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第99話 侍たちに明日はない!③

 雨の降りが先ほどより強くなっている。


(このまま上様のところへ向かうか……)


 村田新左衛門は家康から貰った偽名の通行証を肌身放さず持っている。


 揖斐川の渡し方面に向かう途中、河川敷で見知った人物を見た。


 村田は慌てて岩の陰に隠れる。


 鈴木文右衛門ら数名の侍が川岸にいる。


 文右衛門が小舟に乗り込む若武者に手を貸している。


 若武者は陣笠を目深に被っている。


(まだこちらに居たのか……)


 てっきり文右衛門は井伊直政と供に東軍領内へ帰ったとばかり思っていた。


 若武者がおもむろにこちらに顔を向けた。


 若武者は村田をピッタリした黒い手袋をした手で指差す。


(しまった!)


 鈴木文右衛門が刀に手をかけてこちらへひた走る。


 文右衛門はバシャバシャと水音を立てた。


 慌てて村田は顔を出す。


「なんだ……おぬしか!」


 文右衛門は振り返って仲間に告げた。


「案ずるな。味方だ!」


「ほう……」


 若武者は陣笠を挙げて村田に目元を見せた。


 謹慎中のはずの小早川秀秋である。


「まだこちらにいらっしゃったのですね?」


 村田は文右衛門に訊いた。


「もしかして……上様宛の手紙もまだお渡ししていないのですか?」


「いや。ちゃんと他の者に指示して渡してある」


 ボタン電池とボタン磁石は家康の元へきちんと渡っているようだ。


「……驚くなよ。炭鉱にずいぶん仕掛けをしてきたのだ」


 文右衛門は口元に笑みをたたえて村田に話す。


「フフフ……この件が大きくなればなるほど、三成めは窮地に立たされ、ヤツの西軍での地位も失墜しっついするだろう。

 面白いほど今回は上手くハマったのだ」


 文右衛門の嬉しそうな顔に村田は嫌悪感を覚える。


「まさか、宮本武蔵が網にかかってくれるとは思いもしなかった。まさに、上様はっ《・》て《・》おられる」


「上様が……仕組まれたのか……?」


「いや。直接は金吾様(秀秋)だ」


 村田の硬い表情を見て、何となく居心地が悪くなったのか文右衛門は秀秋を振り返った。


「無駄話したな。もう行かなければ……では」


「……待て。卑怯だぞ」


 村田新左衛門は掠れた声を上げた。


「何も……関係のない人を巻き込んで、何とも思わないのか?」


「おぬし……何を言ってるのだ? 大丈夫か?」


 文右衛門はまだ口元に笑みを張り付けている。


「暗闇の中で絶望している人がいるのだぞ。なぜそのような非道なことができるのだ?」


「大局を見ろ。新左衛門」


 文右衛門は釣り上がった目が真っすぐに村田を捉える。


「小さなことはこの際、仕方がない。西軍に居ったのが運の尽きだ」


 小早川秀秋が堪りかねたようにツカツカと歩み寄った。


「お前……なんだ? もしかして俺を売る気か?」


「……」


 美しい曲線を描く頬を紅く上気させている。


 垂れたまなじりが逆に相手に底冷えするような印象を与える。


「お前! お前を知っているぞ! お前も家康の犬ではないか! 俺と同じ家康の飼い犬だろう? お前にこの俺を売る権利はあるのか? 詰る権利があるのか? どうだ? お前と俺は同じ穴のムジナだろう!」


