第90話 ママにバレちゃいけない!
高梨結亜はお盆に乗せたオレンジジュースを零さないように注意して階段を上がる。
自室の【♡ゆあの部屋♡】と書かれたドアを開けて、見慣れない奇妙な光景に目をパチクリさせる。
プレ◯テ2のハンドルを握るのはオジサンである。
隣で寛いでいる真佐人に結亜は必死で目配せした。
「お! ありがとう!」
「……ありがとう、ございます」
オレンジジュースが零れそうなのかと勘違いした真佐人が慌ててジュースを取りに立ち上がった。
当のオジサンはかろうじてお礼を述べたものの、相変わらず画面に集中している。
「まーくん、ちょっと!」
結亜は小声で真佐人に話しかける。
「ん?」
「ちょっと!」
結亜は真佐人と二人、廊下に出て扉を閉めた。
「ちょっと! どういうことなの? 何であたしの部屋で、オジサンがプレ◯テやってるの?」
「オジサンじゃなくて、ウチの高校の現国のアンドゥーな」
因みに結亜が着ている制服は伊吹山学園ではなく近くのお嬢様学校の制服である。
「ノリで」
真佐人は髪をかき上げる。
「ノリで、いいよって言っちゃって」
ピアスを触りながらバツが悪そうに続ける。
「アンドゥーは面白いし良い奴だよ。なんか、最近仲良くなっちゃって……マジで結亜にはゴメンだけど」
結亜はちょっと頬を膨らませる。
「なんか……調べてることがあるらしくて。妙にほっとけないというか、助けてやりたいっていうか……」
真佐人は顔の前で手を合わせる。
「マジでゴメン! サーティー◯ンの◯ッピングシャワー好きなだけ奢るから!」
「高校生と距離感詰めた挙句、家に押しかけるなんてロクな大人じゃないってママが言ってた」
至極ママの言う通りである。
「これがママにバレたら……」
結亜の母親は妹のピアノ教室の付き添いで外出中である。
「与田くーん」
部屋の中から安藤の声がする。
「お! エンディング!」
『夢伽草子〜決戦前夜に薔薇は咲く〜』は主人公と相手役(両名とも名前が勝手に決められる)のひと通りのルートを急ぎ足で終えたところである。
約三時間の長丁場であった。
「BLのゲームってはじめてだったんですけど、シナリオが秀逸ですね!」
安藤は目を輝かせた。
出雲の阿国の歌舞伎踊りに魅せられた惣次郎という少年が時代に翻弄されながらも演劇の道に入り、若衆歌舞伎団の座長になるまでを団員や時の権力者との恋の駆け引きを散りばめながら……なかなかニッチな世界観のゲームである。
「はぁ……」
結亜は怪訝な表情で安藤を見返している。
安藤はオレンジジュースをゴクゴクと飲んだ。
「惣次郎……というのはデフォルトの名前なんですね。主人公と相手役の名前は変えられるけど、名前の変更はそこまでなんだ……なるほど」
踊りの師匠や小道具担当の幼馴染、織田信長など他の登場人物も攻略対象だが名前は変えられない。
「つまり……あの世界はこのゲームとリンクしているのは間違いなさそうだな」
さりとて、ひと通りプレイした情報の中には主人公のデフォルトの名前と劇中で上演された戯作くらいしか共通点がない。
「あのう、どこでこのゲームを手に入れたのですか?」
安藤は結亜に尋ねた。
結亜はおずおずと応える。
「一年くらい前に駅前のブッ◯オフで」
2枚で100円のコーナーにあった。
「それで……パパが実家から持ってきたプ◯ステ2で……まーくんとプレイしてみて……」
表紙の惣次郎の顔に惹かれた。
結亜は自分にとても良く似ていると感じたのだ。
現に、安藤から見ても結亜の顔は惣次郎にどことなく似ている。
安藤は『夢伽草子〜決戦前夜に薔薇は咲く〜』のパッケージをしげしげと見つめた。
