027 同じ闇を睨む瞳
圧倒的な暴力の嵐が過ぎ去った病室には、ひどく冷たい静寂だけが残されていた。
壁を突き破って開いた大穴から、冷え切った王都の夜風が吹き込んでくる。
シューッ、という微かな排気音。白亜の装甲『パラディウム』を形成していた真紅と純白のナノ・ルーンが瞬時に液状化し、持ち主の左手首に埋め込まれたインプラントへと吸い込まれていく。
そこに立っていたのは、ボロボロのアンダースーツに身を包んだ、ボサボサの黒髪の青年だった。
「……ヒバ、リ……?」
床に倒れ伏したまま、ハパロクラエナは掠れた声を漏らした。
かつて自分が見下し、部隊から冷酷に追放した専属の裏方。彼が、あの神がかった装甲の主であり、自分たちを窮地から救ったという事実が、ハパロの思考を完全に停止させていた。
ヒバリはハパロの驚愕に一瞥もくれず、静かな足取りでベッドの傍らへと歩み寄った。
彼が視線を向けたのは、ハパロを庇って倒れ込んでいる姉、ファレノだった。ヒバリはインプラントを操作し、少量のナノ・ルーンを医療用に再展開する。淡く光る液状の粒子がファレノの身体を包み込み、バイタルサインの安定化と、精神的なショックを和らげるための鎮静処置を自動で施していく。
ファレノの苦しげな呼吸が、次第に穏やかなものへと変わっていった。
姉の命が繋ぎ止められたことを理解し、ハパロは深く、震えるような安堵の息を吐いた。
次いでヒバリは、無言のままハパロの傍らにしゃがみ込んだ。ハパロの胸部に手を当て、掌から魔力の波長を流し込む。折れた肋骨が強制的に正しい位置へと固定され、破裂しかけていた内臓の出血がナノマシンによって急速に塞がれていく。
麻酔なしの荒療治。全身を駆け巡る激痛に顔を歪めながらも、ハパロは血を吐き捨てるようにして問うた。
「……なぜ、助けた。俺がお前を追い出したんだぞ。俺のせいで、お前は……っ」
ヒバリの応急処置の手は止まらない。彼は血だまりに膝をついたまま、絶対零度よりも冷たい瞳で、かつての雇い主を見下ろした。
「君を許したわけじゃない」
一切の感情を削ぎ落とした、氷のような声だった。
「TALOSのサーバーから抜いたデータで、事情は知った。君が、お姉さんの薬の供給を盾に、ガストリディウムから脅迫されていたことも。……だが、君がテネブレの目を曇らせ、操り人形に成り下がったせいで、結果的にルキオラさんたちは死んだ。その罪が消えることはない」
「っ……」
ハパロは奥歯を噛み締めた。否定する言葉は何もなかった。天才としての自負も、隊長としての責任も、全ては己の弱さが招いた結果だ。
「だが」と、ヒバリは静かに言葉を継ぐ。
「君を操り、ルキオラさんたちを死に追いやり、僕の居場所を壊した『本当の敵』は同じだ。……ガストリディウム、そしてその裏で糸を引く組織、『ダイダロス』」
ヒバリはハパロの治療を終え、ゆっくりと立ち上がった。
「君を殺すのは、今じゃないというだけの話だ」
その言葉は、死刑宣告のようでもあり、同時に、ハパロに投げられた一本の蜘蛛の糸でもあった。
ハパロは痛む身体を床から引き剥がし、ふらつきながらも両足で立ち上がった。土下座や命乞いをするつもりはない。天才としての誇りを完全にへし折られた今の彼に残されているのは、せめて一人の男として、己の過ちに落とし前をつけるという執念だけだった。
ハパロは床に落ちていた黒焦げの愛剣――その折れた柄を、血の滲むような力で強く握りしめた。
「……俺の目的は、姉上の薬の利権を握り、俺たちを弄んだガストリディウムを排除すること。そして、俺の部隊を食い物にした外道どもを斬ることだ」
ハパロの翡翠色の瞳に、かつての傲慢さはない。ただ、冷たく鋭い剣呑な光だけが宿っていた。
「お前が俺を憎むのは当然だ。だが、その復讐に……俺の剣を使え」
ヒバリは、ボロボロになった元・最強の剣士を静かに見据えた。
数秒の沈黙の後。
「……なら、目的は一致している。君の力は、僕の復讐にも有用だ。互いに利用し合おう」
ヒバリのその一言で、かつての「雇い主と裏方」という歪な関係性は完全に崩れ去った。
残ったのは、共通の敵を殺すためだけに結ばれた、極めてドライで、それゆえに強固な『共闘関係』だった。
「……ありがとう、ございました」
微弱な声が響いた。
ベッドの上で意識を取り戻したファレノが、痛む身体を庇いながら、ヒバリに向けて深く頭を下げていた。
「姉上、動いては駄目だ……!」
「いいのよ、ハパロ」
ファレノは弟を制し、優しく、しかし確かな強さを秘めた眼差しで彼を見た。
「もう、自分に嘘をつかないで。誰かの言いなりになって自分をすり減らすのは、今日で終わりにして。……あなたの『誇り』を、取り戻してちょうだい」
その言葉に、ハパロは小さく、しかし力強く頷いた。
――ウゥゥゥゥゥン……。
遠くから、夜の王都の静寂を切り裂くように、無数のサイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。VIP病棟での爆発と戦闘騒ぎを聞きつけ、ゼニスの警備部隊や王都の治安維持部隊が急行してきているのだ。
タイムリミットが迫っていた。
ヒバリは病室の吹き飛んだ窓際に歩み寄り、虚空に向かってインプラントから信号を送った。
直後、夜の闇と同化していた巨大な影が、音もなく窓辺へと舞い降りる。光学迷彩を解いたサイボーグ飛竜・トドロキだった。
「トドロキ。お姉さんを乗せて、指定の座標へ飛べ」
「了解しました、マスター」
ヒバリの指示を受け、トドロキが病室内に首を突っ込む。
「君のお姉さんは、僕のツテで安全な場所に匿う。ゼニスの特別病棟以上の医療ポッドを、僕が直接組んでやる」
ヒバリはハパロを振り返り、淡々と告げた。
「その間、君の命は僕が預かる。……いいな」
「……ああ。恩に着る」
ハパロは姉を抱き抱え、慎重にトドロキの背にある特殊なカプセルへと乗せた。
「姉上。必ず、迎えに行くから」
「ええ。気をつけてね、ハパロ。……ヒバリ様も」
ファレノを乗せたトドロキが、強靭な翼を羽ばたかせ、瞬く間に夜空の彼方へと消えていく。
後に残されたのは、崩壊した病室と、二人の男だけだった。
サイレンの音は、すでに病棟の下層階まで迫ってきている。
「行くぞ、ハパロ。君はもう動けるはずだ」
ヒバリは再びインプラントを起動し、全身を液状のナノ・ルーンで覆い始めた。
「ああ。……ガストリディウムのところだな」
ハパロは折れた黒焦げのレイピアを腰に提げ、ヒバリの隣に立つ。
復讐に燃える冷徹なアーキテクトと、全てを失い誇りを取り戻した天才剣士。
かつてすれ違い、部隊を崩壊させた二人が、皮肉にも全てが終わった後で、真の『最強のバディ』として並び立った瞬間だった。




