056 死地へ突撃
壁面に展開されたムルキベル秘密工場の立体マップデータを見上げながら、ハパロクラエナは自身の腰元へと無意識に手を伸ばし、そして短く舌打ちを漏らした。
彼の腰に提げられているのは、柄の部分だけが無残に残された、かつての愛剣『カランサルティア』の残骸であった。
Sランクモンスター『深き者』との死闘において、空間を消滅させる闇の結界に触れ、その美しい刀身は永遠の虚無へと飲み込まれてしまったのだ。
「……すまない、ヒバリ。威勢よく啖呵を切った手前で情けない話だが、俺には今、奴らを斬るための『牙』がない」
ハパロの苦渋に満ちた告白に、ミサゴが呆れたような視線を向ける。
「ちょっと、あんた剣士でしょ? 丸腰で敵の本拠地に乗り込むつもりだったわけ?」
「……急造の鉄剣でもあれば、俺の光の魔力で強引に補強して戦うことはできる。だが、ダイダロスの最高戦力を相手にするには、数合打ち合っただけで刀身が自壊するだろうな」
自身の戦力低下を極めて冷静に分析するハパロに対し、ヒバリは無言のまま、地下室の隅に設置されていたミサゴの機材――特殊な合金の削り出しに用いる多腕型の工作機械の前へと歩み寄った。
「ミサゴちゃん。君のところの3Dファブリケーターと、予備の魔導金属素材を少し借りるよ」
「え? あ、うん、構わないけど……」
ヒバリは左手首のインプラントを工作機械に直接接続し、自身の脳内にあるアーキテクチャの設計図を猛烈な速度で転送し始めた。
機械のアームが火花を散らしながら、分厚い魔導金属の塊を無慈悲に削り出していく。さらにヒバリは自身の装甲を形成するための『ナノ・ルーン』の一部を抽出し、削り出された刀身の芯へと直接流し込んだ。
数分後。
冷却ガスが白く立ち昇る中、ヒバリが工作機械から引き抜いたのは、かつて彼がハパロのために心血を注いで設計した芸術品のようなレイピアとは全く対極にある、ひどく無骨で、暴力的な形をした『漆黒の直剣』だった。
刃の厚みは不均一で、表面には排熱用の太いパイプが剥き出しのまま這い回っている。鍔元には剥き出しの小型魔力炉が備え付けられ、そこから漏れ出す不安定な魔力が、刀身をチリチリと赤黒く発光させていた。
「ヒバリ、これは……」
ヒバリからその剣を受け取った瞬間、ハパロは手のひらを焼くような異常な魔力の暴走を感じ取り、眉をひそめた。
「かつてのカランサルティアのように、君の魔力を美しく制御し、脳の負担を肩代わりするような機能は一切搭載していない」
ヒバリの声音は、極寒の地底湖のように冷たく、重かった。
「魔力暴走を防ぐリミッターも、安全マージンも全て削り落とし、純粋な『破壊力への変換効率』のみに全数値を極振りした。君が光の魔力を注ぎ込めば、限界の百二十パーセントの出力を強引に引き出せる。……だが、その負荷は全て君自身の肉体と神経に跳ね返るし、剣の耐久力も持たない。今夜一晩、敵の中枢で暴れ回り、最後には完全に焼き切れて粉砕するための……ただの『使い捨ての殺戮兵器』だ」
芸術としての美しさを完全に放棄し、ただダイダロスを殺すためだけに急造された復讐の刃。
ハパロはその漆黒の直剣の柄を強く握り込み、刀身から伝わる狂気的な熱量を受け入れた。
「上等だ。俺とこいつの命、どちらが先に燃え尽きるか……面白い賭けじゃないか」
ハパロの瞳に、死兵としての獰猛な笑みが浮かぶ。
その光景を見ていたミサゴは、小さくため息をつきながら、キャスターチェアを回転させてコンソールへと向き直った。
「武器の調達が済んだなら、突入の算段よ。……私が外部の通信をパッシブ監視している限り、あの工場の正面ゲートは分厚い鋼鉄の扉で完全に封鎖されている。それに、周囲には対空用の高出力魔力防壁がドーム状に展開されていて、上空からの侵入も不可能よ」
ミサゴがモニターに展開した防衛網のデータは、まさに難攻不落の要塞そのものであった。
「防壁の解除コードは、内部のメインフレームからしか操作できない。つまり、物理的に中へ入るための『隙』が存在しないのよ」
「なら、その隙を強引にこじ開けるまでだ」
ヒバリは即座に言い放ち、自身のインプラントから外部で待機しているサイボーグ飛竜・トドロキへと通信を繋いだ。
