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用済みだと追放された天才を怒らせてはいけない。彼は世界を壊す『技術』を持っているのだから/復讐のアーキテクト  作者: 赤腹井守
第五章 メメント・モリ

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045 違和感

 重層都市バビロン――。

 水たまりに反射するネオンの光を踏みしめ、コルリは巨大な黒鋼のタワーを見上げた。都市の暗部を支配する巨大ギルド『ハルモニア』の本部ビル。かつての彼女にとって、そこは恩人である団長マジュスクラが治める、何よりも誇り高き帰るべき場所であった。

 だが今の彼女の足取りは、鉛を括り付けられたように重かった。


 団長マジュスクラは数ヶ月前の討伐任務で重傷を負い、ゼニスが管轄する特別医療塔で意識不明のまま眠り続けている。カリスマを失ったハルモニアの内部は、次期トップの座を巡る醜い派閥争いによって急速に腐敗が進んでいた。

 その状況下で、次期団長と目されていた一人息子――リンビアの死を報告しなければならない。

 それも、ただの討伐での戦死ではない。彼がダイダロスという得体の知れない巨大な闇の組織と繋がり、テネブレ部隊を罠に嵌め、最終的には機密保持のために自らの頭部を内側から爆破されて無残に死んだという事実を。


(……信じてもらえるはずがない)


 直通エレベーターが、無重力のような感覚を伴って最上階の幹部フロアへと上昇していく。

 コルリは壁の鏡面に映る自身の顔を見た。雪山での死闘の疲れをメイクで隠してはいるものの、瞳の奥に張り付いた死線の記憶までは隠しきれていなかった。

 王都では、彼女と共闘したヒバリとハパロが、テネブレ部隊を全滅させたS級指名手配犯として大々的に報道されている。ダイダロスの手回しによる完璧な情報操作。真実を知っているのは、もはや自分しかいない。

 エレベーターの扉が無機質な稼働音と共に開いた。

 分厚い絨毯が敷き詰められた廊下を抜け、コルリは重厚な幹部室の扉の前に立つ。深く息を吸い込み、彼女は決意と共にその扉を押し開けた。


 鼻を突いたのは、高級な葉巻の甘ったるい煙と、熟成された洋酒の匂いだった。

 円卓を囲むように、ハルモニアの実権を握る数名の幹部たちが集まっている。彼らは一様にグラスを傾け、下劣な愛想笑いを浮かべていた。

 部屋の隅では、サイフォンから立ち上る湯気を眺めながら、一人の女性が静かにコーヒーを淹れている。少し癖のある黒髪を無造作に後ろで束ね、度の強い丸眼鏡をかけた女――トビだった。

 年齢は二十代半ば。仕立ての良いギルドの制服を少し着崩し、常に気怠げな空気を纏っている彼女は、ハルモニアにおける『雑用係』という底辺の立ち位置に自ら収まっている特異なハンターだ。派閥争いを嫌って中立を装ってはいるものの、コルリは彼女が並の幹部を凌駕する実力と、極めて鋭い観察眼を持っていることを知っていた。


 そのトビが、眼鏡の奥から微かにコルリへ視線を向け、顎で「部屋の奥」を示した。

 その視線の先にいる『人物』を認めた瞬間。

 コルリの心臓が、物理的な冷たい手で鷲掴みにされたように完全に凍りついた。


「おせーぞ、コルリ。どこで道草食ってやがったんだ?」


 部屋の最奥。団長専用の最高級の革張りソファに、その男は行儀悪く両脚を投げ出してふんぞり返っていた。

 派手に逆立てたショッキングピンクの髪。線の細い体格に不釣り合いなほど身につけた高価な魔導具。そして、常に人を小馬鹿にしたような、薄っぺらな嘲笑。


 リンビアであった。

 頭蓋骨の内側で爆発物が破裂し、眼球や孔という孔からどす黒い血を噴き出して、完全に事切れたはずのリンビア本人が、そこには生きた人間の姿で座っていたのだ。


「あ……」


 コルリの喉の奥で、言葉が意味を成さずに干からびた。

 幻覚か。あるいは、彼の死こそが自分が見た悪夢だったのか。コルリは自身の記憶を疑い、無意識のうちに後ずさった。

 だが、網膜の奥に焼き付いているあの地下室での惨劇の光景は、紛れもない現実だ。


「おいおい、なんだその幽霊でも見たような面は。雪山の寒さで頭までやられちまったのか?」


 リンビアが下品に笑うと、周囲の幹部たちも同調するようにへらへらと笑い声を上げた。

 幹部の一人が葉巻を咥えたまま、コルリに向かって顎をしゃくる。


「副長。遅いお戻りでしたが、無事で何よりです。……リンビア様から、すでに雪山での輝かしい武勇伝は伺っておりますよ」


「武勇、伝……?」


 コルリが呆然と呟くと、リンビアはソファから身を乗り出し、自慢げに自身の胸を叩いた。


「ああ。あの王都のエリート風情――テネブレの連中が、ポケルとかいう氷の龍に手も足も出ずに震え上がっていたところをな、俺様がこの魔力増幅ガントレットで一撃で粉砕してやったって話をしてたんだよ。あいつら、俺の力に腰抜かして泣いてやがったぜ」


