017 見え隠れする闇
大パニックに陥った巨大カジノ『ゴールデン・ダイス』の地下。
非常用電源の薄暗い赤い光が明滅する中、ヴァリエタスのハンターたちと、都市の治安維持を担うシェリフたちが現場に駆けつけていた。
「……なんやこれ。いったいここで何が起きたんや」
中堅ハンターのヴェスパは、駆けつけたシェリフと共に、その常軌を逸した光景を前にして完全に言葉を失っていた。
崩落した天井。そして、床にうず高く積もった数トンもの『金貨の山』。
いや、それはもはや山というより、超高温の雷撃によってドロドロに溶接され、赤熱して固まった巨大な黄金のオブジェと化していた。そして、その異様な黄金の牢獄の中心には、黒焦げになった巨大な機械腕と、完全に炭化した大男の死体が埋まっている。
「……すさまじい高圧電流で焼かれた痕跡や。せやけど、これほどの電力を一体どうやって……」
シェリフが呻くようにまじまじと死体を見つめていると、背後から別のシェリフが血相を変えて駆け寄ってきた。
「あきません、カジノ全体の監視カメラのデータが、メインサーバーごと跡形もなく抹消されとります! 復元は不可能ですわ!」
「なんやて……?」
ヴェスパは顔をしかめた。監視カメラのデータを完全に消去し、これほどの破壊を誰にも気づかれずにやってのけた。プロの犯行だ。それも、オーラムの強固なセキュリティを軽々と突破するほどの、規格外のハッカーの。
一方、カジノの外。
ブラックアウト騒ぎでパニックになり、建物から逃げ出してきた客たちでごった返す大通りの人混みの中。
その喧騒に紛れるようにして、一人の女が立っていた。
しなやかな豹を思わせるアスリート体型。紫がかった銀色の髪をボーイッシュなショートカットにしているその女――ファウンテンでヒバリを強襲し、腕を失って逃走した暗殺者である。
彼女は、人混みの中で携帯端末を耳に当てていた。その端末を握っているのは、ヒバリに蒸発させられた生身の腕の代わりに急造で取り付けられた、禍々しい『漆黒の左の義手』だった。
「――コヌスさんがやられたみたいです」
感情の読めない声で淡々と報告する。
通信越しから、女の声が響いた。バルカン社の絶対的指導者――ミレポラだ。
『そう』
ミレポラの声には、味方を失った悲哀や動揺など微塵も含まれていなかった。ただ冷徹な打算だけが響く。
『カルキア、死体の回収を急いで。最悪、データがとられなければ何したってかまわないわ』
「承知しました」
女――カルキアは短く答え、通信を切った。
彼女が携帯端末を下ろすと、漆黒の左の義手から、ウィィィン……と静かで不気味な駆動音が鳴った。
カルキアは氷のような瞳でパニックに陥るカジノの入り口を見据え、そのしなやかな脚で、ゆっくりと騒乱の中心へと歩み寄っていく……。
◆◆◆
その頃――
黄金都市の狂騒から遠く離れた、王都ブルジュラ。
世界最大規模のハンターギルド『ソラリス』の本部ビル最上階。夜の闇に沈む王都の冷たい夜景を一望できる副長室では、分厚い防音扉に守られた重苦しい静寂が漂っていた。
室内の照明は落とされ、足元を照らす間接照明だけが、最高級の革張りのソファに腰掛ける「ある人物」の輪郭を妖しく浮かび上がらせている。
ギルド副長であるガストリディウムは、自身の広大な執務デスクではなく、応接用の低いテーブルの前に立ち、もみ手をするようにしてその人物に語りかけていた。
「……ボスから連絡がありました。コヌス殿が、殺されたようです」
報告をするガストリディウムの丸みを帯びた顔には、明らかな焦燥と怯えが浮かんでいた。組織の計画通りにギルドから追放し、手出しのしやすい独り身へと追いやったはずの青年が、実はTALOSの精鋭すら葬り去るほどの化け物であったという事実。その想定外の事態が、自身の保身を根底から揺るがしている。
だが、ソファに深々と腰を下ろしているその人物は、焦る副長とは対照的に、ピクリとも表情を変えなかった。
「…………」
「ファウンテンの件といい、我々はあの男を、少々侮っていたのかもしれませんな」
ガストリディウムは、脂の浮いた額の汗を絹のハンカチで拭いながら、言い訳がましく乾いた声で続ける。
「奴が我々に気づかないことを、祈るしかありませんな」
ガストリディウムは愛想笑いのような苦笑を浮かべるばかりだった。
だが、ソファに座る人物は相変わらず無言のままだ。グラスの氷が溶ける微かな音すら響くほどの沈黙が、部屋の温度をさらに数度下げているように錯覚させる。
無言の底で、その人物は冷酷に嗤っていた。侮っていたのではない。ガストリディウムのような底の浅い連中が、あの天才アーキテクトの真の価値を測り損ねたせいで、完璧であったはずの計画に狂いが生じているだけなのだ。
やがて、その人物はつまらなそうに立ち上がった。怯える副長には一瞥もくれず、静かな足取りで部屋の出口へと向かって歩き出す。
「あ、ああ、それから! ハパロの件ですが……」
去り際の背中に向かって、ガストリディウムがすがるように声をかけた。最近のハパロの精神的な不安定さは、部隊の運営にも支障をきたし始めていた。
扉のノブに手をかけたその人物は、振り返ることなく、氷のように冷たく澄んだ声で答えた。
「それはお前に任せる」
短い一言だけを残し、重厚な扉が静かに開かれ、そして閉ざされた。
防音扉の外。