「ミサゴちゃん。君のハッキング能力で、工場の対空防壁の周波数を、ほんの『一秒間』だけ遅延させることは可能かい? 完全に解除しなくていい。防壁のエネルギー展開のタイミングに、ほんの僅かなラグを発生させるだけでいいんだ」
その意図を瞬時に理解したミサゴの顔に、不敵なハッカーとしての笑みが戻る。
「……私の腕を舐めないでよね。オフラインのここから、あらかじめ仕込んでおいた遅延ウイルスを一回だけ射出する。成功すれば、防壁の極座標の一点のみ、一秒間だけ防御力が著しく低下するはずよ」
「十分だ。……ハパロ、空から行くぞ」
ヒバリが宣言すると同時、トドロキのナビゲーションシステムに突入の座標が共有される。
逃亡者たちの反撃の狼煙が、ついに鋼鉄の都市の空へと打ち上がろうとしていた。
◆◆◆
ムルキベル秘密工場の巨大な正面ゲート前。
ゼニス特任監察官マガンが、あえて自身の身分を晒して警備兵を挑発してから数十分が経過していた。
鉄骨の陰に身を潜めるマガンとコルリは、工場側にいかなる変化が起きるのか、息を殺して監視を続けていた。
「……おかしいですね」
マガンが紫色の冷たい瞳を細め、静かに呟いた。
「私が接触してからというもの、ゲートの警備兵の数が増えるわけでもなく、責任者が現れるわけでもない。彼らはただ、極度に警戒度を高めたまま配置につき続けている。……まるで、我々以外の『より巨大な脅威』が襲撃してくるのを、すでに察知して待ち構えているかのような動きだ」
マガンのその鋭い推測は、数秒後、工場の防衛網が取った不可解な行動によって完全に証明されることとなる。
突然、ゲート前に立つ四名のサイボーグ兵と、二機の重装甲警備メックの銃身が、地上に潜むマガンたちの方角から逸れ、一斉に『雨雲の垂れ込める上空』へと向けられたのだ。
監視塔に配備された十数名の狙撃手たちの赤いレーザーサイトも、同じく空の一点へと集中していく。
「マガン、あれ……!」
コルリが驚愕の声を上げ、夜空を指差した。
分厚いの雲を完全に切り裂き、青白いプラズマの炎を引いて、凄まじい速度で急降下してくる『巨大な影』があった。
サイボーグ飛竜・トドロキ。
その背には、白亜の装甲『パラディウム』を纏ったヒバリと、漆黒の直剣を構えたハパロの姿がある。
工場を覆う対空防壁が、侵入者を消し炭にすべく最大出力で発光し始める。
トドロキは迎撃の雨を物ともせず、上顎の口腔内に極限まで圧縮したプラズマのブレスを収束させ、防壁の一点に向けて絶対的な破壊の光線を解き放った。
対空防壁とプラズマブレスが正面から激突し、空を焼き尽くすような強烈な閃光が夜空に炸裂する。本来であれば、工場の莫大な電力で維持される防壁を単機で破ることなど不可能であった。
だが、両者の力が拮抗したそのコンマ数秒の刹那。
地下の聖域からミサゴが放った遅延ウイルスが、防壁の制御システムに一瞬のノイズを走らせた。
防壁のエネルギー供給がほんの一瞬だけ途切れ、微かな綻びが生じた。
その針の穴のような隙間を、トドロキのプラズマブレスが完全に食い破り、防壁をすり鉢状に粉砕した。
砕け散る光の破片の雨の中、ヒバリとハパロはトドロキの背から跳躍し、工場の広大なメインプラントの敷地内へと、隕石のような速度で自由落下していく。
「……どうやら、今夜の招かれざる客は我々だけではなかったようですね」
上空での派手な強襲劇を見上げたマガンは、一切の動揺を見せることなく、自身の腰から銃型アーキテクチャを静かに引き抜いた。
「防衛の目が完全に上空へと向いている今が、唯一の好機です。突入しますよ、コルリ殿」
「ええっ!」
コルリは『雷纏』を起動し、マガンと共に鉄骨の陰から飛び出した。
工場の防衛システムが上空のヒバリたちへの迎撃に全処理能力を割いている死角を突き、マガンはゲートの基礎部分に向けて魔力封殺の重圧弾を撃ち込んだ。
大地の魔力が鋼鉄のゲートの根元を腐食させるように崩壊させ、強固な扉が自重に耐えきれずにひしゃげて倒壊する。
瓦礫の砂埃が舞う中、二人は警備兵の警戒網の完全なる裏をかき、堂々と工場の内部へと足を踏み入れた。
◆◆◆
