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用済みだと追放された天才を怒らせてはいけない。彼は世界を壊す『技術』を持っているのだから/復讐のアーキテクト  作者: 赤腹井守
第五章 メメント・モリ

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047 闇の侵食

 ゼニスが管轄する王都の第一特別医療塔。

 無菌状態に保たれた最上階の特別室には、生命維持装置が刻む無機質な電子音だけが、等間隔で冷たく響いていた。


 病室の中央に鎮座するカプセル型の医療ベッド。そこに横たわっているのは、かつて重層都市バビロンの頂点に君臨した最強のハンター、マジュスクラである。

 分厚い胸板と丸太のような腕には、無数の痛ましい傷跡が刻まれている。数ヶ月前、国境付近に出現した未曾有の特異個体モンスターを討伐する際、彼は部下たちを庇い、単身でその死地に飛び込んだ。見事モンスターを討ち果たしたものの、彼の肉体は修復不可能なほどの致命的なダメージを負い、以来、一度も意識を取り戻すことなく深い昏睡状態に陥っている。

 そこに、誰かの陰謀や悪意は一切介入していない。ただ純粋に、世界を守るための高潔な戦いの果てに訪れた、あまりにも悲劇的な事故であった。


 ベッドの傍らに立つコルリは、恩人である偉大な男の眠る顔を、悲痛な面持ちで見下ろしていた。

 彼女にとって、マジュスクラは実の父親以上の存在だった。スラムでくすぶっていた彼女の剣の才能を見出し、ハルモニアの副長という地位にまで引き上げてくれた。彼の誇り高く、部下を何よりも重んじる背中を、コルリは心から尊敬していた。


「……団長。あなたの留守は、私が必ず守りますから」


 コルリは眠るマジュスクラの手に自身の額を押し当て、静かに、だが鋼のような決意を込めて誓いの言葉を紡いだ。


 ◆◆◆


 医療塔を後にし、コルリは重層都市バビロンにそびえ立つハルモニアの本部タワーへと帰還した。

 エントランスを通り抜け、自身の執務室へと向かう道中、すれ違うギルドメンバーたちの視線が、刃のように彼女の背中に突き刺さる。

 偉大なるカリスマを失った現在、ハルモニアの内部は完全に二つの派閥に分断され、均衡は崩壊の危機に瀕していた。


 一つは、団長の実の息子であるリンビアの血統を絶対視し、彼がもたらす莫大な利権に群がる『リンビア派』。事勿れ主義の古参幹部たちの多くがこちらに属し、ギルド全体の約六割を占めている。

 もう一つは、マジュスクラの誇りと実力主義を重んじ、ギルドの自浄作用を保とうとする『コルリ派』。最前線で命を懸ける純粋な戦闘員たちを中心とした残り四割。


 派閥の割合は六対四。しかし、次期団長という「血の権力」を笠に着たリンビア派の横暴は日増しに激化し、コルリ派のメンバーたちは理不尽な任務の押し付けや、報酬の減額といった露骨な冷遇を受け始めていた。

 彼らの中には「コルリ副長が実権を握るべきだ」と息巻く者も多い。だが、コルリ自身がそれを強く制止していた。彼女がここで武力蜂起すれば、恩人が生涯を懸けて築き上げたハルモニアという組織が、完全に内戦によって崩壊してしまうからだ。


(……団長が目覚めるまで、私がこのギルドを内側から繋ぎ止める。そのためにも、あの男の身体に何が起きているのか、突き止めなければ)


