002 歓迎されし男
ブルジュラの周辺は広大な砂漠に覆われている。巨大都市ゆえに来訪者の数は多い。故にここでは快適な移動手段をサービスするビジネスが繁盛している。ある者は飼いならした魔獣を、ある者は魔法と機械のハイブリッドマシンを提供し、この砂漠を乗り越える手助けをしているのだ。
王都を追放されてから数日。
ヒバリは、魔獣と機械を合わせた快適性の高い移動手段、通称「ベヒモス便」を用いて、ブルジュラを囲う砂漠を抜けた。かなり遠くまで走らせたのち、やっとわずかな緑が見えてくると、ヒバリはそこで降りた。
しばらくの間、彼は見知らぬ地方の街道を一人、探求心と観察を兼ねてフラフラと歩いていたが――
「……はぁ、はぁ。もう歩けない……。あそこで降りるべきじゃなかったかな……」
身体能力が皆無に等しい彼にとって、徒歩での長旅は地獄そのものであることを思い出した。
無塵室での引きこもり生活が長かったせいで、太陽の光すら眩しくて体力を削られる。食料も底を尽き、胃袋からは情けない音が鳴っていた。
「水が……水が飲みたい……」
フラフラと木陰に倒れ込みそうになった、その時。
前方の開けた街道から、地響きのような獣の咆哮が轟いた。
ヒバリが驚いて茂みの隙間から覗き込むと、そこでは三人のハンターが、一台の横転した荷馬車を背にして巨大な魔獣と対峙していた。
体長四メートルはあろうかという、全身を鋼鉄のような外殻で覆われた巨大な猪。
危険度Bランクの指定モンスター、『鋼殻激走猪』だった。
「くそっ! なんて硬え装甲だ、俺の斧が刃こぼれしやがった!」
最前線で巨大な盾と斧を構えているのは、日焼けした浅黒い肌の巨漢だ。
彼の横では、赤毛のツンツン頭をした少年ハンターが双剣を投げつけているが、猪の装甲に弾かれて火花を散らすだけだった。
「マスター! 俺の攻撃も全然通らねえッス! このままじゃ押し潰される!」
「コキネラ、下がりなさい」
焦る少年の前に、一人の女性が静かに進み出た。
艶やかな黒髪のポニーテール。簡素な革鎧に身を包んだ彼女の瞳は、氷のように冷たく、それでいて奥底に黄金色の光を宿していた。
彼女――ルキオラは、腰に提げた鉄剣をすらりと抜き放つ。
「私が脚の装甲を斬り裂きます。マスターたちはその隙に、荷馬車の御者を連れて逃げて」
「馬鹿野郎! ルキオラ! お前の剣じゃ無理だ! また自壊するぞ!」
巨漢の制止を振り切り、ルキオラは猪の突進に向かって真っ直ぐに踏み込んだ。
彼女の全身から、凄まじい密度の魔力が立ち昇る。しかし、それを鉄剣に注ぎ込もうとした瞬間だった。
――バツンッ!
という嫌な破裂音と共に、ルキオラの鉄剣の刀身が内側からドロドロに溶け落ちたのだ。
彼女の規格外の魔力に、市販の安価な魔導回路が耐えきれず、ショートして焼き切れたのである。
「っ……!」
武器を失い、無防備な姿を晒したルキオラに、鋼殻激走猪の巨大な牙が迫る。
「ルキオラぁぁぁっ!!」
巨漢が絶叫した、まさにその刹那。
「――排熱バイパス、全開放。単発式極大収束」
茂みの中から、聞き慣れない、ひどく理知的な呟きが響いた。
ルキオラたちの前に、ヨロヨロとした足取りのヒバリが立ち塞がる。その手には、鈍い銀色に光る、奇妙な形をした魔導短銃が握られていた。
「え……?」
ルキオラが目を丸くする前で、ヒバリは一切の躊躇なく引き金を引いた。
轟音が響く。
ヒバリの放った銃口から、目も眩むような超高圧縮の熱線が放たれた。
それはBランクモンスターの誇る鋼鉄の装甲を、まるで紙切れのようにあっさりと貫通し、猪の上半身そのものを一撃で綺麗に蒸発させてしまった。
ドスゥン、と。頭を失った巨大な猪の死体が、ルキオラたちの目の前に倒れ込む。
一撃必殺。完全なオーバーキルだった。
「いったぁぁぁっ……!」
しかし、撃った本人はといえば――
規格外の火力の反動に耐えきれず、後方に数メートルほど吹き飛ばされ、無様に尻餅をついて背中をさすっていた。
「あー、やっぱり僕の筋力じゃ反動を殺しきれないか。衝撃吸収ルーンの配置を見直さないと……」
ブツブツとオタク特有の早口で反省会を始めるヒバリ。
そんな彼を、巨漢と少年、そしてルキオラが、まるで化け物でも見るような目で凝視していた。
「お、おい……兄ちゃん。なんだよ今の……魔法か!?」
巨漢が恐る恐る近寄ってくる。ヒバリは痛む腰をさすりながら立ち上がった。
「魔法じゃありません。ただの『設計』です。魔力純度の高い結晶をチャンバー内で強制発火させ、回路で圧力を一方向に絞り込んだだけですよ。本人の魔力量に依存しない、僕の護身用の自作武器です」
「ご、護身用でBランクをワンパン……? 何者なんだアンタ」
「ただの、職を失ったしがない魔導回路設計士です。……それより」
グゥゥゥゥ。
ヒバリの腹が、限界を知らせる大きな音を立てた。
「あの、どこでもいいんで、ご飯を食べられる街を知りませんか……。もうしばらく何も食べてなくて……」
「……」
巨漢と少年は顔を見合わせ、直後、腹を抱えて豪快に笑い出した。
