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第92話 欲がない!

 村田新左衛門は貞慶寺境内の賑わいの中に一人佇んでいた。


 陣笠を目深に被り、貞慶寺の鳥居の下で待ち合わせの相手を待つ。


「すまぬ。遅くなった」


 待ち合わせに遅れて来たのは井伊家家臣、鈴木文右衛門(ぶんえもん)である。


 文右衛門は身体も大きく目立つ男で、大垣城内で落ち会うのは人目につきやすいため、新左衛門と文右衛門はわざわざ城下町まで降りてきていた。


「この書状を上様に……」


 村田は文右衛門に書状を手渡す。


 中身は最近のこちらの情勢と……伊吹山の洞窟で拾った村田が拾ったボタン電池とボタン磁石である。


 洞窟でパチンコ玉が出てきたように感じたが、よく見ると平たい丸い金属であった。


 拾っている時、またもや湯浅五助が戻ってくるような足音がしたので慌てて手に掴んで持って洞窟を出たのである。


 村田が手にできたのは磁石が4個に電池が3個である。


 他に液体が入ったビニール袋が落ちていたが持ってこられなかった。


 家康宛に、それぞれ2個ずつ書状に添えた。


 あとは村田が持っている。


 家康はかなり驚くはずである。


「ここは……風紀が乱れておるな……」


 文右衛門は貞慶寺の境内を見渡して、さも苦々しい、といった表情をした。


「西軍の奴等、反吐が出る」


 村田は文右衛門の荒々しい日に焼けた顔を見た。


 切れ上がった鋭い目は怒りを帯びている。


 白粉のニオイをさせた若衆がヒラヒラと赤い袖を振って道行く侍に声をかけている。


 侍も笑顔を返している。


「上様が、このような状態をこのまま放っておくわけがない。力攻めは近いぞ」


 村田はその言葉に目を見張った。


「ここに居る者は侍の領分というものを知らない……堕落しきって既に侍とは言い難い」


 文右衛門の吐き捨てるような台詞に、村田は軽く異を唱える。


「それでも……力攻めは東軍にもリスクがあり過ぎる。上様も流石にその決断はなさらないのでは?」


「否! 上様は必ずやこの世界の統一を成し遂げられる。昼夜、固く神仏に誓っておられる。この世の邪悪を打ち砕くおつもりだ」


 文右衛門は鋭く言葉を打ち返す。


「ワシはお側でお仕えしておるから、あの方の志がどれほど高邁こうまいであるかは分かる。上様であったら、このような世の乱れを決して許さぬであろう」


 賭博場らしき場所から笑いながら数人の侍が出てきた。


 どの男も着流しで袴もつけず、大小の刀さえ差していない。


「斬り殺したい」


 文右衛門が目元を赤くして言った。


「斬って捨てたい……あの者らに生きている価値はなかろう……」


 文右衛門は男たちの背中を苦々しい表情で見送った。


「新左衛門、ことがなった暁には上様からの褒美は大いに期待できるぞ」


 ふいに文右衛門は目線を柔らかくして、村田に笑いかける。


「力攻めの際には、予め城門を開けておいて欲しい……出来れば三成めの首も獲っておいて欲しいが、お前のその細腕ではな。そこまでの期待はせぬ」


 村田は目線を逸らした。


 落胆させたと勘違いしたのか、文右衛門は慌てて励ます。


「そうガッカリするな! お前の度胸は並々ならぬと上様も仰せじゃ。

 ワシらのようなやり働き一辺倒の猪武者と違って、お前のような頭が良く細かい工作働きが出来る者も上様はシッカリと評価されておる」


 文右衛門は優しく口角を上げる。


 そっと村田の肩に手を置いた。


「安心せよ。新左衛門!」


「両軍が衝突せずに済む未来はないのでしょうか……?」


「……」


「出来れば、このまま……お互いに尊重し合いながら暮らしていく道はないのですか?」


 文右衛門は怪訝な表情を浮かべた。


「まさか……新左衛門、西軍の頽廃たいはいの毒牙にやられたか?」


「いえ!  いえ! そんなことは決して!」


「難しいだろうな。我らは価値観が違いすぎる」


 文右衛門はまるで年若の弟を諭すように語りかける。


「まぁ……一緒にいるとたとえ虫けらのような者にも情が湧くのも分かる」


 二人の間に一瞬強い風が吹き抜けた。


「但し、絶対に心を赦してはならぬぞ! 新左衛門! 敵はむしろ己の心の内にある。

 お前の弱い部分をいとも容易く持っていくのだ。 なにしろ……そちらには心を操ることに長けた毒婦がおるからな」


「……それは茶々様のことで?」


 村田は末端の自分にも優しく微笑みかける茶々の姿を思い出す。


 茶々のクルクルと変わるお茶目な表情と『毒婦』がどうしても結びつかない。


「心を強く持て! 新左衛門! 明るい未来はもうすぐだぞ!」


 文右衛門は肩を怒らせて境内を出ていった。


 道行く人の肩に勢い良くぶつかっても歩みを止めない。


 むしろ、荒々しい困難も真正面から受けて立つ。


 そんな信念が聴こえてきそうな歩き方であった。 「えええ……」


 村田は文右衛門の背中が見えなくなるまで見つめていた。



   ◇



「コーニーターン!!」


「げ! またお前か?!」


 三成が顔をのぞかせると、小西行長がログハウスの外壁を洗っている。


