037 地下室の尋問
凍てつくような雪原の冷気は、すでにどこにもなかった。
コルリがゆっくりと重い目蓋を開けると、視界には見慣れない木造の天井と、暖炉で薪が燃える柔らかいオレンジ色の光が映り込んだ。
全身を苛んでいた筋肉の断裂痛は丁寧に施された魔法治療によって和らいでおり、清潔なシーツの感触が、自分が安全なベッドの上にいることを教えてくれる。
「……気がついたかい、コルリさん」
傍らから聞こえた穏やかな声に、コルリは弾かれたように顔を向けた。
ベッドの横の丸椅子に腰掛けていたのは、白いシャツの袖を捲り上げ、手元のタブレットで何かの複雑な数式を弾き出している青年の姿だった。
ボサボサの黒髪に、どこか血の気の薄い青白い肌。その理知的な目元に、コルリは強い見覚えがあった。
「ヒバリ、さん……?」
コルリは身を起こし、信じられないものを見るように目を瞬かせた。
無理もない。彼とは、もう三年も会っていなかったのだから。
三年前にとある一件で知り合った際、彼女の特異な戦闘スタイルと魔力波長を完璧に計算し、あの規格外の大太刀『祢祢』を設計・構築してくれた、恩人とも言える天才アーキテクト。
「どうして、あなたがこんなところに……」
コルリは呆然と呟いた後、ハッと昨夜の絶体絶命の記憶を呼び起こした。
「そうだ、リンビアのクソ野郎……! じゃあ、最後に私を助けてくれた、あの白いスーツは……ヒバリさん、あなたが?」
「あまり、多くは話せないのだけれどね」
ヒバリはタブレットを置き、コルリの怒りと混乱を宥めるように、静かに言葉を紡いだ。
「僕たちは、ある特定の波長を追って、この北の地までやって来たんだ」
「波長?」
「ああ。君が倒した氷の女王の傷口にあっただろう。赤黒く、不気味に脈打つ石のようなものが」
ヒバリの言葉に、コルリの背筋を冷たいものが走った。巨人の切断面の奥に埋まっていた、自然界には絶対に存在し得ない禍々しい魔力の塊。
ヒバリは頷き、その正体を口にする。
「『操獣の魔鉱石』。特定の魔力波長でモンスターの脳神経をハッキングし、意図的な座標へ誘導するための、禁忌の技術だ」
「……! じゃあ、あの氷の女王が現れたのは、事故なんかじゃなくて……」
「人為的なテロだよ。君たち遠征部隊を、確実に雪山で全滅させるためのね」
ヒバリは淡々と告げながら、シャツの胸ポケットから、銀色に輝くアンティーク調の『懐中時計』のようなものを幾つか取り出した。
文字盤があるべき場所には、精密なレーダーの波形が緑色の光を放って明滅している。
「少し前に、別の場所でも同じように『操獣の魔鉱石』で操られたモンスターがいてね。その事件の後に回収した魔鉱石のサンプルをリバースエンジニアリングして、この探知機を造り上げたんだ」
ヒバリは、その懐中時計型の端末をコルリに見せた。
「魔鉱石が発する特殊な制御波長、その一点にのみ感知を絞り込んだ専用のレーダーだ。対象を限定したからこそ、探知範囲を異常なまでに広く設定することができた。……これのおかげで、この雪山で魔鉱石の波長が起動した瞬間に、僕たちはここへ急行できたというわけさ」
いとも簡単に言ってのけるが、それは既存の魔導技術の常識を覆すほどの異常なアーキテクチャだった。コルリは改めて、目の前の青年の底知れぬ天才性に感嘆の息を漏らす。
しかし、彼女の優れた直感は、ヒバリの言葉の端にあったある『違和感』を聞き逃さなかった。
「……ねえ、ヒバリさん」
「なんだい?」
「さっきから気になってたんだけど。僕『たち』って、言ったわよね」
コルリはベッドの上で姿勢を正し、真剣な眼差しでヒバリを見つめた。
かつて知っていた温和な技術者の青年。しかし今の彼からは、氷のように冷たく、張り詰めた剣のような空気が微かに漏れ出している。
「あなた以外に、誰か一緒に来ているの?」
コルリの鋭い問いに、ヒバリは表情を一切変えることなく、静かに視線を床へと落とした。
「……もう一人は、今、地下室で仕事中だよ」
「仕事?」
「熱心な『尋問』の真っ最中さ」
ヒバリの言葉の裏にある不穏な響きに、コルリは眉をひそめる。
「地下室って……そもそも、ここはどこなの?」
「ソラリスの遠征部隊が使用する、仮拠点用のセーフハウスだよ。雪に埋もれた偽装ロッジさ。……王都のシステムを掌握した時に、ここのセキュリティコードも一緒にいただいておいたからね」
王都のシステムを掌握した。
あまりにもスケールの大きな言葉に、コルリは絶句する。この三年の間に、彼に一体何があったというのか。
ヒバリは静かに立ち上がり、病室のドアへと向かった。
「……君を傷つけたあの男が、魔鉱石の実行犯かどうか。もうじき、答えが出るはずだ」
◆◆◆
ソラリスの仮拠点用セーフハウス、その薄暗い地下室。
カビと湿気の匂いが漂う無機質なコンクリートの空間で、耳障りな金切声が響き渡っていた。
「おい、さっさとこの手錠を外せ! 俺を誰だと思ってんだ!!」
