022 ダイダロス
電子と物理の死闘が、終わった。
ヒバリは限界を超えて白煙を上げるパラディウムの装甲を解除し、元のアンダースーツ姿に戻った。
彼が立っているのは、熱量圧縮砲によって大穴が開けられた、分厚い隔壁の前だ。
その奥には、完全に焼け焦げて火花を散らしているTALOSのメインサーバーと、赤い非常灯が明滅する広大な空間が広がっていた。
「ここか」
ヒバリは壁の穴を潜り抜け、最深部へと足を踏み入れた。
そこは、おぞましいほどハイテクノロジーが詰まった巨大な研究室だった。壁際には様々な魔導パーツや人工臓器が培養液に浸されて並び、いくつもの手術用のアームが天井から不気味にぶら下がっている。
ヒバリの視線は、部屋の中央に向けられた。
そこには、無数の生命維持ケーブルが繋がれた、無機質で巨大な医療用ベッドが置かれていた。
だが、ヒバリが近づいて確認すると、ベッドの上に残されていたのは、抜け殻のような装甲の破片と、まだ生温かい血と培養液の跡だけだった。
「……もぬけの殻か」
ベッドの横のモニターには、『ERROR』の文字が表示されていた。
標的を仕留め損ねた。
だが、ヒバリの目的は果たされたと言っていい。
彼は部屋の奥に目を向けた。メインサーバー自体は彼の熱線で破壊されたが、その横にある『局地用のサブコンソール』のランプが、非常電源によってまだ微かに点灯していたのだ。
ヒバリは即座に駆け寄り、インプラントを接続する。
監視が消えた今、このローカル端末からデータを抜くのは赤子の手をひねるより容易い。
「……あった」
ヒバリの網膜に、TALOS社が極秘に管理していた非合法な実験のデータが次々とダウンロードされていく。
違法な魔獣のパーツを使った人体改造。オーラムの『掃除人』コヌスや、暗殺者シガヌスへの兵器供与の記録。
そして――
ヒバリの視線が、ある『裏帳簿のスポンサーリスト』のページでピタリと止まった。
「ダイダロス……」
謎に包まれていたワードがまたしても目に留まった。察するにそれは、何らかの組織の名称であるとヒバリは推測した。
そして、その組織のスポンサーの筆頭として、見覚えのある名前がはっきりと刻まれていたのだ。
それを見た瞬間、ヒバリの薄暗い瞳の奥に、極めて冷たく、そしてドロドロとした黒い憎悪の炎が燃え上がった。
「……ガストリディウム」
声に出したその名前は、ヒバリを理不尽にソラリスから解雇し、路頭に迷わせた張本人――王都トップギルド『ソラリス』の副長の名前だった。
(僕から全てを奪い、ルキオラさんたちを惨殺した連中のスポンサーが……僕をギルドから追い出した男だったのか)
点と点が繋がり、全ての因縁が一本の太い線となって、王都の中心にそびえるあのビルへと収束していく。
ヒバリはコンソールからケーブルを引き抜いた。
ここにはもう用はない。シガヌスがどこへ移送されようと、末端の始末は後回しだ。
「……どうも……きな臭くなってきたね」
ヒバリは、薄暗い地下施設を背にして、静かに歩き出した。
◆◆◆
突如として王都ブルジュラを襲った、前代未聞の大規模ハッキングテロ。
巨大ホログラム広告がピンク色のウサギのドクロにジャックされ、交通網が完全に麻痺したその混沌を鎮圧すべく、都市内部ではゼニス直轄の治安部隊『ノヴァ』や、ソラリスをはじめとするトップギルドのハンターたちが血眼になって駆け回っていた。
しかし、その狂騒の中心から少し離れた、ソラリス本部ビルの特別会議室。
分厚い防音扉に守られたその部屋だけは、外のパニックが嘘のような重苦しい静寂に包まれ、特殊部隊テネブレのメンバー全員が円卓を囲んでミーティングを行っていた。
「――結論から言えば、此度のハッキング騒動による我々の作戦への支障は皆無だ」
眼鏡を中指で押し上げながら、参謀役のヘテラクティスが淡々と断言した。
「王都のシステムは一時的にダウンしたが、ギルドの遠征用飛空艇および兵装のシステムは完全にオフラインで独立している。三日後に控えるAランクモンスター討伐に影響はない」
「隊長。あなたも、よろしいですね?」
ヘテラクティスが円卓の上座に目を向ける。
そこには、かつての傲慢な光を失い、どこか虚ろで神妙な面持ちで座っているハパロクラエナの姿があった。
ハパロはゆっくりと顔を上げると、重い口を開いた。
「……ああ。問題ないだろう」
「結構。では予定通り、二日後に北の寒冷地帯への遠征を開始し、その翌日にAランクモンスターの討伐作戦を決行する」
ヘテラクティスが手元のタブレットを操作し、空中に標的の立体ホログラムを投影して作戦の最終確認を進めていく。
「標的は、永久凍土の渓谷を縄張りとするAランク指定モンスター、種族名『凍天熾龍』……固有名【ポケル】だ。純白に輝く四枚の羽を持ち、龍の要素を併せ持ったような神々しくも狂悪な獣だ。その羽ばたきは絶対零度の吹雪を巻き起こし、吐息は触れたものを瞬時に氷の彫像へと変える。油断すれば、部隊ごと美しい氷柱のオブジェにされるぞ」
「そりゃ楽しみッスね。氷のバケモンなら、俺の炎の槍で溶かして丸焼きにしてやるッス」
次世代のエースであるアラティナが、椅子の背もたれにふんぞり返りながらガムを噛んで不敵に笑った。
「ええ、問題ないわ。私の準備も完了している」
クリサオラが静かに頷き、キロネクスも興味なさそうに自身の爪をいじりながら「どーでもいいかな。ちゃんと飛空艇が飛ぶなら」と呟いた。
しかし、ハパロの耳にその声はほとんど入っていなかった。彼の血走った視線は、円卓の端でずっと沈黙を保っている副隊長――ディアデマへと、じっと向けられ続けていた。
ディアデマは、ハパロのその刺すような視線を痛いほど浴びながらも、氷のような表情を一切崩さず、気にも留めていない様子だった。
(……この女、ガスト副長と裏で繋がって、一体何を企んでいる?)
