014 対ハンター用自己防衛アーキテクチャ パラディウム
ヴェスパの案内で通されたのは、ヴァリエタスが運営する巨大カジノ『ゴールデン・ダイス』の上層階に位置する、VIP専用の豪華なゲストルームだった。
壁一面に広がる分厚い防音ガラスの向こうには、不夜城と化した黄金都市オーラムの狂騒が一望できる。天を焦がすような黄金色の魔導ネオンと、大通りを埋め尽くす欲望にまみれた群衆の熱気。分厚いガラス越しでさえ、むせ返るような金と暴力の匂いが伝わってくるようだった。
室内はといえば、足首まで沈み込むような毛足の長い絨毯に、重厚な革張りのソファ、バビロン製の環境制御機能付きの最新式魔導家具がこれ見よがしに並べられた、いかにも成金趣味な豪奢な空間だ。
だが、ヒバリは窓の外の絶景にも豪華な調度品にも一切目もくれず、すでに網膜に投影した仮想スクリーン上で、カジノ地下に眠るギルドのメインフレームへの侵入ルートを恐るべき速度で演算し始めていた。
「いやぁ、それにしてもヒバリはん」
部屋の隅でふんぞり返っていたヴェスパが、呆れたような声を上げた。
「王都のエリートが、そんなボロボロの作業着でオーラム歩いとったら、足元見られまっせ。カジノの連中も不審がるし、なによりタチの悪いハイエナどもに絡まれかねへん」
「……ああ、すみません。色々と急いでいたもので」
ヒバリが苦笑いしながら焼け焦げた袖口を隠すと、ヴェスパは「しゃあないなぁ」と立ち上がった。
「俺のツテで、ちょっと見繕ってきますわ。昔お世話になった王都の天才さんに恥かかせるわけにはいかんしな。風呂でも入って待っててください」
数十分後、戻ってきたヴェスパが持ち込んだのは、オーラムの高級テーラーで仕立てられた、裏地に特殊な魔力防護繊維が編み込まれた漆黒のダークスーツだった。
――ヴェスパが仕事に戻った後。
ヒバリはシャワールームの熱い湯に打たれながら、静かに目を閉じていた。
頭をよぎるのは、ファウンテンの惨劇。自身の腕の中で冷たくなっていったルキオラの体温。湯と共に足元の排水溝へ流れていくのは、付着した煤や油汚れだけでなく、かつて「温和な裏方の技術者」であった自分自身の残滓のように思えた。
シャワーを終え、鏡の前に立つ。
仕立ての良いダークスーツに身を包んだヒバリは、まるで別人のようだった。ボサボサだった黒髪は整えられ、温和でひ弱な青年から、どこか底知れない凄みと冷徹な雰囲気を纏う男へと変貌している。光を吸い込むような薄暗い瞳が、スーツの漆黒と相まって、不気味なほどの静けさと死の気配を放っていた。
「ありがとうございます、ヴェスパさん」と礼を言う自分を思い出す。
だが、ヴェスパのような普通のハンターを、己の復讐に巻き込むわけにはいかない。
(……さて、準備を始めようか。僕、一人で)
鏡の前でネクタイを締め直し、ヒバリが左手首のインプラントに触れ、物理接続用のケーブルを展開しようとした、まさにその矢先。
――ピンポーン。
不意に、部屋のチャイムが鳴った。
ヒバリの左手首のインプラントが微かな駆動音を立て、いつでもナノ・ルーンを展開できるよう臨戦態勢に入る。気配を消し、静かに扉を開ける。
そこに立っていたのは、防壁のゲートで警備に就いていた新米ハンター、ボンブスだった。ティアドロップ型のゴーグルを額に乗せ、人懐っこい笑みを浮かべている。
「よう、王都の天才さん。……あ、いや、ヒバリはん」
「君は、さっきの。どうしたんだい?」
「あの……ヒバリはん、シガヌスはんのこと探してはるんですよね? 実は俺、あの人がよう使っとる裏の工房の場所、知ってるんですわ」
ボンブスは声を潜め、少し申し訳なさそうに周囲を気にしながら囁いた。
「ヴェスパの兄貴たちには内緒にしとる場所なんで、ギルドを通すとややこしくなるんです。でも、王都からわざわざ来てくれはった恩人やし……俺でよければ、こっそり案内しますよっ」