裏面も細かくチェックする。
「特に何も変わったところは……」
安藤は思わずオレンジジュースを零した。
「アンドゥー! 零れてる!」
真佐人は悲鳴をあげた。
結亜の部屋のピンクの絨毯にオレンジジュースが染み込む。
「ちょっと!!」
慌てて結亜がタオルで拭いた。
「す、すいません!」
謝りながら安藤はパッケージを真佐人に指し示した。
「ちょっ! ちょ! ここ! 与田くん、ちょっと見て!」
「え?」
安藤が指し示したのは『シナリオ担当』の部分である。
「ぬれぬれスイッチ! ここ、ぬれぬれスイッチって書いてあるよね!?」
「はぁ……」
真佐人には全く話が見えない。
確かに『監修・シナリオ担当』欄に『ぬれぬれスイッチ』とゴシック体で記されている。
安藤はふかふかの絨毯に両手をついた。
「そうか……ぬれぬれスイッチ先生が、あの世とこの世を繋ぐカギなんだ……」
よもや、こんなところでぬれぬれスイッチ先生と繋がる世界軸があるとは思いも寄らなかった。
「ありがとう……!」
安藤は立ち上がった。
「ありがとう! 与田くん、惣次郎、ありがとう!!」
安藤は与田の手を取ってブンブン振り回す。
結亜は嫌がったが無理矢理手を取られブンブンされてしまった。
結亜は今にも泣きだしそうな顔をしている。
「こ……怖い」
ちょうど一階から女の子の声が聴こえてきた。
「ただいまーー! お姉ちゃーん!」
「ヤバイ! ママたち、帰ってきた!」
結亜の顔が蒼白になる。
「じゃ、私はこれで失礼します。これ、ちょっとお借りしても良いですか?」
「どーぞどーぞ! あげます! もうあげるから二度と来ないで」
結亜は今にも泣き崩れそうである。
「おばさん、チーッス!」
結亜の母親は階段を降りてくる与田真佐人の姿を捉えると曖昧な笑みを浮かべた。
娘にとって相応しい相手とは思っていないらしい。
「どうも、こんにちは」
男は度胸である。安藤も堂々と階段を降りていった。
「だ、誰?」
結亜の母親はびっくりして動作を止める。
「わたくし、こちらの与田真佐人くんの副担任で安藤と申します。
このお家の前の通りで腹痛に襲われていたところ、与田くんが助けてくれまして……結亜さんのお家のおトイレを拝借し……助かりました。ありがとうございました」
結亜の妹もジィっと遠慮のない視線を向けてくる。
「お部屋でオレンジジュースまでご馳走になってしまい……結亜さん、ありがとうございます」
「いえいえ!」
結亜は顔を引き攣らせて無理矢理微笑む。
「あら? そうでしたか。もう大丈夫ですか? おトイレ掃除してたかしら? やだ、恥ずかしい!」
「お母さん、ひとつだけ……不躾ながら……」
安藤は振り返って前髪を撫でつけた。
「与田くんはチャラついた見た目とは違い、将来、有望株ですよ」
安藤は真佐人に視線を送る。
真佐人は慌てて安藤の言葉に二回頷いた。
「では、失礼します」
玄関を出た瞬間、動悸が襲った。
まさに間一髪。通報されかねない。
「あっぶねー!」
よく考えてみれば何も惣次郎こと結亜の家に行かなくても、ゲームディスクを借りればそれで良かった。
安藤は歩きながら真美子の携帯に電話をかけた。
「もしもし……」
テンション低めの真美子が出る。
「本郷先生! ようやく道筋が見えて来ました!」
開口一番、安藤は興奮気味に話す。
「まずは何をやらなきゃいけないか、分かって来ました! 今晩、きちんとお話しますね」
安藤は電話を切った。
真美子との待ち合わせまで時間がある。
安藤はコインパーキングに停めていたトミーカイラに乗り込み、ノートパソコンでブラウザに「ぬれぬれスイッチ」と打ち込んだ。