 息を吐くように放たれた、完全な虚構。

 テネブレの面々は確かに窮地に陥ったが、ポケルを両断したのはコルリの大太刀だ。しかも彼は、その後現れた氷の女王に怯え、後方で逃げ隠れしていただけではないか。さらに、その後に起きたヒバリとハパロの介入や、Sランクモンスターとの死闘については一切語られていない。


(偽物だ。ダイダロスの技術で造られた、精巧な機械の傀儡……)


 コルリは自身の優れた魔力感知能力を研ぎ澄まし、目の前で笑うリンビアの波長を密かにスキャンした。外見だけならいかようにも偽造できる。だが、生物が発する魂の波長だけは誤魔化すことができない。

 しかし。

 解析された魔力波長は、間違いなくハルモニアの次期団長、リンビア本人のものと完全な一致を示していた。魔力の揺らぎ、声の周波数、そして人をイラつかせる特有の貧乏揺すりの癖に至るまで、全てが本物だった。


(どういうこと……? 波長は本人。でも、あの死体は確かに……)


 コルリの思考が激しい混乱の渦に飲み込まれていく中、幹部たちが言葉を継ぐ。


「しかし、あの王都のトップ部隊が、一晩で全滅させられるとは。ニュースを見た時は肝を冷やしましたぞ。犯人は元隊長のハパロと、専属技術者のヒバリだとか」


「連中が雪山で無能だったのも納得ですな。内部で崩壊していたとは。我らがリンビア様がご無事で本当によかった」


 幹部たちの媚びへつらう言葉を聞き、コルリは確信した。

 リンビアは、ダイダロスが流布した「テネブレ部隊全滅の偽造ニュース」のストーリーラインに完全に迎合し、ヒバリとハパロが雪山で共闘した事実を意図的に隠蔽している。彼自身がダイダロスの手駒であるという証左だ。


「おい、コルリ。お前もそこに突っ立ってないで座れよ。……喉が渇いたな。おい、トビ。コーヒーを持て」


 リンビアが横柄に指を鳴らすと、部屋の隅にいたトビが「かしこまりました」と抑揚のない声で応じ、銀のトレイに乗せたティーセットを静かに運び込んできた。

 コルリは重い足を引きずり、彼と対面するソファの端に腰を下ろした。目の前の男の存在が放つ、名状しがたい『違和感』を突き止めるために。


 トビが極めて滑らかな、一切の無駄がない手つきで、リンビアの前の大理石のテーブルに熱気に満ちたコーヒーカップを置こうとした。

 しかし、リンビアが身を乗り出した拍子に彼の手がカップの縁に激突し、陶器がひっくり返った。

 淹れたての、沸騰するほどの超高温の黒い液体が、リンビアの右手の甲から腕にかけて降り注ぐ。


「あ……失礼いたしました、リンビア様」


 トビが平坦な声で謝罪し、即座に布巾を取り出す。

 普通の人間であれば、火傷の激痛に悲鳴を上げ、即座に手を振り払うはずの熱さだ。

 しかし。

 リンビアは、顔色一つ変えなかった。

 いや、それどころか、彼は自身の手に熱湯がこぼれ、皮膚が赤く爛れ始めているという事実を『認識すらしていない』ようだった。


「……あーあ。もったいねえな。さっさと拭いとけ」


 リンビアは、火傷を負った右手を無造作に振り、テーブルにこぼれたコーヒーを不満げに眺めるだけだった。痛みによる顔の歪みも、筋肉の収縮も一切ない。完全に痛覚が欠落している。

 コルリの背筋を、強烈な悪寒が這い上がった。


(熱さを、感じていない……?)