ボンブスの瞳は真っ直ぐで、その人懐っこい笑顔には微塵の下心や悪意も感じられなかった。いかにも、田舎の純朴で親切な青年が、尊敬するエリートの手助けをしたいと申し出ている――そんな、完璧なまでに自然な振る舞いだった。
ヒバリは、その言葉に何の疑いも持たなかった。
王都ソラリスでは冷酷な裏切りに遭ったヒバリだが、水郷都市ファウンテンで出会ったアウラ・コピアの温かい人々との記憶が、彼の警戒心を無意識のうちに解いていたのだ。この欲望と暴力の街にも、あのアピスやコキネラたちのように、純粋な善意で手を差し伸べてくれる若者がいるのだと、ヒバリは素直に信じ込んでしまった。
「……ありがとう。助かるよ、ボンブス君」
「はいっ、任しといてください!」
ヒバリは、シガヌスの手がかりに近づけた安堵と、若者の親切に対する心からの感謝を胸に、何の疑いも持たずに豪華な部屋を後にした。
◆◆◆
カジノの裏路地を抜け、ネオンの光も届かないスラム街の奥深く。
ボンブスが案内したのは、魔導車のスクラップが山のように積まれた、薄暗くカビ臭い廃倉庫だった。
トタン屋根の隙間からわずかに差し込む月光だけが頼りの空間。空気は淀み、鼻をつく機械油の悪臭と、得体の知れない腐臭が混ざり合って漂っている。シガヌスの工房というには、あまりにも荒れ果てた場所だった。
「ここが、工房……?」
ヒバリが訝しげに周囲を見渡しながら、油まみれの床へ足を踏み入れた、その瞬間。
――ガンッ!!
背後から、ボンブスがヒバリの背中を強烈に蹴り飛ばした。
「ぐっ……!?」
鈍い痛みが背骨を走り、細身のヒバリは為す術もなく床に転がる。支給されたばかりの真新しいダークスーツが、汚泥と油に塗れて真っ黒に汚れた。
肺の空気を吐き出し、激痛に顔を歪めながら振り返ると、そこには信じられない光景があった。
「へへっ、馬鹿なエリートやで。こんな薄暗いとこにホイホイついて来よってからに」
ヒバリを見下ろすボンブスの顔から、先ほどまでの純朴な好青年の面影は完全に消え失せていた。口の端を歪め、弱者をいたぶることを悦ぶような、下卑た笑い声を上げている。
同時に、倉庫の奥に積まれたコンテナの陰から、鉄パイプや魔力スタンロッドを手にしたガラの悪い野良ハンターたちが十数人、ゾロゾロと姿を現した。全員がボンブスの手駒らしく、油断なく武器を構え、ヒバリを泥に塗れた獲物を見るような下劣な目で囲み込む。
(騙さ……れた……?)
ヒバリの脳が、すぐには状況を処理しきれずにいた。
また、騙されたのか。この街でも、やはり人間の善意など幻に過ぎなかったのか。
自身の甘さを嘲笑うかのように、下っ端たちが容赦なくヒバリの両腕を乱暴に取り押さえた。
「さてと……。まずはちょっと、大人しゅうしてもらおか」
――――数分後。
ヒバリは倉庫の中央で、錆びついた鉄の椅子に太いロープで何重にも縛り付けられていた。
ボンブスの合図と共に、野良ハンターたちの容赦ない暴行が始まる。鈍い音を立てて腹部を鉄パイプが殴打し、スタンロッドの紫色の電流がヒバリの身体を容赦なく焼く。頬が切れ、口の端から一筋の血が流れ落ち、白いシャツの襟元を赤く染めた。
「オラッ! 王都のエリート様はどうしたんや!?」
「さっきまでのスカした顔してみぃや! 泣いて命乞いせんかい!」
下っ端たちが嘲笑いながらヒバリの腹を蹴り上げる。
ヒバリは、肉体を苛む激痛に耐えながら、血の混じったうわ言のように繰り返した。
「なぜ……君は……」
彼の中にあった、誰かの善意を信じようとしたわずかな希望の欠片が、暴力という現実によって無惨に踏みにじられ、粉々に砕け散っていく。
「……おい、お前。さっさと口割らんかい」
ヒバリの哀れな姿に満足したのか、ボンブスが苛立たしげに歩み寄り、ヒバリの血まみれの胸ぐらを掴んで凄んだ。
「お前の頭ん中にあるデータを吐け。全部吐き出したら、俺の権限で命だけは助けたるわ」
その言葉を聞いた瞬間。
ヒバリの薄暗い瞳から、人間らしい感情の揺らぎが、スゥッと音を立てて完全に消え失せた。
