不調など誤差に過ぎない」
自分に言い聞かせるように呟いた、その時だった。
待機室の通信機が、甲高い緊急警報を鳴らした。
『ゼニス本部より緊急指令! 王都北方の山岳地帯より、Aランク指定モンスター結晶殻機竜、固有名【カルコサ】が飛来! 進路から推測するに目的地は辺境の水郷都市ファウンテン! テネブレ部隊は直ちに出撃し、これを討伐せよ!』
「ファウンテン……? あの田舎町ですか? なぜAランクの、しかもネームドがそんな何もない辺境に……」
ディアデマが訝しげに眉をひそめる。
だが、ハパロはその報告を聞いて、酷く歪んだ、狂気じみた笑みを浮かべた。
「はは……いいじゃないか。絶好の機会だ」
ハパロはレイピアを腰に下げ、血走った目でディアデマを見た。
「かの凶悪なカルコサを俺が一人で斬り捨てれば、上層部も俺の力を再認識する。どこだろうと関係ない、これは俺が最強であることを証明するための最高の舞台だ! 総員、飛空艇に乗れ! 出撃するぞ!」
狂騒に取り憑かれたように部屋を出ていくハパロの背中を、ディアデマは深い憂いを帯びた瞳で見送ることしかできなかった。
彼女の胸の奥で、かつてないほどの不吉な警鐘が鳴り響いていた。
◆◆◆
その日の午後、のどかな水郷都市ファウンテンは、いつものように穏やかな空気に包まれていた。
街中に張り巡らされた水路からは澄んだせせらぎが聞こえ、ギルド『アウラ・コピア』の開け放たれた窓からは、初夏の心地よい風と木漏れ日が差し込んでいる。
ホールでは、ギルドマスターのディナステスがカウンターに肘をつき、昼間から豪快にエールを煽っていた。その近くの円卓では、若手のコキネラが農作業の合間に短剣の刃を呑気に研いでいる。誰もが、この平和で退屈な日常が明日も続くと信じて疑わなかった。
――その平穏は、突如として鳴り響いたけたたましい警告音によって無残に破られた。
ビィィィィンッ! ビィィィィンッ!
カウンターの奥、通信室に設置された魔導具が、赤い明滅と共に耳障りな音を立て始めたのだ。それは、世界中のギルドを統括する上位組織――中央評議会『ゼニス』本部からの緊急の通達を意味していた。
「マスター! ゼニス本部からの緊急警報です!」
奥の部屋から、受付嬢のアピスが血相を変えてホールへと飛び出してきた。彼女は通信機から出力された羊皮紙を握りしめているが、その手は恐怖で小刻みに震えている。
「王都方面より、Aランク指定モンスターがこちらへ向かって高速飛来中! 種族名『結晶殻機竜』……固有名は【カルコサ】!!」
「……は? Aランクの、固有名持ちだと!?」
ディナステスが、持っていた木製のジョッキを床に取り落とした。ガシャンという音と共に、琥珀色のエールが床に広がる。
「馬鹿な、なんでそんなバケモンが、こんな何もない田舎町に向かってくるんだ!」
ギルド内の空気が一瞬にして凍りついた。コキネラも短剣を取り落とし、顔を真っ青にして立ち上がる。
信じられない、誤報であってくれ。誰もがそう願った、まさにその時だった。
――グゥォォォォォォォォォォォッ!!
ギルドの開け放たれた窓の外から、空の青を押し潰すような重低音の咆哮と、鼓膜を劈く甲高い風切り音が響き渡った。
「……マスター、外、あれを……っ」
窓際に駆け寄ったコキネラが、震える指で上空を指差す。
窓から見える青空を、巨大な影が覆い尽くそうとしていた。太陽の光を虹色に乱反射させる、無数のプリズム結晶に覆われた美しくも禍々しい巨体。
神話から抜け出してきたかのような圧倒的な威圧感を放ちながら、破滅の竜が、街の郊外にある平原へとゆっくりと降下してくるのが見えた。
「総員武装しろ! 街の防壁を固めるんだ! 時間を稼げば、王都から追撃部隊が来るはずだ!」
ディナステスの怒号が響くや否や、アウラ・コピアのハンターたちは飲みかけのエールを放り出し、血相を変えて武器庫へ走った。
普段は害獣駆除や農作業の護衛が主である彼らにとって、Aランクモンスターなどおとぎ話の災厄に等しい。手にした槍や弓が、ガタガタと情けない音を立てて震えている。
彼らは一丸となって郊外の平原――街の防壁のすぐ外側へと陣形を敷いた。だが、彼らの中に『最強の切り札』の姿はなかった。ルキオラとヒバリは、完成したばかりのバスターソードの最終排熱チューニングを行うため、ギルドから数キロ離れた岩山に籠もっていたからだ。通信魔導具での呼び出しも届かない。この絶望的な戦力差において、彼女たちの出動が遅れることは致命的だった。
