012 バルカンの社長
極彩色のネオンサインが、スモッグに霞む夜空を不夜城のように照らし出している。
空を塞ぐように何層にも重なった巨大なハイウェイには、流星群のように無数の魔導車が光の帯を作って行き交い、その眼下の階層では、欲望と喧騒にまみれた数千万の人々が蟻のようにひしめき合っている。
魔導と機械が極限まで融合し、過剰なまでの繁栄を遂げた極東のメガロポリス――重層都市バビロン。
その街の中心で、周囲の摩天楼を見下ろすように一際高くそびえ立つ、黒鋼と強化ガラスで構成された巨大な超高層ビルがあった。
世界最高峰の魔導細胞技術と兵器開発力を誇る巨大軍事企業、バルカン社の本社ビルである。
その最上層部に位置するエグゼクティブ・フロアは、外の喧騒が嘘のように冷たく洗練されていたが、そこを行き交う社員たちの動きは戦場のようにせわしなかった。
無数のホログラムスクリーンが宙に浮かび、絶え間なく株価や各プラントの稼働状況、兵器のテストデータが更新されていく。
その慌ただしい廊下の中央を、社員たちが海が割れるように道を開けながら、畏怖の視線を向ける一人の女性が歩いていた。
「――第四プラントにおける新型生体装甲の歩留まりが目標値を三%下回っています。現場主任は魔力定着液の純度不足を指摘していますが」
「言い訳ね。定着液の純度ではなく、培養槽の温度管理アルゴリズムが甘いのよ。第三層のコードを私が書いたパッチに書き換えなさい。明日までに改善されなければ主任はクビ。実験体の餌にでもしてちょうだい」
歩きながら冷徹な指示を飛ばすその女性こそ、泣く子も黙るバルカン社の絶対的指導者――ミレポラ。
血のように赤い高級なイブニングドレスの上に、使い込まれた研究者の白衣を羽織るというちぐはぐな出で立ち。ウェーブのかかった艶やかな銀髪が歩くたびに揺れ、シワ一つない肌と深紅のルージュが、彼女の「見た目は二十代」という異様な若さを際立たせている。
「承知いたしました。該当主任には警告を発出、パッチデータを各プラントへ一斉送信します」
ミレポラの斜め後ろを、影のようについて歩く少年が淡々と答えた。
彼女の秘書である、オリンディアスだ。
銀色のおかっぱ髪に、完璧すぎるほど整った美少年の顔立ち。しかし、その陶磁器のように滑らかな肌には体温が感じられず、瞬き一つしない瞳の奥では、凄まじい速度で緑色のソースコードが滝のように流れ続けている。
彼は脳をクラウド上にアップロードされた完全な情報体であり、この完璧な美少年の肉体は、ただの端末に過ぎない。
「次の予定を」
「一〇時一五分より、国防軍幹部との次期主力ドローン導入に関するオンライン会議。一一時より、第七研究室にてクロエイア型の『スイスアーミー機構』のアップデート視察が控えております。なお、先ほどの指示により空いた三分で、午後からの取締役会の資料に目を通すことが可能です」
「完璧よ、オリンディアス。機械は人間と違って無駄がなくて本当に好き」
ミレポラは妖艶に微笑むと、駆け寄ってきた開発部の重役から差し出されたタブレット端末を一瞥した。
「社長! 新開発の対魔獣用ウィルスの承認をお願いしたく――」
「遅い。貸しなさい」
ミレポラはタブレットを受け取るなり、自身の右手の『人差し指』を画面に直接突き立てた。
カチッ、と。
彼女の美しい指先が、まるで鋭利な万年筆のペン先のように変形し、タブレットの端子口に物理的に突き刺さる。ケーブルすら介さず、生身の肉体から直接データリンクを行う彼女自身の自己改造技術。
瞬時に数千ページのデータを自身の脳内で並列処理し、わずか二秒で指を引き抜いた。
「承認済みよ。ただし、ウィルスの致死性をあと一五%引き上げるように再構築してあるから、その通りに製造ラインを回しなさい」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
重役が冷や汗を拭いながら頭を下げるのを尻目に、ミレポラは歩みを止めず、重厚な社長室の扉へと向かった。
静音設計された扉が閉まると、外のせわしないフロアの雑音が完全に遮断され、広大で豪奢な社長室に静寂が満ちた。
床には最高級の絨毯が敷き詰められ、壁一面の巨大な窓からは、バビロンのネオンの海と、空を飛ぶ魔導車の光跡が一望できる。
ミレポラは部屋の中央にある巨大なデスクに腰を下ろすと、ふぅ、と小さく一呼吸ついた。
そして懐から煙管型の電子ハーブを取り出し、深紅の唇に咥える。先端が青白く光り、妖しい紫色の煙が彼女の吐息と共に宙に舞った。
「あー……馬鹿な人間の相手は疲れる。少し休むから、会議まで回線を切っておいて」
「畏まりました、ミレポラ様」
オリンディアスが一礼し、オフィスの外部通信を遮断しようとした、その時だ。
ピィン……ッ。
無機質な音と共に、オリンディアスの瞳の奥で流れていた緑色のソースコードが、突如として『赤色』へと変色した。
完璧な秘書の顔に、プログラムにはないはずの僅かな緊張が走る。