 コルリの視線は、リンビアの赤く爛れた右手の甲に釘付けになった。

 よく見れば、雪山でハパロの剣によって貫かれ、骨が砕けていたはずの手の甲の傷跡が、完全に消滅している。高度な回復魔法を受けた形跡もない。まるで、最初から傷などなかったかのような、不自然なほど真新しい皮膚。

 手際よくテーブルを拭き上げていたトビの丸眼鏡の奥の瞳が、ふと、コルリの視線と交差した。

 ほんのコンマ数秒。互いの間に言葉はなかったが、トビのその極めて鋭い眼差しは「私も気づいている」という明確な事実をコルリに伝達していた。


「……ちょうど腹も減ってたところだ。おいトビ、肉を持て。レアのステーキだ。雪山の保存食はパサパサしてていけねえ」


 リンビアの命令により、厨房から極厚の肉塊が運ばれてきた。血の滴るような、生焼けの巨大なステーキ。

 トビが銀のカバーを開けるや否や、リンビアはナイフとフォークには目もくれず、両手で直接その肉塊を鷲掴みにした。


「リンビア様、ナイフをお使いに……」


 幹部の一人が控えめに進言するが、リンビアはそれを無視した。

 彼は口を獣のように大きく開け、生肉の塊に直接かぶりついた。肉を乱暴に引き千切る湿った音が響き、赤黒い血と肉汁が彼の顎を伝い、高価な衣服を汚していく。

 骨ごと噛み砕いているのか、彼の口内から硬いものを擂り潰す異様な音が室内に響き渡る。

 その食事風景は、人間のそれとはかけ離れていた。飢えた捕食者が、ただ本能のままに餌を胃袋に詰め込んでいるような、おぞましい光景。


「う、うまい……っ! もっと血が滴るやつを持ってこい! 全然足りねえ」


 リンビアは肉を咀嚼しながら、血走った目でトビを睨みつけた。

 その瞬間。

 コルリは見た。

 肉を貪るリンビアの瞳孔の奥が、人間の本来の色を失い、まるで深海の底を覗き込んだような『赤黒く濁った色』へと一瞬だけ変色したのを。


 それは、雪山の地下室で遭遇した、あらゆる生命を消滅させる理不尽な怪物――Sランクモンスター『深き者(ディーパー)』の放っていた、あの底知れぬ捕食者の眼差しと完全に同じものだった。


(……間違いない。こいつはリンビアであって、リンビアじゃない。人間の皮を被った……別の何かだ)


 コルリは自身の膝の上で、手が微かに震えるのを必死に抑え込んだ。

 頭を吹き飛ばされて死んだはずの男が、生きて帰ってきた理由。彼が痛覚を失い、獣のような行動をとり、瞳の奥に魔獣の光を宿している理由。


 ダイダロスは、リンビアの死体を回収し、彼に『何か』を施したのか?

 人間の肉体を強制的に再生させ、死を越えるほどの異常な生命力を与える禁忌の技術。その代償として、彼の中にある人間としての理性や倫理観、痛覚といった機能が、死を経るごとに確実に削り落ち、欠落していく。

 彼の内側に、Sランクモンスターの細胞が巣食い、彼の人間性を徐々に喰い破っているのだとすれば。


「コルリ」


 肉を貪っていたリンビアが、不意に咀嚼を止め、血に染まった口元を歪めてコルリを見た。


「お前も、王都の指名手配犯とはずいぶん仲良くやってたみたいだな。まさか、お前もテネブレの残党と内通して、うちのギルドに泥を塗ろうとしてるわけじゃねえよな?」


 探るような、しかし底意地の悪い殺意を含んだ視線。

 幹部たちの冷ややかな目が一斉にコルリへと向けられる。

 ここで少しでも動揺を見せれば、あるいは真実を告発しようとすれば、狂人と化したリンビアと、事勿れ主義の幹部たちによって、自分はこの部屋で確実に『処理』される。

 ヒバリとハパロという最強の助けは、もうここにはない。彼らは世界中から追われる身なのだ。


 コルリは極限の恐怖と孤独感を奥歯で噛み殺し、普段の凛とした猫のような表情を完璧に作り上げた。


「……冗談言わないでよ。私はハルモニアの副長よ。恩人である団長を差し置いて、王都の落ちこぼれたちと手を組むメリットなんて、どこにもないでしょ」


 冷たく言い放ち、コルリは優雅に足を組み替えた。


「それより、次期団長様がそんな獣みたいな食事マナーじゃ、他のギルドに笑われるわよ。少しは品性を身につけたらどう?」


 コルリの皮肉を聞いた幹部たちが息を呑むが、リンビアは口の周りの血を手の甲で無造作に拭い、気味の悪い笑い声を上げた。


「ははっ! 相変わらず生意気な女だぜ。まあいい、お前のその口がいつまで減らず口を叩けるか、見ものだな」


 リンビアは再び肉の塊へと喰らいついた。

 コルリは平静を装いながら立ち上がり、「少し休ませてもらうわ」と告げて幹部室を後にした。

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