「ガハハハハッ! 面白い兄ちゃんだ! 命の恩人を野垂れ死にさせるわけにはいかねぇ! 俺たちは地方ギルド『アウラ・コピア』の者だ! 俺はギルドマスターのディナステス。こっちはコキネラだ」
「よろしくッス、ヤバい兄さん!」
「僕はヒバリです……。よろしくお願いします……」
ヒバリが握手に応じていると、ルキオラが静かに歩み寄り、深く頭を下げた。
「……助けていただき、感謝します。ヒバリ殿」
「いえ、間に合ってよかったです。……ただ」
ヒバリの視線は、ルキオラの顔ではなく、彼女の手の中でドロドロに溶け落ちた剣の残骸に釘付けになっていた。
「……ちょっと、その剣の破片、見せてもらってもいいですか?」
◆◆◆
ディナステスたちに連れられ、ヒバリは王都と砂漠を抜けた先に位置する水郷都市ファウンテンに到着した。
その名の通り、この街は豊かな地下水脈の上に築かれている。街の至る所に清らかな水路が張り巡らされ、水車がのどかな音を立てて回っていた。王都の澱んだ空気とは無縁の、青々と茂る農地が広がる美しい場所だ。
「……信じられない。なんだ、この魔力純度の高さは……」
水路のほとりを歩きながら、ヒバリは震えていた。
水に含まれる不純物が一切ない、完全な「天然の超純水」。魔導ウェハーの洗浄にこれほど適した環境は、世界中を探してもそうはない。
「おーいヒバリ! 早くギルドに来い! 飯の用意ができてるぞ!」
「あ、はい! 今行きます!」
木の温もりに溢れたロッジ風の建物。看板には『アウラ・コピア』と彫られている。
中に入ると、金髪を三つ編みにしたそばかす顔の受付嬢、アピスが山盛りのシチューを持って駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませー! マスターから聞きましたよ、すごい武器を持ってるんですってね!」
「あ、ありがとうございます……いただきます」
ヒバリがシチューをかき込んでいる間、ギルドの隅では沈鬱な空気が流れていた。
ルキオラが、溶けた鉄剣の残骸をテーブルに置き、マスターのディナステスに頭を下げていたのだ。
「……申し訳ありません、マスター。またギルドの備品を壊してしまいました」
「いや、いいんだがよ……。いくらなんでも、お前は武器の扱いが荒すぎるぜ。今月で三本目だぞ。これじゃあ、お前の腕が立っても、Dランク以上の依頼は任せられねぇ」
「……はい」
ルキオラは感情の読めない顔で謝罪し、諦めたように目を伏せた。
その光景を見ていたヒバリは、スプーンを置き、ふらりと彼女のテーブルへと歩み寄った。
「扱いが荒いんじゃない。手入れが悪いのでもない」
ヒバリの声は、先ほどまでの弱々しい青年のものではなく、冷徹なプロの技術者のそれに変わっていた。
「その剣の基板の絶縁体は、物理的に破壊されたんじゃない。魔力的に焼き切られてる。コンマ一秒の間に、この量産型チップの許容電圧の……ざっと四十倍以上の魔力が一気に流れ込んだ痕跡だ」
「え……? 兄ちゃん?」
ディナステスが戸惑うのも構わず、ヒバリはオタク特有の凄まじい早口で捲し立てた。
「この溶け方は異常だ! ルキオラさんと言ったね。君の体内で生成されている魔力は、例えるなら『決壊寸前の巨大ダム』だ。君は普段、武器が壊れないように出力の九割九分を無理やり抑え込んで、蛇口から一滴ずつ垂らすように戦っているはずだ。それでも、君の基礎電圧が高すぎるせいで、いざという時に市販の安物のチップじゃ耐えきれずにショートを起こしてるんだ!」
水を打ったような静寂が、ギルドを包み込んだ。
ルキオラだけが、黄金色の瞳を大きく見開き、信じられないものを見るようにヒバリを見つめていた。
「……なぜ、それが分かるのですか」
彼女の声が、微かに震えていた。
「私の魔力が異常なこと。これでも、必死に抑え込んでいること……。王都の鑑定士ですらただ魔力制御が下手なだけの落ちこぼれだと吐き捨てたのに」
「王都の連中は節穴の集まりだからね!」
ヒバリは鼻で笑った。
「君は落ちこぼれなんかじゃない。ただ、君という『超高出力エンジン』を積むための『器』が、この世に存在していないだけだ。既存の魔導回路じゃ、君の全力の魔力を流した瞬間に熱暴走で自壊する」
ヒバリの言葉は、ルキオラが長年抱え続けてきた劣等感と、誰にも理解されなかった孤独の核心を、いとも簡単に射抜いた。
「……なら、私はどうすればいいのですか」
ルキオラは縋るように、しかしどこか諦観を滲ませて言った。
「全力で剣を振るうことすら許されないのなら、私は一生、弱いモンスターを相手に……」
「僕が作ろう」
ヒバリは、力強く、狂おしいほどの自信に満ちた笑顔で言い放った。
「君の規格外の電圧を完全に熱へ変換して吐き出す『次世代のパワー魔導チップ』。それを組み込んだ、絶対に壊れない専用の武器を。僕と、この街の完璧な水があれば、必ず作れる」
ヒバリはルキオラに向き直った。彼の目には、最高傑作のインスピレーションが閃いていた。
「ルキオラさん。君の全力を、僕に設計させてくれないか」
その瞬間、ルキオラの冷たかった黄金の瞳の奥で、確かな熱が灯ったのを、ヒバリは見逃さなかった。