こいつらは、ただの強盗でもなければ、身代金目的の誘拐犯でもない。明確に「ヒバリの持つ技術」を狙っている。つまり――ファウンテンを襲撃し、ルキオラたちを惨殺した連中と同じ穴のムジナだ。自分の命と技術を狙い、大切な居場所を奪った、悪意の塊。
血と泥に塗れた顔をゆっくりと上げたヒバリは、もはや痛みに顔を歪めることはなかった。ただ無言で、氷のように冷たく、一切の温度を感じさせない機械のような瞳でボンブスを見据え、薄く嘲笑った。
「な、なんやその目は……っ!」
気味の悪さに、ボンブスが思わず胸ぐらから手を離し、一歩後ずさる。
凄惨な暴行を受けているにも関わらず、こいつの呼吸と心拍数は不気味なほど一定に保たれている。苦痛に歪むはずの顔には、微かな冷笑すら浮かんでいる。なぜ怯えないのか。なぜ余裕なのか。得体の知れない恐怖が、ボンブスの背筋を撫でた。
「強がんのも今のうちやぞ……!」
自身の内に芽生えた恐怖を誤魔化すように、焦りと苛立ちを募らせたボンブスがついに声を荒らげた。
「あと数時間で、俺の上司がここに着く! あの人の拷問はお前なんかが耐えられるもんやないで! 大人しゅう『ジェネシス・コード』のデータを全部吐け! そうすりゃ助けたるって言っとるんや!」
――その瞬間。
ヒバリの薄暗い瞳の奥で、無数の情報が恐るべき速度で結合し、一つの明確な答えを弾き出した。
(……『ジェネシス・コード』。僕の頭脳にある情報を、そう呼んで執着する連中。そして『上司』という言葉……)
点と点が、完全に繋がった。
自身の命を狙う組織。ファウンテンの惨劇。そして、バスターソードを奪っていったあの機械の男。
ヒバリは口の端から流れる血をペロリと舐めとり、静かに、そして冷酷に呟いた。
「……なるほど。君はただのチンピラじゃない。ファウンテンを襲ったあの機械の男――TALOSのサイボーグの仲間だったか」
「……ッ!!」
絶対に知られているはずのない上司の素性と、自身の正体を完全に見破られ、ボンブスの顔が驚愕と、そして隠しきれない怒りで朱に染まった。
「てめぇ……! さらに痛めつけんと気ぃ済まんようやな! おい、こいつの手足の骨、全部折ったれ!!」
ボンブスの怒号と共に、野良ハンターたちが殺意を剥き出しにして一斉にヒバリへと襲い掛かった。
振り下ろされる無数の鉄パイプと凶刃。
その、完全なる死の直前。
「――自衛機能、完全展開」
ヒバリの冷徹な声が、廃倉庫の淀んだ空気を瞬時に凍らせた。
彼のダークスーツの下、その皮膚から、液状の『ナノ・ルーン』が爆発的な勢いで溢れ出した。
それは瞬時にヒバリの全身を覆い尽くし、拘束していた極太のロープと錆びついた鉄の椅子を、内側からの圧倒的な膨張率で木端微塵に粉砕した。
「なっ……なんや!?」
襲い掛かっていたハンターたちが、突如として吹き上がった高熱の蒸気に顔を覆い、後退する。視界が真っ白に染まり、チリチリと肌を焼くほどの異常な魔力密度が倉庫内に充満していく。
蒸気が晴れた後。
そこに立っていたのは、血と泥に塗れたボロボロの青年ではなかった。
純白を基調とした、極限まで無駄を削ぎ落とした流線型の全身装甲。その白亜のボディの至る所を、魔力回路の如く這い回る鋭角的なエネルギーラインが、禍々しい赤色に発光している。
胸部中央には、莫大なエネルギーを圧縮した円形動力コアが心臓のように赤々と明滅し、頭部を覆うヘルメットには、鋭い二本のツノを備えた複眼状のバイザーが、血のような真紅の光を煌々と放っていた。
それは、ルキオラたちと出会うずっと前。
ソラリス在籍時代から、ヒバリが自身という「世界最高の頭脳」を外敵から守るためだけに、途方もない資金と技術を注ぎ込んで極秘裏に組み上げ続けていた、最高傑作たる対ハンター用自己防衛アーキテクチャ――『パラディウム』の真の姿だった。
「ひ、ひぃぃっ!?」
「バケモンか!?」
恐怖に駆られたハンターの一人が、ヤケクソ気味に太い鉄パイプを振り下ろす。
ガィィンッ!!