部屋の中央に置かれたパイプ椅子。そこに無様に縛り付けられているのは、ピンクの髪を乱したリンビアだった。
彼の手首を拘束しているのは、ヒバリがナノ・ルーンを即席で編み上げて形成した特製の手錠である。リンビアがどれほど暴れて魔力を流し込もうとも、その強固な拘束はピクリとも緩むことはない。
喚き散らす彼を見下ろしているのは、ハパロクラエナだった。
その身を包んでいるのは、かつての誇りであったソラリスのテネブレ部隊の純白の制服ではない。どこか深い森の闇を思わせる、濃い緑色のコートだった。王都のしがらみを捨て、復讐の修羅道へと足を踏み入れた彼に相応しい、血の汚れが目立たない装い。
「少しは口を閉じろ。頭に響く」
ハパロの冷徹な声が、地下室の冷気をさらに一段階下げる。
彼は怯える様子を微塵も見せないリンビアを冷ややかに見据え、淡々と問いかけた。
「『操獣の魔鉱石』の波長を操り、モンスターを使役していたのは、お前か?」
その問いに、リンビアは口の端を歪めて下劣な笑みを浮かべた。
「ははっ! 答えるわけねーだろ、バーーカ!」
「なら、こう問おう。ファウンテンの街を襲ったAランクモンスター、カルコサ。……あれを差し向けたのも、お前の仕業か?」
それは、王都への道中でヒバリから聞かされていた推測だった。魔鉱石のシステムは極めて複雑であり、それを現地で誘導・起動させるには、専門の端末を持った『実行犯』が必要となる。
リンビアは悪びれるどころか、まるで自分の手柄を誇るかのように、けたけたと甲高い笑い声を上げた。
「さあな! 俺は何も知らねえよ。だからさっさとこれを外せ、間抜け。元エリート様の落ちこぼれが、偉そうに尋問の真似事かよ!」
親の権威で好き勝手に生きてきた人間の、根源的な浅ましさ。
ハパロは小さくため息をつき、静かに右脚を振り上げた。
次の瞬間、無慈悲な蹴りがパイプ椅子ごとリンビアの身体を真横に弾き飛ばした。
鈍い衝撃音と共に、リンビアは冷たいコンクリートの床に叩きつけられる。拘束されたまま床を転がり、口の端から血を流しながらも、彼は狂ったように笑い続けていた。
「痛ぇな、クソが……っ!!」
「……笑えなくしてやろうか」
ハパロは床に転がるリンビアの傍らにしゃがみ込み、腰から愛剣『カランサルティア』をゆっくりと引き抜いた。
かつて魔力熱暴走で黒焦げになり折れたその刀身は、ヒバリの手によって全く新しいアーキテクチャを組み込まれ、鋭く冷たい輝きを放つ業物として完璧な新生を遂げていた。
「好きにしろよ」
リンビアは、眼前に突きつけられた美しい刃を見てもなお、人を小馬鹿にしたような態度を崩さなかった。
「お前のその細っえオモチャの剣で何をしてくれるんだ? 耳くそでもほじってくれるのか?」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに。
ハパロは一切の躊躇なく、カランサルティアの鋭い切っ先を、後ろ手に拘束されているリンビアの右手の甲へと深々と突き立てた。
「ギャアアアアアアアアアッ!?」
肉を裂き、骨を貫く生々しい感触。
リンビアの絶叫が地下室の壁に反響する。ハパロは表情一つ変えず、突き立てた剣の柄から手を離した。刃は床のコンクリートにまで達し、リンビアの手を完全に縫い付けている。
「……答えろ。お前も、ダイダロスの仲間か?」
ハパロの氷のような問いに、リンビアは涙と鼻水を撒き散らしながら喚いた。しかし、その痛みに歪んだ顔には、なおも狂気的な薄ら笑いが張り付いていた。
「ひ、ひひっ……ははははっ! やってくれたな……!」
手の甲から夥しい血を流しながら、リンビアは床からハパロを睨み上げる。
「お前、俺を誰だか知ってんのか!? バビロンを牛耳るハルモニアの団長、マジュスクラの一人息子だぜ!? こんなことして、ただで済むと思うなよ……っ!」
親の威光を盾にする、絵に描いたような三下の言葉。
ハパロは、心底呆れたように長く、深いため息を吐き出した。
「……マジュスクラ殿といえば、その気高さと実力で世界中のハンターから尊敬を集める高貴な方だ。その子供がお前みたいな糞野郎だなんて、にわかには信じがたいな」
ハパロはリンビアの手の甲から、無造作にカランサルティアを引き抜いた。
再び上がる絶叫を無視し、剣についた血を払い落として立ち上がる。これ以上、この男の口から真っ当な言葉が引き出せるとは思えなかった。
「……決めたぜ。ハパロ」
床に這いつくばったまま、リンビアが血走った目でハパロを睨みつけ、極めて意味深な、呪詛のような言葉を吐き捨てた。
「お前は……真っ先に、あの化け物の餌にしてやる」
その言葉の裏にある不穏な響きを、ハパロは聞き逃さなかった。
ハパロは血に濡れたカランサルティアの柄を強く握り込み、天井の向こう、一階で休んでいるであろう相棒に向けて、静かに呟いた。
「……なあ、ヒバリ。俺がこいつを間違ってここで殺してしまっても、後で許してくれるよな?」




