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用済みだと追放された天才を怒らせてはいけない。彼は世界を壊す『技術』を持っているのだから/復讐のアーキテクト  作者: 赤腹井守
第五章 メメント・モリ

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046 怒りの先に

 重厚な扉が閉ざされ、冷たい廊下に出た瞬間。

 コルリは壁に手をつき、肺の奥に溜まっていた息を長く吐き出した。額から流れた冷たい汗が、床の絨毯へと落ちる。


「……随分と、綱渡りな真似をする」


 不意に背後から声をかけられ、コルリは弾かれたように振り返った。

 そこには、空になった銀のトレイを手にしたトビが、いつの間にか音もなく立っていた。


「トビ……」


「あのまま噛みつかれるかと思いましたよ。あの方は、もう完全に『壊れて』いる」


 トビは丸眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、普段の気怠げな態度とは打って変わった、極めて鋭利なハンターの目をコルリへ向けた。


「あの火傷の反応。そして、細胞の過剰な自己修復。……あれはもはや、人間の肉体の機能ではありません。幹部たちは見て見ぬ振りをしていますがね」


「あなたには、どこまで分かっているの」


「私はただの雑用係です。組織の均衡が保たれるのであれば、誰が上に立とうが興味はありません」


 トビは淡々とそう前置きをした後、声を極限まで潜めて言葉を継いだ。


「ですが、組織の上が『人間ではない何か』にすり替わっているとなれば、話は別です。……コルリ副長。あの雪山で、リンビア様にに何があったのか。真実を知っているのは、どうやらあなただけのようだ」


 トビの言葉には、確かな探意と、そして「敵ではない」という静かな連帯感が含まれていた。

 コルリは薄暗いバビロンの窓の外を見つめ、小さく息を吸い込んだ。


「……このギルドは、もう終わっているかもしれない」


 トップであるマジュスクラは意識不明。次期団長は不死の狂人へと変貌し、幹部たちは見て見ぬ振りをしている。ハルモニアという巨大な組織そのものが、完全に得体の知れない闇の掌の上で踊る操り人形と化していた。

 真実を知っているのは、世界で自分だけ。そして、自分と共闘してくれたあの二人の青年は、偽りの罪を着せられ、地獄の底を這いずり回っているはずだ。


「……団長。私、どうすればいいの」


 コルリの孤独な呟きは、雨の窓ガラスに空しく溶けた。

 彼女は孤独な闘いを始めなければならない。リンビアの身体に起きた異常の真実を暴き、ハルモニアを覆う巨大な闇の輪郭を掴み出すための、潜入調査。

 ネオンの光が反射する窓ガラスに映る己の顔を睨みつけ、雷の戦乙女は静かに反撃の決意を固めた。


 ◆◆◆


 豪雪都市ボレアス。

 その裏路地にひっそりと佇む、古びた安宿の一室。隙間風が入り込む薄暗い部屋の空気は、暖炉の火が熾されているにもかかわらず、死者の寝所のように冷え切っていた。


 壁に掛けられた旧式の魔導スクリーンが、無機質なアナウンサーの声を垂れ流している。

 王都ブルジュラにおける、テネブレ部隊の惨殺事件。そして、その首謀者として大々的に報道されている二人の青年の手配写真。

 ヘテラクティス、ダシアティス、アラティナ、キロネクス、クリサオラ。

 画面に次々と映し出されるかつての部下たちの遺体袋を前に、ハパロクラエナは両手で顔を覆い、肩を激しく震わせていた。


「俺の、せいだ……」


 絞り出すような声は、絶望と自責の念でひどく掠れていた。

 かつて彼は、天才としての傲慢さから彼らを見下し、自身の力だけが全てだと過信していた。しかし、彼らは間違いなくハパロの下で共に死線を越えてきた仲間であった。彼らがどれほど理不尽な暴力によって命を散らしたか、想像するに難くない。

 そして何よりハパロの心を根元から抉り取ったのは、その部下たちの惨殺を、彼自身の「個人的な怨恨による凶行」としてダイダロスに利用され、世界中に発信されたという事実だった。