工場の巨大なメインプラント、その中央に位置する広大なコンテナ搬入区画。
凄まじい衝撃音と共に、白亜の装甲パラディウムとハパロがコンクリートの床を粉砕して着地した。
土煙が晴れゆく中、二人が態勢を立て直し、周囲の索敵を行おうとしたその時だった。
ひしゃげた正面ゲートの方向から、静かな足音が二つ、彼らの元へと近づいてきた。
一人は、暗い紫のコートを纏った長身の男。もう一人は、黄金の雷光を微かに身に纏う女剣士。
「……ヒバリさん。それに、ハパロ……!」
雨と埃に塗れた空間で、コルリが驚きに目を見開き、かつての戦友たちの名を呼んだ。
雪山で意識を失う直前、自分を救ってくれた白亜の装甲の主。そして、王都で共に死線を越え、指名手配犯として世界から追われているはずの二人。
まさか、ダイダロスの闇の奥底で、このような形で再会を果たすことになるとは思ってもみなかった。
「コルリ……生きていたか。だが、なぜお前がここにいる。そっちの男は誰だ」
ハパロが漆黒の剣を下げたまま、警戒の眼差しをマガンへと向ける。
マガンはパラディウムとハパロを氷のような瞳で冷淡に値踏みし、恭しく一礼してみせた。
「ゼニス特任監察官のマガンと申します。彼女は現在、私の直属の部下として雇用中でありましてね。……お互い、この工場の不透明な運営実態に興味を惹かれて足を運んだ、といったところでしょうか」
敵か味方か。互いの真意を推し量るような、ヒリつくような沈黙が四人の間に落ちた。
その刹那。
彼らの上空で、工場の全区画に響き渡る無機質な電子アラートが鳴り響いた。
『――異常侵入者の施設内合流を確認。防衛プロトコルを最終段階へと移行します』
少年の声色をした、抑揚の全くない人工音声。
ミレポラの秘書であり、ダイダロスの情報網を完全に掌握する『オリンディアス』の声であった。
その宣告と同時、彼らが立っていた広大な搬入区画の四方の退路が、厚さ数十センチにも及ぶチタン合金の隔壁によって猛烈な速度で封鎖されていく。
さらに、上空の空が開いていた箇所も、幾重にも連なるドーム状の鋼鉄のシャッターがスライドして噛み合い、完全に閉ざされた。
雨の音も、街の排気音も完全に遮断される。
四人が閉じ込められたのは、一切の逃げ場が存在しない、完全なるキルゾーンであった。
「……罠か」
ハパロが奥歯を噛み締め、漆黒の剣を構え直す。
彼らがこの工場を突き止め、襲撃してくることなど、ダイダロスの中枢はとうの昔に完全に計算し尽くしていたのだ。あえて外周の防衛を突破させ、最も分厚い装甲で覆われたこの区画へと彼らを誘導し、まとめて皆殺しにするための盤上。
天井に設置された巨大な水銀灯が一斉に点灯し、無機質な闘技場を白々と照らし出す。
そして、前方の隔壁の一部が重々しい音を立てて上にスライドした。
暗闇の奥から、二つの影がゆっくりと歩み出てくる。
一人は、闇に溶け込むような黒のライダースーツを纏った女――カルキア。彼女の左腕の漆黒の義手から、空気を焼く不快な音と共に高周波ブレードが展開される。
そしてもう一人。
大地の底から響くような、異常なまでに重厚な足音を立てて進み出てきたのは、人間の規格を完全に逸脱した二メートル超えの巨漢であった。
右半身の丸太のような筋肉群と、左半身を覆う分厚いサイボーグ装甲。胸部にはめ込まれたクリアパーツの奥で、魔獣ゴリアテの心臓たる魔力炉が、炎と雷の凄まじい光を明滅させている。
ドフレイニアだ。
自我を完全に破壊された獣の琥珀色の義眼が、パラディウムを纏うヒバリと、その隣に立つハパロを冷徹にロックオンした。
その巨体から放たれる、息をするのすら困難になるほどの圧倒的な暴力の気配。それは、今まで彼らが対峙してきたSランクモンスターたちすらも凌駕する、真の『絶望』の顕現であった。
『――歓迎いたします。ミレポラ様の愛しき最高傑作、ならびに不要な廃棄物の皆様』
オリンディアスの冷徹な声が、スピーカーを通じて闘技場に響き渡る。
『これより、当施設の完全な清掃作業を開始します。……肉片一つ残さず、消滅していただきましょう』
巨大な隔壁に囲まれた密室で、逃げ場のない最悪の死闘の幕が、静かに、そして無慈悲に切って落とされた。