「……訂正します、ミレポラ様。外部回線を遮断する前に、特殊な経路からの割り込みを検知しました。これは通常の社内回線ではありません」
「私個人の極秘回線? クロエイアからかしら」
ミレポラがけだるげに煙管をふかしながら尋ねる。
「いいえ。送信元は――『掃除人』コヌスです」
その名を聞いた瞬間、ミレポラの紫煙をくゆらせていた動きがピタリと止まった。
「……繋ぎなさい」
ミレポラの瞳から妖艶さが消え、裏社会をも牛耳る冷酷な女帝の光が宿った。
命令を受諾した瞬間、オリンディアスの端正な口元がわずかに開いた。
しかし、そこから発せられたのは少年の声ではない。通信ハブとして機能する彼の声帯から響き渡ったのは、煙草焼けしたような、ひどく気怠げな中年男のくぐもった声だった。
『……あー。ボス、良いニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?』
「やめて。そういう陳腐な前置きは嫌いよ。単刀直入に言ってくれるかしら」
ミレポラは紫煙を細く吐き出しながら、不快そうに言い放った。
『へいへい。じゃあ、良いニュースからだ。探していたジェネシス・コードの在処が分かった』
「……それで?」
『悪いニュースは、それが奴の頭の中にあるっていうことだ』
「やはりね」
ミレポラは指先でデスクをコツンと叩いた。
あらゆる魔導チップを限界点を超えて制御し、神の領域の演算を可能にする究極のアーキテクチャ『ジェネシス・コード』。ソラリスのデータバンクにも保管されていなかったその叡智が、ヒバリ自身の生体脳に直接刻まれているという推測は、彼女の想定の範囲内だった。
『悪いニュースその二。カルコサを使ったファウンテンへの襲撃は失敗した。プランBへ』
「……」
『悪いニュースその三。シガヌスとカルキアは標的の確保に失敗。奴の行方は今のところ不明だ』
ミレポラの眉間が、かすかにピクリと動いた。
極めて理知的な彼女の思考回路の中に、理解できないというエラーが生まれ始めていた。
『悪いニュースその四――』
「やめてちょうだい」
ミレポラは苛立たしげにコヌスの言葉を制止した。
「言い訳は聞きたくない。それで、その二人は今どこにいるの?」
『カルキアは片腕が無くなった程度で済んだ。今はパンドラに戻って治療と再調整を受けてる。シガヌスの方は……まあ、あいつも同じようなもんだ。俺が現場で回収した時は、右半身の装甲ごと全身が焼けただれて意識不明だった。今はTALOSが匿って、修復作業に入ってるらしい』
ミレポラは、呆れて物も言えなかった。
彼女の目的は、ヒバリの脳内に刻まれたジェネシス・コードだ。いったいなぜ、身体能力が皆無であるはずのあのひ弱な男一人を捕らえることが出来ないのか。
Aランクモンスターであるカルコサの襲撃失敗といい、二人の刺客が揃いも揃って返り討ちに遭ったことといい、計算が狂いすぎている。
「コヌス。あなた、これがどういうことか説明できる? あんなただの技術者一人に、なぜそこまでの真似ができるの」
ミレポラが鋭く問い詰めるが、通信越しのコヌスも見当がつかないといった様子でぼやいた。
『さあな。だが、噂によればカルコサを単独で討伐したのは、地方のギルドに所属する女ハンターらしい。そいつが使っていた大剣の威力が、完全に規格外だったって話だ』
「……規格外の武器。そして、暗殺者二人を消し飛ばすほどの反撃……」
ミレポラは煙管を灰皿に押し付け、フッと冷たい笑みをこぼした。
「間違いないわね。カルコサを倒したその武器は、ヒバリがファウンテンで新たに作成したものよ。そして二人が返り討ちに遭ったのも、彼が自身を守るために即席で組み上げた何らかのアーキテクチャによるものだわ」
ミレポラの瞳に、怒りとは別の、ある種の強烈な渇望が宿った。
何もない辺境の街で、身の回りにある素材だけでAランクモンスターを粉砕する武器を造り上げ、プロの暗殺者を退ける兵器を構築する。それがどれほど狂気的なまでの演算能力と天才的な発想を必要とするか、同じ技術者である彼女には痛いほど理解できた。
(素晴らしいわ。やはり彼の頭脳は、是が非でも我が社が手に入れなければならない)
「コヌス。シガヌスとカルキアの失態の処分は後回し。まずは、彼の行方を全力で調べなさい。必ず生け捕りにするの」
『了解した』
短い返答と共に、オリンディアスの瞳が赤から緑へと戻り、通信が切断された。
広大な社長室に、再び静寂が戻る。
ミレポラはデスクに両肘を突き、指先を組んで口元を隠した。
冷静を装ってはいるものの、その組まれた指先には力がこもり、彼女の静かな憤りと焦燥が垣間見えていた。
「……ミレポラ様。心拍数および血圧の上昇を確認しました。鎮静用のハーブを処方しましょうか」
通信ハブとしての役割を終えたオリンディアスが、いつもの少年の声に戻り、一切の感情を交えずに淡々と話しかけてきた。
「ええ、お願い。……ありがとう、オリンディアス」
ミレポラは静かに目を閉じ、狂気的な執着を帯びた笑みを深紅の唇に浮かべた。




