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用済みだと追放された天才を怒らせてはいけない。彼は世界を壊す『技術』を持っているのだから/復讐のアーキテクト  作者: 赤腹井守
第五章 メメント・モリ

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052 封殺

 重層都市バビロンからゼニス本部へと続く、空を貫く長距離ハイウェイ。

 酸性雨を切り裂きながら、ゼニスの漆黒の護送車列が等間隔で疾走していた。

 中央の装甲車内。コルリとマガンの間で、ゼニスの法の枠外で動く『非公式の猟犬』としての密約が交わされた直後、異変は極めて静かに、そして唐突に訪れた。


 窓ガラスを打ち据えていた雨の軌跡が、不自然に空中で停止する。

 車内の空調が最高出力を維持しているにもかかわらず、コルリの呼気が真っ白に染まり、分厚い防弾ガラスの表面に瞬く間に氷の結晶が這い広がっていった。


「……敵襲ですか」


 マガンの極めて冷静な呟きと同時。

 車列の先頭を走っていた二両の重装甲車が、全くの無音のまま、内部の隊員ごと純白の氷像へと変貌した。そして次の瞬間、後続車両がブレーキを踏む猶予すら与えられず、凍結した装甲車は自らの重量と慣性に耐えきれず、細かな氷の破片となってハイウェイ上に無惨に砕け散った。


 急制動により、残された車列が完全に停止する。

 凍てついた空気と、砕け散った氷の残骸が散乱するハイウェイの先。

 酸性雨が雪へと変わる中、純白のロングコートを纏った男――ダイダロス幹部、グラウクスが、まるで深夜の散歩でも楽しむかのような悠然とした足取りで歩み出てきた。


「ゼニスも脆くなったものだな」


 グラウクスの冷酷な声が大気を震わせる。

 コルリは極度の疲労に軋む身体に鞭を打ち、大太刀『祢祢』の柄を握って立ち上がろうとした。しかし、マガンがその肩を静かに手で制した。


「あなたは休んでいてください、コルリ殿。これから私の手駒として働いていただく以上、雇用主としての『実力』を提示しておく義務がありますからね」


 マガンは装甲車の分厚い扉を開け、絶対零度の冷気が吹き荒れるハイウェイへと単身で降り立った。暗い紫色の重厚なコートが、凍てつく風に翻る。


「ゼニスの特任監察官、マガンと申します。貴方は……おや、まさか、グラウクス殿ですか? 元ノヴァの隊長ともあろうお方が、堂々と交通違反ですか?」


「随分と余裕だな」


 グラウクスの瞳がアイスブルーの冷光を放つ。

 彼がコートの裾を無造作に翻した瞬間、大気中の水分が瞬時に氷の刃へと変貌し、無数の氷槍となってマガンへと襲い掛かった。触れれば細胞レベルで凍結し、死に至る絶対零度の暴風。


 しかし、マガンの表情には微塵の焦りもなかった。

 彼はそのスリムな長身を極めて滑らかに、最小限の挙動で沈み込ませた。殺意の氷槍が彼の頬やコートの裾を掠めるが、直撃は一つとしてない。それは魔法による防御ではなく、純粋な身体能力と空間把握による、プロフェッショナルな近接回避技術であった。


「……避けるだけの猿か」


 グラウクスが嘲笑し、絶対零度の冷気をマガンの足元へと直接這わせようとした、その刹那。


 回避行動の最中、マガンの右手にいつの間にか無骨な『銃型アーキテクチャ』が握られていた。

 銃口がグラウクスへと向けられ、引き金が引かれる。

 撃ち出されたのは、物理的な弾丸ではない。高密度に圧縮された『土』の魔力弾。


 魔力弾はグラウクスの展開した氷の防壁に着弾した。

 その瞬間、防壁を物理的に破壊するのではなく、着弾点を中心として莫大な『重圧の網』がドーム状に展開された。大地の性質を帯びた魔力が、グラウクスの周囲の空間そのものを重力的な鎖で拘束し、彼の体内から放出されようとしていた絶対零度の魔力を強制的に地へと縛り付けたのだ。