 コルリは足取りを重くしながら、リンビア派の幹部たちが集う最上階の会議室へと歩みを進めた。

 ドアの手前で、空のピッチャーを持ったトビとすれ違う。トビは丸眼鏡の奥の瞳でコルリを一瞥し、極めて低い声で囁いた。


「……今日だけで、五杯目です。異常なほどの渇きですね」


 トビの言葉の意味を理解する前に、コルリは会議室の扉を押し開けた。


 室内の空気は、最高級の空調設備が稼働しているにもかかわらず、どこか生臭く、淀んでいた。

 円卓の中央に座るリンビアの周囲を、幹部たちが取り囲み、新たな魔石鉱山の採掘権や、歓楽街の警備利権の書類を次々と提示しては媚びへつらっている。

 リンビアはその書類に目を通すこともなく、ただ自身の前にある巨大なガラスのグラスを鷲掴みにし、中の水を喉の奥へと貪るように流し込んでいた。


「おい、水だ! もっと水を持て!」


 リンビアが空になったグラスを大理石のテーブルに叩きつけ、血走った目で喚き散らす。

 彼の様子は、誰の目から見ても決定的におかしかった。

 額からは脂汗がとめどなく流れ落ち、ピンク色の髪が湿って額に張り付いている。何より異常なのは、彼の『皮膚』だった。

 顔面から首筋、そして露出している腕の皮膚が、水分を完全に失った砂漠の土のように極度に乾燥し、ひび割れているのだ。彼が苛立たしげに自身の首筋を掻き毟るたび、乾燥した皮膚が白い粉となってボロボロと剥がれ落ちていく。


「リンビア様、どうなさいました。お肌の調子が優れないようであれば、最高級の治癒魔法使いを手配いたしますが……」


「うるせえ! それよりあの新しい利権の話はどうなった、早く進めろ!」


 リンビアが怒鳴りつけると、幹部たちはすぐさまへらへらと愛想笑いを浮かべ、話題を金の話へと戻した。

 コルリは部屋の隅で腕を組み、その異様な光景を冷徹な瞳で観察していた。


(皮膚の異常な乾燥。大量の水分への執着。……あれは、人間の生態じゃない)


 幹部たちは気づいていないのか。いや、気づいていながら、意図的に見て見ぬ振りをしているのだ。リンビアが自分たちに莫大な富をもたらす『都合の良い神輿』である限り、彼がどのような奇行に走ろうとも、化け物へと変貌しようとも、彼らにとっては些事なのだ。

 利権の亡者たちの醜悪さに、コルリは吐き気すら覚えた。


「……親父の時代は終わったんだ」


 不意に、リンビアがグラスを強く握りしめながら、低く、暗い怨念を込めた声を漏らした。

 幹部たちの動きが止まり、室内が静まり返る。


「あの人は確かに強かった。だが、所詮はただの人間だ。老いさらばえ、たかだかモンスターの一匹に深手を負わされて、ベッドの上で管に繋がれて眠り続けるだけの哀れな敗北者だ。……だが、俺は違う」


 リンビアの口角が、耳まで裂けるのではないかというほどに異様に釣り上がっていく。

 狂気に支配されたその顔には、偉大すぎる父への根深い劣等感と、それを乗り越えたと錯覚する浅ましい優越感が混在していた。


「俺は死を克服した。絶対的な力を手に入れたんだ。あの人を遥かに超える、永遠の王になれる……!」


 彼が歓喜のあまり、自身の首筋を鋭い爪で激しく掻き毟った、その瞬間だった。


 ひび割れ、剥がれ落ちた人間の皮膚の下。

 露わになった首の肉の奥に、照明の光を乱反射する『漆黒の鱗』のようなものが、ぬらりと姿を現した。


「……っ」


 コルリの心臓が、恐怖で冷たく跳ね上がった。

 見間違いではない。それは病気や火傷の痕などではない。深海の底を這うような、人間の肉体には絶対に存在してはならない水生生物の鱗だった。

 あの雪山の地下室で遭遇した、あらゆる空間を消滅させる虚無の怪物――Sランクモンスター『深き者(ディーパー)』の身体を覆っていたものと、全く同じ漆黒の鱗。


(人間の身体を、深き者(ディーパー)の細胞が喰い破ろうとしている……?)


 ダイダロスは彼に不死を与えたのではない。リンビアという人間の器に、怪物の細胞を寄生させているだけだ。死を繰り返すたびに、人間の理性が失われ、怪物の本能が肉体を支配していく。

 このまま理性が完全に剥がれ落ちれば、ハルモニアの中心に、Sランクモンスターそのものが顕現することになる。


 会議室の扉が開き、水差しを持ったトビが静かに入室してきた。

 トビは何も見ていないかのように無表情のまま、リンビアのグラスに冷たい水を注ぎ込む。リンビアはそれを奪い取るように掴み、再び喉を鳴らすこともなく胃の腑へと流し込んだ。

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