第93話 そんなはずはない!
三成が炭鉱の抗口付近に詰めていると、大谷刑部が血相を変えてこちらにやってきた。
三成の腕を掴む。
「何だ? 一生口を利かないのかと思ったぞ」
「軽口叩いてる場合じゃない」
大谷は真剣な表情である。
「治部……俺が調べたところによると、明日くらいから長雨が続く」
「こんな、ピーカンなのに?」
春の嵐から一転、穏やかな快晴になっている。
「念のため、明日からは炭鉱は休みにしたほうが良いと思う」
確かにこのところ地味に小雨が続く日が多く、炭鉱の側を通る小川も水嵩が増していた。
三成は悩んだが大谷の真剣な面持ちに圧される。
彼は独自で雲の動きを毎日調査していた。
「分かった。そうしよう」
水の上昇の具合によっては河川工事が整うまで休止の可能性もある。
頭の痛い問題である。
大谷と別れて宮本武蔵と話した。
「いきなり、休みと言われてもね」
武蔵は鋭い目線で見つめ返す。
「人足たちは、時間を抑えちゃってるわけだし」
三成は申し訳なさそうに説明した。
「休業補償できるのははじめの3日くらい。あとは別の仕事をやってもらうしかない」
炭鉱の鉱員はただでさえ高級取りなので、長期間の補償はしかねる。
「まぁ……事情は分かりましたけど、出来れば他の作業を見繕ってくださいよ」
「そうだな。そうしよう」
高い労働単価を補償はできないが、鉄工所の作業や、その他でも農作物の植付けや収穫に人員を回すことは出来る。
小川が氾濫を起こす可能性は極めて低いものの、始めたばかりの炭鉱で万一事故でも起これば東西の信頼関係が毀れ、責任者は責任を追及されかねない。
堤防の整備は喫緊の課題となるだろう。
「そのかわり今日の作業は少し遅くまでやっても良いですか?」
「永井殿!」
話を近くで聞いて、三成に声をかけてきたのは永井辰之進である。
木の伐採時に労働災害で亡くなった永井源之丞の兄である。
「今はこちらでお世話になってます」
現場のリーダーになっているという。
「そうですね……問題なければ本日は残業していただいても構いませんよ」
三成は頷いた。
「そのかわり、日が暮れたらきちんと撤収してください」
「分かりました」
永井辰之進は軽く手を挙げて、鉱員の元へ走って行った。
「そういえば武蔵よ、面白いものが手に入ったぞ」
三成は傍らの武蔵に小声で声をかける。
「え?? 何ですか? これ?」
ボタン電池とボタン磁石である。
武蔵の手にけっこうな量を握らせる。
「お前にやるよ。お前だったら何か面白いことに使いそうだ」
「そうですかねぇ……って一体どんなカラクリで?」
武蔵は戸惑いながら鳶色の目を瞬かせる。
「いろいろツテがあるのだ」
三成はよくは説明しなかった。
武蔵は分かりやすく混乱中である。
「武蔵よ……深く考えるな。あとこんなものも用意した」
三成が手に取ったのは竹筒である。
「中身は消毒液だ。万が一ケガ人が出たらまずは消毒してあげてほしい」
清潔な綿の入った手提げ袋とともに渡す。
「はぁ……」
武蔵は竹筒を手に取る。
たっぷりとした水音が聴こえた。
「……未来と繋がってるってこと? もしかしたら俺らは未来に帰れるのか?」
「残念ながら帰れる、といったわけではない」
武蔵の期待を三成は手で制した。
「でも、少なくとも全く没交渉ということではないらしい」
三成はニッと笑う。
「これから、どんな風に世の中変わっていくかわからんぞ。あっという間に便利な世の中になるかも」
武蔵が以前言っていた『QOL(生活の質)が上がれば現実の世界に集中して、戦支度などしていられなくなる』といった内容を三成は念頭に置く。
「上手くいくといいですね……石田様の新しい世界、お手並み拝見だ」
武蔵は白い歯を見せた。
「他人事じゃないぞ! 助力するように」
三成は武蔵にハッパをかけた。
◇
書類仕事をしようと、大垣城の自室に戻ると扉の前で戸田内記が待ち構えていた。
「何も言わなくていい」
内記が口を開こうとするのを三成は制す。
「無理に何も言わなくてもいい」
三成は文机に向かって書類をチェックしはじめた。
「いつからお気づきで?」
三成の背中に内記は語りかける。
「お前は……肝が据わりすぎている」
