第91話 一生許さない!
「その『ぬれぬれスイッチ先生』が、あの世界のカギを握るひとりってこと?」
本郷真美子は眉間にシワを寄せ、怪訝な表情をしている。
場所は伊吹学園からやや離れた場所にあるお洒落なレストランである。
万が一、二人でいるところを学生に見られたら不味いので、打ち合わせは学生らがいかないであろう場所にしている。
真美子は食後のコーヒーを両手に持ちながら言った。
真美子は黒のシンプルなカットソーにヒラリとした赤いロングスカートを履いている。
相変わらず赤が似合うな、と安藤は思う。
「エッチな同人誌の件ははじめて知ったけど?」
「そうでしたっけ?」
安藤は頭を掻いた。
バツが悪く、真美子には話していなかった。
「ぬれぬれスイッチ先生を探すのが当面の課題になりそうですね!」
安藤はボールペンで名前を囲み、グルグルする。
「伊吹山総合病院には通いつつ、並行してその人物を探すことになりそうです」
ゲームのシナリオを作っているということは、彼ないし彼女は現代に確かに存在しているのである。
但し、先ほどからネットで検索しても有力な情報は出てこない。
ゲーム制作や同人の活動期間がだいぶ前なのだろうか。
「病院では酷い目にあったわよ……私は」
真美子はため息をついた。
結局、霊安室の鍵はドラマのように粘土から作ることはできず、家電量販店に行ったついでに隣のホームセンターで家の鍵だと偽って複製した。
その間、真美子は霊安室に取り残された挙句、壁のスキマも安藤が出ていくとペンは押し戻されてすぐに塞がってしまった。
真美子はすぐに霊安室を出て、外の長椅子で安藤の帰りをヤキモキしながら待った。
(死人が出ませんように……)
霊安室が使われるのは困る。
不思議なことに安藤が戻るとまたスキマは光り出して、大量に購入したボタン電池やボタン磁石、保存袋に入れた消毒液を吸い込んでいった。
「何かに導かれてる」
「まぁ、確かに」
安藤の言葉に真美子は仕方なく同意する。
現に霊安室の壁のスキマが光って、物を吸い込んでいくのを見た。
ただ霊安室にひとりで取り残されたことには心底納得はしていない。
今でも安藤に対するフツフツとした怒りは消えなかった。
「一回、整理しましょう」
安藤はメモ帳を取り出す。
まず、カギを握るひとり、伊吹学園高校二年生の早瀬直希の名を書き込む。
直希はあの世界で出会った戸田内記に瓜二つである。
何の形かは不明だがあの世界を知っていた。
母親で伊吹山総合病院に入院中の早瀬篤子。
直希はあの世界を『早瀬家の極めてプライベートな問題』と話していた。
二人を繋いで「親子」と書き込む。
そして、惣次郎こと高梨結亜と与田真佐人である。
実に22年前に発売されたBLゲーム『夢伽草子〜決戦前夜に薔薇は咲く〜』の主人公のデフォルトの名が惣次郎で、相手役の「与田真佐人」は彼氏の名前を入れてプレイしたものだった。
二人はあの世界を『ゲーム』だと認識している。
そのゲームを創ったのがぬれぬれスイッチ先生である。
ぬれぬれスイッチ先生はあの世界で同人誌を販売している。
「与田くん……ゲーム内で本名使うの、珍しいわね」
安藤は頷く。
あまり物事に拘りのない真佐人らしい。
因みに、あの世界の小早川秀秋の認識も『ゲーム』であったが、彼が言っていたのは恋愛ゲームではなくむしろサバイバルゲームを彷彿とさせるような内容であった。
最後に霊安室の壁のスキマである。
名称は仮に『時空のヒビ』としよう。
あの世界で亡くなった『飯田源吾』と同じ名前の患者に導かれて辿りついた霊安室で発見された。
まさにあの世とこの世を繋ぐ、今のところ唯一の場所である。
安藤が側にいると口が開く仕組みになっている。
きっと安藤があの世で言うところの長宗我部盛親だからであろう。
長宗我部盛親はあの世界では既に亡くなっているか、それとも……?