深夜の薄暗い廊下に出た彼女の歩みが、ピタリと止まる。
「――遅かったな」
大理石の壁に背中をもたれかけ、腕を組んで待っていたハパロクラエナの姿があったからだ。
彼は純白のコートを纏ってはいたが、かつての王都を支配していたような傲慢な態度は鳴りを潜めている。目の下には微かな疲労の隈が浮かび、まるで狩りの獲物を狙うかのような、あるいは見えない恐怖から逃れるような、鋭く探る視線を彼女に向けていた。
「ヘテラが次の依頼についてミーティングをしたいと言ってる」
「副長とその件について話し合いがあるって、言っておかなかったかしら」
彼女は、表情を一切崩さずに淡々と答えた。その声は、つい先ほどまで副長室で見せていた絶対的な冷徹さから、テネブレ部隊の理性的な副隊長のそれへと、完璧に切り替わっていた。
「全員が揃わないとミーティングの意味がないって、あいつがいつも言うだろう」
「だから、ずっとここで待っててくれたの?」
彼女の問いかけに、ハパロは壁から背中を離し、張り詰めた糸のようにゆっくりと近づいてきた。
「いや、お前個人に話したいことがあるんだ、ディアデマ」
「……なにかしら?」
テネブレの副隊長ディアデマは、涼やかな顔でハパロを見つめ返した。
ヒバリの技術力を誰よりも理解し、部隊の良心であるかのように振る舞っていた彼女こそが、この腐敗したギルドのさらに奥深く、巨大な闇の中枢に座す者だった。
ハパロは言葉を発する代わりに、顎でクイッと、彼女が出てきたばかりの『副長室の扉』を示した。
「…………」
その意味深な行いに、ディアデマは、それまで見せていた部隊の仲間としての温かみを一瞬にして消し去った。
ハパロが思わず息を呑むほどの、底知れない深淵。まるで人間ではない上位の捕食者が獲物を見下ろすような、極めて冷酷で残虐な瞳を、彼女はハパロに向けた。
◆◆◆
明け方――
重層都市バビロンの中心にそびえ立つ、バルカン社本社ビルの最上層。絶対的指導者であるミレポラの私室は、彼女の普段の豪奢な装いとは対極にある、広大だが酷く質素で殺風景なモノトーンの部屋だった。
生活感というものが一切排除された、まるで高級な霊安室のような冷たい空間。そこには巨大な黒い大理石のテーブルだけが置かれ、彼女は一人、静かに朝食をとっていた。
部屋の片隅には、完璧な美少年の姿をした秘書・オリンディアスが、彫像のようにじっと佇んでいる。彼からは呼吸の音すら聞こえない。
壁面を覆い尽くす巨大なモニターには、早朝のニュース番組が映し出されていた。
『――昨夜未明、黄金都市オーラムの巨大カジノで大規模な連続テロ事件が発生しました。全館のブラックアウトに続いて発生した大規模な火災により、警備に当たっていた地元ギルド「ヴァリエタス」のハンターをはじめ、一般客を含む三十名以上が犠牲となったと報じられています――』
画面の中では、オーラムの象徴であったカジノが黒煙を上げ、無残に燃え崩れていく様子が繰り返し再生されている。泣き叫ぶ人々の声が、無機質な部屋に空しく響く。
しかし、ミレポラの完璧な美貌に憐憫や驚きは微塵も浮かばない。彼女はこの凄惨な事件の真相を知っているからだ。原因不明の火災などではない。暗殺者カルキアが、コヌスの死体という組織の痕跡を完全に隠滅するため、カジノごと証拠を燃やし尽くしたのだ。
ミレポラは、白のテーブルクロスの上に置かれた携帯端末に目をやった。
モニターには、暗号化された短いメッセージが表示されている。
『遺体は燃やしました』
彼女はそれを一瞥したあと、「ふん」とつまらなそうに鼻で笑い、メッセージを跡形もなく消去した。味方の死も、それに巻き込まれた数十人の命も、彼女にとってはただのデータ上の「処理済みタスク」に過ぎない。
「今日のスケジュールは?」
ミレポラが、精巧に作られた銀のナイフとフォークを使い、彩り豊かな朝食を優雅に口元へ運びながら問いかける。だが、その瞳は料理を全く見ておらず、味など感じていないかのようだった。
「午前十時より兵器開発部門との定例会議、十一時にゼニス中央評議会からの視察団への対応。午後一時には……」
オリンディアスが、分刻みでぎっしりと詰まったバルカン社社長としての一日のスケジュールを、抑揚の一切ない機械的な声で淀みなく読み上げていく。
それを聞き流しながら、ミレポラがハーブティーのカップを手に取り、カップの縁を指でなぞりながら再度問いかけた。
「裏の方は?」
「グラウクス様が、直接会って話がしたいと申しております」
オリンディアスが答えた。
「彼はこっちに?」
「すでにバビロンに到着されております」
ミレポラの柳眉が、微かにピクリと動いた。
あの男がわざわざバビロンまで足を運んでくるとは。ヒバリの件、あるいはオーラムでの失態について、何らかの牽制を仕掛けてくるつもりだろうか。
「なら、時間を調整して頂戴。退屈しのぎにはなるかもしれないわ」
「かしこまりました」
オリンディアスの虚ろな瞳の奥で緑色のコードが高速で流れ、瞬時に表の膨大なスケジュールが再構築され、秘密裏の会談の時間が確保されていく。
ミレポラはカップを傾け、壁面のモニターへと視線を戻した。
画面の中では、未だに鎮火しないオーラムの炎が赤々と揺らめいている。
彼女は、まるで出来の悪い映画でも見るかのような、極めて冷酷で空虚な瞳で、灰燼に帰していく街のニュースをただ静かに眺め続けていた。