 秀秋はエクボを浮かべて村田に至近距離で迫った。


 刺されるかもしれない……村田は恐怖する。


「お前と俺は、同じではないか? 何をひとりだけ穢れてないようなフリをするのだ?」


 秀秋はあどけない様子で小首を傾げる。


 その姿も狂気じみていて恐ろしい。


「俺に言わせれば、お前のような男が一番卑怯者だ」


 秀秋は刀に手をかける。


「う、上様の間諜スパイです! 斬ったらマズい!」


 文右衛門が慌てて制する。


 秀秋は刀に手をかけたまま、しばし村田を睨みつけた。


 黒い手袋をした手を刀から離して村田の鼻先に指を突きつける。


「せいぜい、正体がバレるまで治部に可愛がってもらうのだな!」



  ◇



 多賀芹川の水位は徐々に上がっていた。


 三成は架けられた橋の上から川の流れを見下ろす。


 水の勢いが激しく、濁流がドクドクと橋の底を打っているのが分かる。


「まずいな」


 氾濫すれば、炭鉱はすぐ近くである。


 落盤と氾濫の二方面の災害に対応せねばならない。


「よし! いっちょやりますかぁ!」


 雨の中、気合の声を入れたのは視察に同行した松野重元である。


「松野殿……妙案が?」


「妙案……といったほどではないですが、まずは炭鉱側に堤防を築きましょう」


 重元はイタズラっぽい目で三成をじっと見つめた。


「石田堤、作っちゃいます?!」


 早速、東軍から災害救助のため派遣された人員、西軍の諸隊からも人員が割り当てられ松野重元の指揮の下、石田堤が造られることになった。


 いわば東西混合チームとなる。


 補佐には増田長盛が入る。


 石田堤といえば、武蔵国行田(ぎょうだ)忍城おしじょうを水攻めにする際に造られた広大な堤の名称である。


 実に430年以上の時を越えて二回目の建設となる。


 一回目は関東の地盤が思ったより緩かったため決壊してしまったのだけど。


 汗を垂らしながら石田堤の建設に取り掛かっている一人の男の側に三成は佇んだ。


 男は上半身の着物を脱ぎ、日に焼けた顔を歪めながら淡々と土を掘り起こす。


 男は堪りかねた様子で鍬を置いて三成の顔を見た。


「お前、そのような涼しい顔をしているなら少しは働いたらどうだ?」


 男はぶっきらぼうに三成に言う。


「市松……まことにご苦労なことであるな……」


 三成は堂々と胸を張った。


 正直に言うと肉体労働は得意というわけではない。


 人にはそれぞれ領分というものがある。


「……お前、めちゃくちゃ偉そうだな。相変わらず」


 市松こと福島正則が家臣団百余名と共に揖斐川を渡って来たのは早朝である。


「ああいった武辺者ぶへんものは好きだからよ」


 武辺者とは宮本武蔵のことだろう。


「何もお前のためじゃない」


「そりゃそうだろう」


 いくら三成とて自分のために正則が駆けつけてくれたとは思わない。


「どうだ? 東軍の暮らしは?」


「別に……おとなしくしていればどうってことはない」


 正則は逞しい腕で鍬で土を掻いた。


 時折突風が吹いて横殴りの雨が肌を濡らしていく。


 三成は被った笠を手で目深に押し下げた。


「お前のように争い事をしょっちゅう起こさなければ良いだけの話だ。俺はお前よか利口だからな」


 正則はそう言いながら掘り起こした土を丁寧に集めて土木運搬用のネコ車に乗せる。


「ふん……改易されたくせに」


 だいたい言わなくても良いことを口にする癖がある。


 市松は三成の胸ぐらを掴んで軽い身体を器用に吊り上げる。


「お、おぬしに影響力があるからだ! 市松!」


 三成は正則の手を掴んでバタバタした。


 正則は急に胸ぐらから手を離したので三成はその場で尻もちをつく。


 尻が泥濘ぬかるんだ泥にまみれた。


「あいたたた。なんちゅう乱暴な」


 三成は堪らず抗議の声を上げた。


「おぬしに影響力があると言いたかっただけだ。そしてそれは今でも」


 三成はスクっと立ち上がり、正則にぐっと迫った。


「なぁ……市松。西軍に来てくれ」


 正則は顔を顰めて三成の顔を見下ろす。


「おぬしの存在はゲームチェンジャーになる。自覚はあるんだろ?」


「断る」


 正則は眉間に深いシワを刻んで顔を背けた。


「お前とやっていく自信はない」


 鍬を新たに土に入れていく。


「内府とやっていく自信はあるのか? いずれ同じことだぞ」


 いずれ正則は排除されるだろう。


 排除のやり方は切腹なのか、飼い殺しなのかは分からない。


 何かしら影響力のある者を徳川家康が放って置くわけがない。


「お前は……大事なことは俺に話さぬではないか」


 正則は鍬を地面に置いて三成に向き合った。


「同じ……話をされないでも、内府は友達じゃないからまだ我慢できる」


 三成は確かに正則にはあまり方策や作戦を明かしたことはない。


 別段、正則を省いていたつもりはない。


 但し、豊臣政権末期……秀吉第一の義理人情で動いている正則には理解を得られないであろう方策が多かったからだ。


 後輩らに影響力が強い正則に事前に反対されると物事が進まなくなるからだ。


「同じ信用されないでも、内府は友達じゃないから辛くはない。

 佐吉。まぁ、そういうことだ」


「信用している!」


「嘘をつくな! 今度嘘をついたら殺す!」


 正則は三成を振り返ることなく作業に戻った。

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