「あとは、こちらの時間の長さとあちらの時間の長さはかなり違うということも分かってきました」
意識があの世界に飛んだ時、時間はそうは過ぎてはいなかった。
正確には分からないが長くて数十分、といったところか。
但し、あの世界では関ヶ原ゼロ日目から、実に5か月間ほどは大垣城で過ごしたのである。
仮にこちらの10〜20秒があちらの約一日の長さと考えると……とにかく時間の流れには相当の違いがある。
しかしそう考えると、矛盾が湧く。
時空のヒビの前ではそれほど時間差は感じられない。
時空のヒビの前に立って、あの世界と『交信』した時のみ、時間が同じかもしくは現実に近い速度で動き始めるといった形だろうか?
時間の流れにも何か別の法則があるのだろう。
とにかくこちらの時間とあちらの時間では、一定ではない『歪み』が発生している。
時間は延びたり縮んだりするのだ。
「そろそろ……帰らないと」
真美子が左腕の時計を確認する。
時刻は既に22時近い。
「すみません……こんなことに付き合わせてしまって……」
「いや! 私も乗りかかった舟だから」
真美子は一瞬真剣な目をした。
「でも、霊安室に置いてけぼりにしたこと、一生許さないから!」
安藤は額の汗を拭いて、白いテーブルに深々と頭を下げた。
◇
【◯日新聞独占インタビュー 今年のノーベル物理学賞有力候補 イヴァン・レフチェンコ教授に訊くこの世界の行方】
ますます混迷を深める世界の行方は――我々は何処へ向かうのか。
大の親日家で知られるコペンハーゲン修学院大学のイヴァン・レフチェンコ教授に話を聞いた。
氏はまずは屈託のない笑顔を見せて日本と深い関わりがあることを話してくれた。
――妻とは私が学生時代に日本に留学した時に友人が開いてくれたホームパーティで知り合ったんだ。
まさに運命の出会いだった。
弓子夫人はレフチェンコ教授が留学した大学の二つ下の後輩で一目ぼれだったという。
――当時、弓子さんにはお父さまが決めた婚約者がいらっしゃったらしいですね。
――そうなんだ! でも僕らは瞬く間に恋に落ちてしまった! ユミコは日本の大きな製薬会社の一人娘だったから、彼女の両親を説得するのには苦労したよ。
でも僕はユミコしか考えられなくなってしまって、まだ僕らは学生だったのにそのまま駆け落ちしてしまったんだよ。
――最後は情熱が勝ったんですね。
――そうだね! 今では孫にも出会えて穏やかな生活を送れているのも、全てユミコのおかげさ。
――そんな親日家のレフチェンコ教授に混沌とした世界の中で、日本に生きる我々に生きるヒントとなるメッセージを……
インタビュアー:Hatsune Sonoda
安藤は車の窓をコンコンと叩いた。
中で新聞を顔に被って寝ていた男は、新聞を乱雑に取り外し、胡乱げに安藤の顔を見る。
顔を手で覆って擦り、ようやく車のウィンドゥが開く。
安藤が緊張の面持ちで尋ねる。
「村田新左衛門さんですよね?」
「違います。何ですか? そのおじいちゃんみたいな名前……」
車を出た男は、安藤が名乗ると大きな欠伸をした。
「失礼……村山です。村山ノブユキ……」
名刺を出してきた。
『西日本アジア製鉄株式会社 製作部近畿営業所 免震事業部 係長 村山宣之』
安藤はしげしげと村山の顔を見た。
村田新左衛門を年嵩にして草臥させたような顔をしている。
「すみません……知り合いによく似ていたので……20歳くらいの若者なんですけど」
授業中、窓の外に校舎の耐震工事の関係で校庭で作業を見守っていた作業服の男に見覚えがあった。
安藤は授業が終わった瞬間、すっ飛んでここに来た。
「じゃあ、全然違いますよ! 私、今年で35歳ですから」
村山は笑った。笑うと幾分、年よりは若く見える。
村山は再び大きな欠伸をした。
「ほんっと、申し訳ありません……昨日、徹夜でして」
村山な本来、校舎の耐震工事の立ち会いを行う係ではなく、加工や材料の調達を行う製作部の所属とのことである。
「担当者がコロナにかかりまして……」
急遽、伊吹学園高校校舎の「直付けブレース工法」(枠付き鉄骨補強工事)の立ち会いに駆り出されたそうだ。
「これ、要りますか?」
村山は小脇に抱えた朝刊を安藤に差し出した。
「いえ……特には」
「熱心に読まれていたようだから」
普段はノーベル物理学賞に興味があるわけではないのに、確かに車の窓越しに記事を目で追っていた。
「私はもう読みましたので」
「……ありがとうございます」
安藤はおずおずと村山から新聞紙を受け取った。