大地が、悲鳴を上げて激しく跳ねた。
街の防壁からわずか数百メートルの距離に、機竜カルコサが巨大な四肢を沈み込ませて着地したのだ。その凄まじい質量により、青々とした牧草地がクレーターのように抉れ、土煙が数百メートルの高さまで舞い上がる。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
カルコサが天を仰ぎ、大気を震わせる咆哮を上げた。同時に、太く長い尾が無造作に振り回される。
それだけで、局地的な暴風が巻き起こった。平原に点在していた樹齢百年の大木が、まるで小枝のようにへし折られ、根こそぎ宙を舞う。
「ひぃっ……!」
「うおおおおっ、退くな! 街には家族がいるんだぞ!!」
恐怖で後ずさりそうになる若手たちを鼓舞し、ディナステスが自身の背丈ほどもある重装盾を地面に突き立てた。
カルコサの虹色の瞳が、虫ケラを見るような冷たさで彼らを捉える。次の瞬間、巨大な前足がディナステスたちを粉砕すべく、無造作に振り下ろされた。
「ぬうぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
ディナステスが全身の筋肉を限界まで軋ませ、魔力を込めた盾でその一撃を受け止める。
ガァンッ!! という金属の悲鳴と共に、ディナステスの巨体が両足で地面に深い溝を刻みながら、数十メートルも後方へと押し込まれた。口から鮮血が飛び散り、膝から崩れ落ちそうになるのを気力だけで堪える。
「マスター!! くそっ、この野郎!!」
側面から、若手のコキネラが風の魔力を纏わせた双剣で切り込み、ベテランのドルクスが強化された徹甲矢を雨のように射掛ける。
だが、絶望的な光景が広がった。カルコサの全身を覆う美しい結晶装甲は、傷一つ付かないどころか、着弾した瞬間にプリズムのように光を乱反射させ、コキネラたちの攻撃を四方八方へと弾き返したのだ。
反射された風の刃が地面を深く抉り、徹甲矢が虚しく弾け飛ぶ。
「駄目だ、俺たちの攻撃じゃ全く歯が立たねぇ……! 傷一つ付かないぞ!」
「マスター、避けろッ!!」
コキネラの絶叫が響く。
カルコサが、鬱陶しそうに巨口を開いていた。その喉の奥で、周囲の空間が歪むほどの超高密度の魔力が、虹色の光となって急速に収束していく。チリチリとした肌を焼くような熱気が、数百メートル離れたハンターたちにまで到達した。
――極大魔力ブレス。
あんなものが直撃すれば、ディナステスどころか、背後にある街の防壁ごとファウンテンの半分が消し飛ぶ。
(……すまねぇ、みんな)
己の無力さを呪い、死を覚悟したディナステスが強く目を瞑った、その瞬間。
「――降り注げ、千の光芒」
空から、冷徹で傲慢な声が響き渡った。
直後、空中に無数に展開された魔法陣から射出された光の刃が、凄まじい速度でカルコサの死角に回り込み、開かれた下顎を下からすくい上げるように強烈に突き上げた。
ズガァァァァンッ!! という爆発音と共に、カルコサの巨頭が強引に跳ね上げられ、放たれた虹色のブレスはディナステスたちの頭上を通り越し、遥か上空の雲を一直線に消し飛ばしていった。
「……な、なんだ!?」
死を覚悟していたディナステスが目を開けると、土煙の舞う平原に、一人の男が優雅に舞い降りてくるところだった。
王都ソラリスの豪奢な紋章が金糸で刺繍された、汚れ一つない純白のコート。その後方から、凛とした冷気を纏う高身長の女性、眼鏡の男、生意気そうな顔つきの若者など、洗練された装備に身を包む面々が次々と風を操って着地する。
「あの紋章……まさか、『テネブレ』か!?」
通信の映像でしか見たことのない、雲の上の存在。それがなぜこんな辺境に。コキネラたちが呆然と呟く中、部隊の先頭に立つ最年少隊長――ハパロクラエナが、酷く傲慢に鼻を鳴らした。
「田舎の三流ハンターども、そこをどきな、主役の登場だ」
「王都のトップ部隊が……! た、助けに来てくれたのか!?」
ディナステスが希望に声を震わせるが、ハパロは虫ケラでも見るような冷ややかな一瞥を寄越すだけだった。
「勘違いするなよ。お前らのような田舎者を助ける義理などない。俺たちは、王都の脅威となる獲物を狩りに来ただけだ」
言い捨てると同時に、ハパロは腰に提げた愛用の魔導細剣を抜き放った。ヒバリという天才が、彼の天賦の才を極限まで引き出すために心血を注いで組み上げた、世界に一本しかない最高峰の武器だ。
「さあ、見せてやる。俺の圧倒的な力をな!」