甲高い金属音が鳴り響くが、白と赤の装甲は傷一つ付かないどころか、微動だにしない。逆に、打ち付けた鉄パイプの方が無残にひしゃげ、ハンターの腕の骨が自壊して悲鳴を上げた。
「数時間で来るんだってね」
装甲の外部スピーカーから、無機質に変換されたヒバリの冷徹な声が響いた。
直後、パワードスーツの両手の甲から、超高熱で赤く輝く魔力刃が、ジュワッという空気を焼く音と共に瞬時に形成された。
「なら、それまでに終わらせる」
ヒバリの身体が、かき消えた。
「え――」
ハンターが声を上げる間もなかった。
パワードスーツの圧倒的な魔力推進スラスターによる神速の機動。空間を切り裂くような赤い閃光が、倉庫内を縦横無尽に駆け抜ける。
ズバァァァァンッ!!
エネルギーダガーの斬撃は、野良ハンターたちが構えた鉄製の武器を紙切れのように切断し、そのまま彼らの両手両足を、一切の抵抗なく滑らかに切り飛ばしていった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
「腕が……俺の腕がぁぁぁっ!!」
「助け……ひぎぃっ!?」
鮮血の飛沫が舞い、床に無数の断末魔と肉塊が転がる。
圧倒的な膂力とスピード。ただのひ弱な技術者であったはずのヒバリが、パワードスーツの補助により、熟練のハンターすら凌駕する虐殺の嵐を巻き起こしていた。
わずか十数秒。
倉庫にいた十数人の野良ハンターたちは、全員が四肢を切り刻まれ、壁に叩きつけられて完全に沈黙した。先ほどまでヒバリをいたぶっていた者たちが、己の血の海の中で痙攣している。
「ヒィィィィィィッ!! く、来んな!!」
たった一人だけ残されたボンブスは、完全な恐怖で失禁し、腰を抜かしてドロドロの床を這いずりながら逃げようとしていた。
だが、その背中に。
――ガツンッ。
絶対的な質量を伴った白亜のブーツが、容赦なく踏み下ろされた。
「がはっ……!」
床に押し付けられ、背骨がミシミシと悲鳴を上げる。
ボンブスが恐怖に引きつった顔で振り仰ぐと、逆光を背負った白と赤の悪魔が、真紅に発光する無機質な複眼で自分を静かに睨み下ろしていた。
「あ……あぁ……っ、許して、俺は言われた通りに……っ」
ヒバリは冷酷な機械の顔のまま、熱を帯びた赤いエネルギーダガーの先端を、ボンブスの右目にジリジリと近づける。
肌が焼ける熱気と、自身のまつ毛が焦げる匂いに、ボンブスは鼻水と涙を撒き散らして命乞いをした。
「じゃあとりあえず、君のその『上司』とやらと、君が関わっている組織について、教えてくれるかな?」
装甲のスピーカー越しに響くその声は、怒号でもなく、普段のヒバリの温和な口調そのものだった。
だが、その感情の一切こもっていない丁寧な言葉遣いこそが、絶対的な力の差と静かな狂気を際立たせ、ボンブスの心を根元から粉々にへし折るには十分すぎた。
「お、俺はただの雇われた末端やから組織の名前なんて知らん! 『コヌス』って呼ばれとる機械の腕の男と、あと二時間くらいしたら、ギルドの地下カジノの金庫室で落ち合う手はずになっとる! ホンマにそれだけや!」
震え上がるボンブスから全ての情報を聞き出した後。
ヒバリは容赦なく右脚の装甲でボンブスの後頭部を蹴り抜き、彼を深い気絶の底へと沈めた。
「コヌス……到着まであと約二時間か。……十分だ」
ヒバリが短く呟くと、全身を覆っていた白と赤の装甲がシュルシュルと音を立てて液状化し、再び皮膚の下へと収納されていった。
残されたのは、血と油と泥に塗れた、ところどころ焼け焦げたダークスーツ姿のヒバリ。だが、その薄暗い瞳に宿る復讐の炎は、先ほどよりもさらに暗く、激しく燃え盛っている。
ヒバリは血で汚れた手を払い、ダークスーツの襟を正すと、足早に廃倉庫を後にした。
向かうは、黄金都市の地下深く――ヴァリエタスのメインサーバー室である。