「俺が、俺がもっと早く真実に気づいていれば……あいつらをソラリスの鎖から解放してやれていれば……!」


 ハパロの指先が、自身の顔を掻き毟るように食い込む。

 彼の翡翠色の瞳から、とめどなく血の涙が溢れ出し、冷たい床へと滴り落ちた。激しい怒りと悲哀が交差する感情の奔流が、彼の強靭な精神を粉々に打ち砕こうとしていた。


 その光景を、ヒバリは部屋の片隅から無言で見つめていた。

 彼の薄暗い瞳に同情の色はない。ただ、極限の状況下にあってもなお、アーキテクトとしての彼の脳神経は、悲しみに暮れることを拒絶し、恐るべき速度で冷徹な演算を続けていた。


「ハパロ」


 ヒバリの静かな、しかし確かな重みを持った声が、ハパロの嗚咽を断ち切った。


「泣いている暇はない。いよいよ、ダイダロスが本格的に動き出した」


 ヒバリは壁の魔導スクリーンを一瞥し、言葉を継ぐ。


「テネブレの口封じ。そして、僕たちを指名手配犯へと仕立て上げ、表の世界から完全に孤立させる徹底的な情報操作。奴らは、僕たちを本気で狩りに来ている。……このまま防戦一方で隠れ潜んでいれば、いずれ必ず尻尾を掴まれて殺される」


 ヒバリの言葉に、ハパロは血走った目を上げた。

 その瞳の奥には、部下を殺された悲哀を塗り潰すほどの、底知れぬ憎悪と殺意が静かに燃え上がり始めていた。


「なら、どうする」


 ハパロの問いに、ヒバリは極めて淡々と、しかし絶対の意志を込めて答えた。


「ダイダロスを、潰す」


 反逆のテロリストとして世界中を敵に回した今、彼らを守る法も、社会のルールもすでに存在しない。ならば、あらゆる手段を用いて敵の中枢を物理的かつ徹底的に破壊するのみ。

 ヒバリは懐から、厳重な暗号化が施された旧式のアナログ端末を取り出した。


「反撃に転じるためには、奴らの拠点の位置や構成員に関する『情報』が絶対的に足りない。……彼女の力を借りる」


 ヒバリは特定のコマンドを打ち込み、裏社会の伝説のハッカー――『Mr.シンギュラリティ』ことミサゴの極秘回線へと通信を繋いだ。

 王都でのハッキングテロ以降、連絡を取っていなかった彼女。だが、この回線は彼女の生命線でもあり、常に接続状態にあるはずだった。

 しかし。

 端末からは、空虚なコール音が一定の間隔で鳴り響くばかりだった。


「……出ない」


 十数回のコールの後、自動的に通信が切断される。ヒバリの眉間に、深い皺が刻まれた。

 彼女がこの回線を無視することなど、過去に一度たりともなかった。王都での騒動の直後ということもあり、ヒバリの胸の奥に、得体の知れない黒い不安が急速に広がっていく。


「通信の傍受を警戒しているのか? それとも……」


「トラブルに巻き込まれた可能性があるってことか」


 ハパロの鋭い指摘に、ヒバリは重く頷いた。


「彼女の本拠地は、黄金都市オーラムから東に位置する『工業都市ムルキベル』だ。直接、彼女の安否と情報を取りに向かう」


 ヒバリは即座に端末を操作し、都市の近郊で待機させているサイボーグ飛竜・トドロキへと合流座標を送信した。


「ここを出るよ、ハパロ」


 二人は厚手の外套を深く羽織り、顔を隠して部屋を後にした。

 きしむ階段を下り、宿屋の薄暗いフロントへ向かう。そこには、カウンターに肘をついて魔導スクリーンを眺めていた宿の主人がいた。

 主人は、階段を降りてきた二人の姿と、スクリーンに映る指名手配犯の顔写真を交互に盗み見し、明らかに強張った表情を浮かべた。その手は、カウンターの下にある通報用のボタンへとゆっくりと伸びようとしている。