 春の嵐が吹き荒れている。


 ここ一帯は砂埃が立ちやすく、自慢のステンドグラスが砂で汚れてしまいやすいらしい。


 行長は盛大にため息をつく。


「今度は何だ? ういという娘の輿入れは上手くいったんじゃないのか?」


「そちらは、おかげさまでなんとか」


 行長にも助力してもらい、西軍メンバーから不満が出ないように説明を丁寧に行ってもらった。


 ログハウスの中で、行長はヤギの乳を入れたミルクティーを三成に差し出した。


「なんかぁ! また刑部に嫌われてるんだけど!」


 三成は顔を覆い、さめざめと泣く振りをした。


「そんな……いちいち彼氏とケンカした女子高生じゃないんだから。いい加減、おぬしらの好きにしろよ」


 行長はこの話題は耳タコで既にウンザリである。


「今回、俺は悪くないと思うんだけど!」


 三成は顔をあげてキリッとした表情をして言った。


「いや……今までの経験上、だいたいおぬしが悪い」


「コニタン……酷い!」


 三成はテーブルに突っ伏した。


 もちろん嘘泣きである。


「まぁ……確かに、病気になる前の刑部はそれはそれは熱い男だったからな」


 実は大谷刑部は若かりし頃、主君・秀吉の不興を買って謹慎の後、追放されかかったことがある。


 理由は彼なりの正義感からであったが、秀吉を行長や三成たち仲間が取り成し事なきを得たことがある。


「そういえば茶々様とのことは、どうなったのだ? なんか、城で盛大に痴話喧嘩したらしいではないか」


「茶々様とのことは何でもない」


 三成はつまらなさそうに話す。


「俺は女に振り回されるのはもうこりごりだ……もう心は完全に出家しておる」


「こんな煩悩だらけの坊主がいるかよ」


 行長は呆れた。


「今回は愚痴を言いに来たわけではなく、コニタンに面白いものを見せに来たのだ」


「そうだったのか。それを早く言ってくれよ」


「ジャーン!」


 ボタン電池とボタン磁石の巾着を懐から取り出す。


 恐る恐る袋を覗き込んだ行長は分かりやすく混乱した。


「わっからないなぁ! この世界!」


「でしょでしょ! わけわかんないでしょ!」


 ジャラジャラとテーブルに出した電池と磁石を行長は興味深い様子で見入っている。


「この事実は内府は知らないわけだし! こちらの先攻ってことで! 上手く利用できそうなのだ」


 伊吹山の洞窟が現代と繋がっていることは、三成と左近、大谷刑部と湯浅五助くらいしか知らない。


「そうは言っても、この一回きりかもしれないではないか……もう一度やってみたのか?」


「うーん。それなんだよね。何回も利用できるとは限らないし……迷っちゃって」


 三成は頬に手をあてて思案する。


「何が……欲しい?」


 三成は目線をあげた。


「コニタンだったら無人島に何を持っていく?」


「イエス・キリストの像」


「訊く人間間違えたわ」


「マリア像でも」


「分かった分かった」


「そうおぬしはバカにするが、最後は祈るしかなくなる場合もあるぞ」


 三成は自身の肩を抱いて身震いする。


「予言めいたこと、言うなよ。不吉な」


「つまりは……最後は人の心になってくる」


 行長はため息混じりで目の前の友人を諭した。


「何が心を満たすのか……人間は何をもって充足するのか、ということになってくる。お金や地位ではなくなってくるだろう?」


 行長は三成の少年のような顔をマジマジ見つめる。


「逆に、おぬしのような欲まみれの人間が羨ましくなってくる」


「欲まみれかねぇ?」


 三成はさも意外と言わんばかりに反駁する。


「間違いないだろう? 自分の思うようなまつりごとをやりたい。かといって安全も保障して欲しい。あれもやりたい。これもやりたい。キリがないだろ?」


 行長は声のトーンを低くした。


「そろそろ……内府の傘下に降ることを考えたらどうだ? おぬし一人のワガママで西軍メンバーの命を危険に晒すことはあるまい」


「やり方が気に食わないんだよね……」


 三成はテーブルの上の磁石を手に取り弄んでいる。


「金吾のことだって、もっと早く処分できたはずだし……茶々様のことだって、わかりやすく脅しをかけてきたわけだし。

 本当のとこはどうなのかなって」


 華奢な指が磁石を離したりくっつけたりしている。


「本当に同じ人間として見てるか微妙だなって……まぁ、炭鉱の共同開発が成功すれば東軍の意識も変わるかもしれないし。その時には考えてみる」


 三成は磁石と電池を巾着にしまいながら言った。


「あと……これ」


 懐からしわくちゃの紙を取り出す。


「第九?」


「吉兵衛(長政)が渡して欲しいって」


 行長は思わずその牧歌的な内容に笑った。


「お! いっちょ誘いに乗ってみますか!」


「いいね〜! 絶対に吉兵衛よか、コニタンの方が歌うまそう。アイツの伸び切った鼻、圧し折ってくれよな」


 三成は嬉しそうだ。


「治部よ! そのまま東西紅白歌合戦でもやるか? 大晦日に!」


 二人は大きな声で笑い合った。

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