三成は振り返らずに言った。
「村田新左衛門を見ろよ。内心ガタガタで震えながら生きてるぞ。それに比べ、お前は……平然としている」
ようやく三成は内記を振り返った。
「この世界がリアルじゃないと知っているからだ」
「観察の賜物ですか……何でも知ってるんですね」
三成は顎に手をあてて格好つけた。
「おうよ!」
三成が全く分からないのは人の心。特に女心である。
「佐久川喜重郎は、『プレイヤーはプレイヤーであることを知らない』と言っていたが……そうじゃない。
プレイヤーだと分かっていても、この世界の変え方が分からないのだ」
三成は再び書類に目を落とす。
「治部様……茶々様を……母を好きなのですか?」
「母?! それは気が付かなかった!」
三成はバサリと手から書類を落とした。
「お前が怒ってるのは、お前も茶々様に懸想してるのだとばかり思ってた!」
内記の端正な顔が歪む。
「止めてください! 気持ち悪い!」
「それでか……それで」
茶々の急激な心変わりの理由が分かった。
「母を……諦めてくださいますね」
しばしの沈黙が二人を包む。
「断る」
「はぁ!?」
内記は気色ばんだ。
「断る……お前なあ……大人はいろいろあんだよ」
「いろいろって何ですか? 不倫でしょうよ! 穢らわしい!」
内記は勢い良く三成を責めた。
「不倫じゃないだろ。お互いに配偶者がここにいないのだから」
三成はバラバラになった書類を揃えて文机に向かう。
「お前がプレイヤーだろうが、そうじゃなかろうが、俺の行動は大して変わらない。 この世界を精一杯生きるだけだ。
俺らにはお前のような別世界は存在しないのだから」
背中越しに内記に語りかける。
「だから世の中のことを全力で良くしようとするし、女のことも全力で愛そうとする。これ以外にないだろう」
内記は立ち上がり廊下に出た。
振り返り、思いっきり扉を閉める。
「治部少なんて、くたばれ!」
廊下から聴こえる内記の叫び声に三成は肩を震わせて笑った。
◇
それから半刻ほど自室で過ごした後、三成は打ち合わせのため執務室へ向かった。
執務室の前に人集りができている。
ひときわ背の高い左近がいつになく強張った顔を主君に向けた。
「殿……炭鉱で崩落事故です」
左近が低い声で言った。
「そんなはずはない……あれほど警戒していたのだから」
ボタ山が崩れて炭鉱の入り口を塞いだという。
バカ言え、と三成は呟く。
「まさか……人員が残されているのでは……?」
「数人の人員が取り残されている模様」
五助の言葉を聞くやいなや、三成は不意に意識が遠のき、ふらっと後ろに倒れそうになった。
左近が慌てて腕を掴んで支える。
「そんな……どうして?」
「殿! シッカリ、お気を確かに! 今から現場に向かいましょう」
「ボタ山が崩れて坑口を塞ぐはずはない」
万が一を考えて、少し坑口から距離のある場所にボタ山を築いた。
「人為的……かもしれませんね。考えたくないですが……」
もう既に日がとっぷり暮れて夜である。
厩舎に向かう途中、新免無二斎が三成を見て縋り付いてきた。
「石田様……! 武蔵が……武蔵が取り残されているようなのです!」
必死で三成の袴に追いすがる。
「どうか……どうか……! 愚息を助けてやってください」
三成は愕然とした。取り残されているのは午前中に会ったばかりの宮本武蔵。
「お願いします! どうか……!」
「……全力を尽くします」
無二斎の目が月のように鋭くなる。
「絶対に助けると仰っていただけないのですか??」
三成は強い力で揺さぶられた。
「これは……犯罪ですぞ! 貴方が武蔵を意図的に返さなかった、犯罪です!」
「今は! 待ってください! 無二斎殿!」
状況を見てみなければ何とも言えない。
こんな時、自分の冷静さが火に油を注ぐ形になるのは知っている。
しかし慌てても良いことは何もない。
「こちらでお待ちください! 急ぎ対応しますから!」
助けたい、と思っても既に閉じ込められた全員がこと切れている可能性もある。
無情にも、夜半から雨が降り出した。
大谷刑部の予想通りである。
「武蔵……死ぬなよ!」
三成は馬に揺られながら歯を食いしばった。