 その直感的な敵意を察知し、ハパロが右手を主人の方へ伸ばそうとした、その時だった。


 ヒバリが無言のまま、主人の目の前のカウンターに、重みのある革袋を無造作に置いた。

 革袋の口が微かに開き、中から眩いばかりの黄金の光が漏れ出す。オーラムのカジノから密かに持ち出していた、大量の高純度金貨だった。宿賃の一年分を優に超えるであろう莫大な富。

 主人の手が通報ボタンから止まり、大きく目を見開いて革袋とヒバリを交互に見つめる。


 ヒバリは一切の感情を交えずに、ただ一瞥だけを与えて宿の扉を開け放った。

 圧倒的な金力による、物理的な口封じ。主人は震える手で金貨の袋を引き寄せ、二人の背中が猛吹雪の闇の中へ消えていくのを、ただ黙って見送ることしかできなかった。


 ◆◆◆


 ボレアスの市街地を抜け、街灯の光も届かない郊外の雪原へと向かう道中。

 足首まで埋まる雪を掻き分けながら、ハパロが吹雪に声を紛らせてヒバリに問いかけた。


「……なあ、ヒバリ。一つ聞いておきたいことがある」


「なんだい」


「俺の姉上、ファレノのことだ。お前はツテを使って安全な場所に匿うと言っていたが……こんな状況だ。ダイダロスが血眼になって俺たちとの接点を探している。本当に、安全なんだろうな」


 ハパロの言葉には、唯一の肉親に対する隠しきれない焦燥と懸念が滲んでいた。

 ヒバリは雪を踏みしめる歩みを止めず、前を向いたまま静かに答えた。


「心配はいらないよ。彼女は、僕がこの世界で最も絶対的な信頼を寄せる人物のもとで保護されている。ダイダロスの監視網だろうと、そう簡単には手出しできない場所だ」


 その確信に満ちた口調に、ハパロは一ヶ月前、姉を託した時の記憶を脳裏に呼び起こした。

 王都から離れた名もなき荒野。トドロキに乗って現れたその男は、到底医療従事者や匿い人とは思えない、異様な風体を纏った男だった。


「……あの時の、一ヶ月前に出会った、あのイカつい見た目をした男か。確かに並の威圧感じゃなかったが……本当に大丈夫なんだろうな?」


 ハパロが疑念を隠せずに尋ねると、ヒバリは吹雪の中で微かに苦笑いを浮かべた。


「多分、僕の知る限り『最強のハンター』だからね」


 ヒバリのその言葉に含まれた重みに、ハパロはそれ以上の追及を飲み込んだ。ヒバリがそこまで言うのなら、今は信じるしかない。


 やがて二人は、木々が途切れた広大な雪の平原へと辿り着いた。

 ヒバリがインプラントから微弱な信号を送ると、目の前の虚空の景色が陽炎のように歪み、光学迷彩を解いたサイボーグ飛竜・トドロキがその巨大な姿を現した。


『お待ちしておりました、マスター。並びに、ハパロクラエナ殿』


 人工音声で恭しく頭を下げるトドロキ。

 しかし、生身の人間であるハパロがトドロキの超音速飛行に耐えられるはずがない。前回は病人の姉を守るために特殊なカプセルを使用したが、今回は戦闘を前提とした機動が求められる。

 ヒバリの指示を受け、トドロキは背面の装甲をスライドさせ、内部に格納されていた『特殊なアーキテクチャ』をハパロの足元へと吐き出した。


 それは、金属の骨格と幾多の魔導ケーブルで構成された、無骨な『アーム型固定装甲』だった。


「これを君の身体に装着してくれ、ハパロ。トドロキの推力による致死レベルのGから君の肉体を物理的に固定し、魔力シールドで大気の摩擦熱を遮断するための専用補助具だ」


 ハパロは無言でそのアーム型アーキテクチャを身に纏った。金属のフレームが彼の背骨と四肢に強固にロックされ、トドロキの鞍にある接続ポートと完全に連結される。


「準備はいいかい?」

「ああ。いつでもいける」


 ヒバリも自身の定位置へと跨り、インプラントをトドロキの制御システムへと直結させる。


『目的地、工業都市ムルキベル。ナビゲーション・リンク、オールグリーン』


 トドロキの巨大なジェットスラスターが、夜の雪原を青白く照らし出すプラズマの炎を噴き上げた。

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