「なっ……魔力が、重い……?」


 自身の魔法が完全に機能不全に陥り、グラウクスの顔に初めて驚愕の色が浮かぶ。


「私の魔法は、対象の魔力回路に直接干渉し、その流動を大地へ縫い付ける『魔力封殺』。……強力な異能に頼りきった術者ほど、魔力を封じられた際の隙は大きいものです」


 マガンの声は、すでにグラウクスの真横から発せられていた。

 魔力封殺の弾丸を放つと同時、マガンは人間の限界を超えた神速の踏み込みで、グラウクスの懐へと完全に肉薄していたのだ。

 氷の魔法を封じられ、無防備となったグラウクス。


 マガンは一切の感情を交えることなく、極めて冷徹な格闘術の軌道で、自身の右肘をグラウクスの左胸の肋骨へと正確に叩き込んだ。

 肉が潰れ、骨が強烈に軋む音。

 さらにマガンは体勢を崩したグラウクスの右腕の関節を逆手に取り、一切の容赦なく、最小の力で完璧にへし折った。


「ぐ、あああっ……!」


 グラウクスの口から、痛みに歪んだ苦悶の声が漏れる。絶対零度の恐怖を撒き散らしていたダイダロス幹部が、ただの暴力の前に無惨に屈した瞬間であった。


「先ほど車内でも申し上げましたが、私は対象の四肢を物理的にへし折る作業も得意としていましてね」


 マガンは折れた腕を拘束したまま、さらに追撃の銃口をグラウクスの頭部へと向けた。

 死の淵に立たされたグラウクスは、苦痛に顔を歪めながらも、折れていない左腕で強引に自身の魔力回路を暴走させ、マガンの『封殺』の網を一時的に食い破った。

 彼の足元から超低温の煙幕――ダイヤモンドダストの爆風が全方位へと噴出し、マガンの視界と拘束を強制的に引き剥がす。


 煙幕が晴れた後、ハイウェイには砕け散った氷の残骸と、グラウクスの流した微かな血痕だけが残されていた。

 腕を折られ、魔力を封じられるという未知の脅威を前に、グラウクスはコルリの奪取を諦め、屈辱的な撤退を選択したのである。


 マガンは深追いすることなく、銃型アーキテクチャをゆっくりとホルスターへと納めた。

 そして、装甲車の窓からその凄まじい攻防の一部始終を目撃していたコルリに向かって、いつもと変わらぬ達観した笑みを向けた。


「……少し、車列の片付けに時間がかかりそうですね。目的地への到着は、予定より遅れるかもしれません」


 ダイダロスの誇る最高位の幹部を、ただの力と戦術だけで容易く退けた男。

 ゼニスの特任監察官マガン。その底知れぬ実力と冷酷なまでの合理性は、コルリに「この男と共にいれば、ダイダロスの中枢へと確実に辿り着ける」という確信を抱かせるには、十分すぎるほどであった。


 マガンが装甲車へと戻り、コルリの対面のシートに腰を下ろす。


「さて。先ほどの話の続きですが、ダイダロスが新兵器の量産を行っていると思われる極秘の軍事工場……その位置はすでに、私の情報網で特定が済んでいます」


 マガンが端末を操作し、空間に一枚のホログラム地図を展開した。

 そこに示されていたのは、巨大な煙突群と無数のパイプラインが街を覆い尽くす、東の工業都市であった。


「『工業都市ムルキベル』。……あなたの最初の任務は、この都市の闇に潜むダイダロスの工場の破壊と調査です」


 ◆◆◆


 黄金都市オーラム。欲望と享楽の極彩色のネオンが、夜空の暗闇を焦がす不夜城。

 その喧騒から完全に隔離された、完全匿名性を売りとする高級ネットカフェのVIPルーム。

 分厚い防音扉の電子ロックが、物理的な破壊行為によらず、外部からの高度な干渉によって無音で解除された。


 闇に溶け込む黒のライダースーツ。紫がかった銀色のショートカット。暗殺者、カルキア。

 豹のようにしなやかな足取りで室内へ侵入した彼女の視線の先には、革張りのリクライニングチェアに深く腰掛け、フードを目深に被った人影があった。モニターの青白い光が、その背中を淡く照らし出している。


 カルキアは一切の予備動作なく、左腕の漆黒のハイテク義手から極薄の高周波ブレードを展開し、人影の頸椎めがけて水平に振り抜いた。

 空気を裂き、対象を断ち切る確かな抵抗。

 しかし、肉と骨を両断する感触は、そこに存在しなかった。


 首から上が切断され、床に転げ落ちたのは、精巧に配置されたダミーの防寒着と、人肌と同等の温度を発するように偽装設定された小型の熱源ヒーターだけであった。

 カルキアの冷徹な瞳が、微かに細められる。

 直後、切断された防寒着の下に隠されていた中継用サーバーのモニターが赤く発光し、機械的な電子音声が個室内に響き渡った。


『ご足労感謝するよ、パンドラの猟犬。……だが、私はそこにはいない』


 Mr.シンギュラリティが事前に仕掛けていた、時限式のデコイウイルスによる音声再生。

 それが終わると同時に、サーバーは内部の魔力炉を強制的に暴走させ、全てのアクセスログを道連れにして物理的に発火し、原型をとどめないほどに溶解した。

 焼け焦げた機械の残骸を見下ろし、カルキアは微塵の怒りも露わにすることなく、自身の網膜コンソールに新たな追跡アルゴリズムを展開し始めた。獲物が残した「物理的な痕跡」を辿るために。