ハパロは机の下で拳を強く握りしめ、数時間前に彼女と交わした『密談』の記憶を脳内で反芻していた。
◆◆◆
――王都がハッキング騒動に見舞われる、少し前のこと。
ソラリス本部の地下にある、人気のない薄暗い武器倉庫室の片隅。
ハパロは、ディアデマの腕を強引に引き込み、壁際に追い詰めていた。
「離して、隊長。誰かに見られたら、あらぬ噂を立てられるわよ」
ディアデマは腕を振り払おうとしたが、ハパロのグリップは驚くほど強かった。
「……ガストリディウムが、裏で何かを企んでいる」
ハパロの低く、切羽詰まったような声に、ディアデマの目がわずかに細められた。
「なぜそう思うの?」
「知り合いに頼んで、ガストの素行調査を行わせた。あいつ、最近頻繁にパンドラ社やTALOS社のお偉いさんたちと極秘に会食をしている。ゼニスの規定を無視した、非正規のルートでだ」
「それが何だというの? ギルドの副長が武器メーカーと接待の席を持つことなど、よくある日常の風景でしょう」
「違うっ!」
ハパロは声を押し殺し、苦渋に満ちた顔で吐き出した。
「ヒバリをリストラしたのは……俺の意思じゃない。全部、ガストの指示だったんだ」
その告白に、ディアデマの表情がスッと冷たくなった。
「俺の姉上は、難病でゼニスの特別病棟に入っている。あの薬は、ゼニスの中枢しか精製できない極めて入手困難な代物だ。……あいつは、姉上の命と薬を盾にして、俺を脅したんだよ。ヒバリを追い出すための『猿芝居』に協力するほかなかったんだ!」
ハパロは唇から血が滲むほど強く噛み締めた。
「ヒバリを解雇したのも、部隊の戦力最適化なんて嘘だ。あいつは武器メーカーの連中から多額の賄賂か何かを受け取って、代わりに奴らにとって最大の商売敵であるヒバリの技術を、ソラリスから追い出したんだ。そうとしか考えられない!」
沈黙が、倉庫室に重くのしかかった。
やがて、ディアデマは深いため息をつき、極めて冷酷な、氷のような目をハパロに向けた。
「……それが本当だとすれば。あなたは、テネブレの最年少リーダーにして、世界で最も愚かなリーダーの烙印を押されるわね」
「っ……!」
「自分の家族を人質に取られたからといって、部隊の心臓であるアーキテクトを切り捨てた。その結果、あなたの愛剣は見事にフリーズを起こし、カルコサ戦で部隊を全滅の危機に追いやった。……三流の悲劇にも劣る、滑稽な自滅よ」
彼女の容赦ない言葉の刃が、ハパロの心臓を深々と抉る。
だが、ハパロはそれを甘んじて受け入れた。自分の愚かさは、カルコサの前で絶望した時に、嫌というほど自覚したからだ。
「何と言われても構わない。俺は俺の罪を背負う。……だが、ディアデマ。とにかくガストリディウムには気をつけろ。あいつの裏には、もっと巨大でヤバい連中がいる気がする」
真摯な忠告。しかし、ディアデマは冷たく彼を突き放した。
「……何が真実で、何が偽りか。今の私には判別できないわ」
「ディア……?」
「カルコサ戦の敗北以降、あなたの精神性は明らかに不安定よ。証拠もない素行調査や陰謀論に縋って副長を疑うなんて、異常だわ。あなたは、一度休職するべきよ」
親身な忠告を装った、完全な拒絶。
その瞬間、ハパロの中で、数日前からくすぶっていたある疑念が爆発した。
「……じゃあ、お前はなんだ」
ハパロは少し声を荒げ、ディアデマの肩を強く掴んだ。
「深夜、お前はガストと副長室で何をこそこそと話しているんだ!? 俺には休職しろと言っておきながら、お前自身があいつの『犬』に成り下がっているんじゃないのか!」
その問いに。
ディアデマは、自身も疑われているという事実に心底呆れたように鼻で笑った。
そして、ハパロの胸倉を逆に強く掴み返し、ハパロが思わず息を呑むほどの、人間味の一切ない冷酷な顔を間近に寄せた。
「――ポケルに頭でも冷やしてもらいなさい」
氷の吐息のような低い声でそう言い放つと、彼女は乱暴にハパロを突き飛ばし、足早に倉庫室を後にした。
ハパロは、暗い倉庫の片隅で、ただ唇を噛み締めて立ち尽くすことしかできなかった。