 ◆◆◆


 黄金都市から東へ数百キロ離れた、人気のない荒野。

 深夜の闇を切り裂いて疾走する、無人の大型魔導貨物列車。その最後尾に連結された、暗く冷たいコンテナの中に、Mr.シンギュラリティ――ミサゴの真の姿があった。


「……っ、ふぅ……」


 彼女は自身の小柄な身体をコンテナの隅に丸め、荒い呼吸を繰り返していた。

 右腕に巻かれた分厚い包帯には、どす黒い血が広範囲に滲んでいる。数日前、ダイダロスの監視網の僅かな隙を突かれ、カルキアの急襲を受けた際の傷だ。電脳の海では神に等しい彼女も、現実世界では戦闘力を持たないただの少女に過ぎない。

 死神の放った高周波ブレードが右腕の肉を深く抉り、神経を焼いた。命からがら逃げ延びたものの、その激痛は今も脈を打つように彼女の全身を苛み続けている。


(……そろそろ、オーラムに仕掛けた時限式のデコイが起動した頃か)


 ミサゴは痛みに顔を歪めながら、左手で自身の傍らに置かれた無骨な電子端末を撫でた。

 それは、外部のネットワークと一切通信できない、完全な『オフライン仕様』のローカルデバイスであった。

 カルキアの追撃を受けたあの日。ミサゴはダイダロスという組織の電脳技術と、暗殺者の直感の恐ろしさを骨の髄まで理解した。どれほど完璧な暗号化を施そうと、ネットワークに繋がっている以上、一瞬の魔力波長やアクセスの痕跡から必ず現在地を特定される。


 生存するための唯一の手段は、自らを電脳の海から完全に隔離することだった。

 彼女はオーラムをはじめとする数カ所のダミーサーバーに時限式のウイルスを仕掛けた後、自身が持ち歩いていた全ての通信デバイス、そして、ヒバリとの唯一の接点であった『秘匿回線』すらも、自らの手で完全に破壊し、廃棄したのである。


 それは、彼女にとって自らの手足を切り落とすに等しい決断だった。

 情報という絶対の武器を捨てた今のミサゴは、外界の状況を一切知ることができない。自身が放った囮がどれほどの時間を稼いでくれているのか、追手がどこまで迫っているのかすらも分からない、完全な暗闇の中にいた。


(連絡手段は、何もない。……ヒバリに、私が追われていることすら伝えられない)


 ミサゴは震える息を吐き出し、コンテナの小さな隙間から進行方向を見据えた。

 夜明け前の地平線に、空を覆い尽くすほどの黒煙と、無数の巨大な煙突群が薄暗く浮かび上がり始めている。

 鋼鉄と煙の都市、工業都市ムルキベル。

 無数の自律防衛システムと物理的な要塞化を施した、彼女のアジトが存在する絶対の聖域。手元にあるオフライン端末には、その要塞を起動し、内部へと安全に侵入するための暗号キーだけが保存されている。


 あそこへ辿り着きさえすれば、カルキアの凶刃からも身を守ることができる。

 しかし、彼女がダイダロスという巨大な組織に反撃するためには、どうしても『圧倒的な物理的武力』を持つ者たちの力が必要だった。


(……気づいてよ、ヒバリ)


 ミサゴは痛む右手を押さえ、煙に煙る都市の輪郭を見つめながら、静かに祈るように思考を紡いだ。


(私からの通信が途絶えた意味。世界中から私の痕跡が完全に消失したという異常事態。……アンタほどのアーキテクトなら、この沈黙こそが最大のSOSだと気づくはず)


 電脳の神が放った、一切の電波を持たない無音の救難信号。

 彼女の決死の覚悟を乗せた貨物列車は、ただ重々しい走行音を荒野に響かせながら、黒煙が空を覆うムルキベルの市街地へと向けて直進していく。


 時を同じくして。

 無音の救難信号を正確に読み取り、北の豪雪地帯から猛進するサイボーグ飛竜。

 そして西のバビロンから、巨大な闇の工場を調査すべく疾走する監察官の装甲車。


 世界から孤立した逃亡者たちと、傷ついた電脳の神、そして監察の猟犬。

 打倒ダイダロスという一つの目的を胸に秘めた反逆の刃たちが、互いの状況を知らぬまま、この鋼鉄の都市の只中へと運命の糸に手繰り寄せられようとしていた――。

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