第87話 実用的じゃない!
「イッテ!!」
「ガマンしてください! 余計なこと言うからこうなるのですよ!」
本当にちょうど良く湯浅五助が保存袋に入った消毒液を届けてくれた。
綿に浸して、左近が三成の切れた瞼を手当をする。
唇の端も切れているので、そこそこ血だらけである。
「俺は本当のことを言っただけなのだが……」
三成の言葉に左近は思いっきり顔をしかめる。
「あの……いいですか? 正直に本当のことを話せば許してもらえるのは小学生までです。ぜひ今世で覚えておきましょうね」
左近は母親みたいな口を聞く。
「温厚な刑部様があんなに怒るなんて、よっぽどですよ! 殿に原因があるとしか思えないでしょう」
「ええっ……?」
三成は納得していない。
「確かに……いつもは原因は俺なのだが……」
消毒液、と言ったがスーパーやコンビニで売っているようなジッパー付きの保存袋に入っている。
(ポリエチレンだぞ! これ)
現代では見慣れた何の変哲もない石油製品に三成は感動する。
そして……大量の、ボタン磁石とボタン電池の山……。
三成ご所望の『薄型ネオジム磁石』『マンガンリチウム電池』である。
今朝ほど、湯浅五助が洞窟の時空のヒビの前で見つけて、急ぎ城へ持ってきた。
磁石は46個、電池は27個。
剥き出しの状態で時空のヒビの前に落ちていたそうだ。
そして消毒液はA4サイズほどの保存袋3枚にたっぷり入っている。
先ほど、一袋分を左近が蓋のついた竹筒に移し替える際に少し零した。
「これ……どうするつもりだったのですか?」
「え?」
左近は困惑顔で磁石と電池をオハジキのように指で弾いた。
「いや……電池はまだしも……磁石って何に使うのかなって……砂鉄を集めるのですか?」
まあ、確かに砂鉄を集めるのにも重宝するだろう。
但しチマチマとかなり効率が悪い。
「左近、いいか。これからはドローンだぞ」
左近が恐ろしく白い目で見る。
「なんすか? 今、この切羽詰まったご時世によもやドローンですか?」
左近は信じられない、といった様子で主君を見つめる。
「他に食べ物のタネとか、例の感動的なドラマみたいにペニシリンとか……実用的なもの、みんなの役に立つもの、他にもあったじゃないですか!
なぜ? 今ドローン?」
磁石と電池があれば小さいモーターを作ることができる。
コイルは銅線が作れれば何とかなる。
できないことは、ない。
「い、今っていうかぁ! まだ本当に未来からこんなん来るとは思わなかったわけだから! 夢見ちゃうでしょうよ! ワクワクするものにしちゃうでしょうよ!」
まさか……三成は時空のヒビから、本当にこれらの贈り物が届けられるなんて、思ってもみなかった。
夢見がちなところのある左近の空想話に付き合ってやった感はあった。
「どうせ、左近の話なんて、殿は本気にしてなかったんでしょ! もう!」
「いや! 左近のご慧眼、恐れ入った!」
ということは、あの小早川秀秋の陣笠の羽根はやはり未来から来たことになる。
未来にいる人物は、ひとりしかいない。
長宗我部盛親本人である。
今朝も病室に行き、顔を見てきた。
看護担当の者が褥瘡を防ぐための体位変換をしてくれている最中だったが、固く目を瞑ったまま幸せそうにスヤスヤ寝ていた。
「こ、今度は実用的なものにするから!!」
三成はなおも睨んでくる左近に言い訳をしながら、磁石と電池をそれぞれ巾着袋に収納した。
◇
「やはりアイツを殺しておいたほうが良かったのではないか?」
いきなり物騒な発言をする色の白い横顔を、大野治長こと治は見つめた。
「とっとと、殺せば良かったのに」
歌うような口ぶりで小早川秀秋は言った。
手には可愛らしい小さな鞠を持っている。
よく見ると色褪せて薄汚れているのが分かる。
ずいぶん古いもののようだ。
秀秋は鞠に形の良い唇を寄せる。
「顔色が悪いな。仕事が忙しいんじゃないか? 眠れているのか?」
秀秋の言葉は柔らかく優しい。
「……内勤に異動しましたから、大丈夫です」
治は妻の病状の悪化により、営業部から内勤への異動願を出し聞き入れられた。
そのおかげで息子の直希のために定時で上がれる。
「みな……決断が遅いのう。すぐに佐久川に殺しを依頼していれば……」
「殺すわけにはいかないですよ!」
治は秀秋に慌てて言った。
「杉山は……現代にはもういないかもしれない。そうしたら生きているのはこの世界だけですから」
秀秋はエクボを浮かべながら治を見つめる。
「フフ……おぬしの妻が寝取られてもか?」
治の心がドキンと跳ねた。
「記憶が無いんだ。もしそんなことがあったとしても、わざとじゃない」
篤子のクルクルと表情を変えて、笑っている姿を思い出す。
「あっちゃんにしても……そうです」
直希が生まれる時、難産だった。
はじめて直希を胸に抱いた篤子は一筋の涙を流して、赤ん坊の小さな頬に頬ずりした。
「あっちゃんが、現代に戻ってくれたらそれでいい」
もう一度、目を覚ました篤子に会いたい。
「でも戻ったところで長くは生きられないのだろ?」
秀秋はズバリと言いにくいことを言ってくる。
医者は篤子の昏睡状態を訝しがった。
倒れた直後は、意識を取り戻し会話をすることも可能だった。
現に面会日が設けられ、篤子は治の剥いたリンゴをひと口食べた。
美味しいと言ってくれた。
直希が面会日に来なかった日から、篤子が目を覚ますことは無かった。
気力がないのだろう、と医者は言った。
生きていく気力がない――病気と闘える気力がないのだ、と。
治は絶望の淵を彷徨った。
治には後ろめたいことがあった。
篤子を愛するあまり、篤子宛のメールをこっそりと自分のパソコンへ転送していたのである。
杉山からの最後のメールを開いた後、自分が戦国時代に飛ばされたことに気付いた。
「修理(治長)よ。安心せよ。俺が付いている」
小早川秀秋は関ヶ原の福島正則隊陣地へ飛ばされた治に、そう声をかけ優しく微笑みかけてくれた。
大いに戸惑っていた治にとって、秀秋は天使のような存在だと思った。
その後も孤立無援の治を事あるごとに助けてくれた。
古田織部門下の好だと言っていた。
治は秀秋の関ヶ原での裏切りを知ってはいたが、秀秋は思ったよりまともな人間だと思った。
その頃までは。
日本史研究会に入ったのは、日本史が好きだったというよりかは、織田篤子がいたという不純な動機からである。
治は元々はそれほど日本史が好きではなかったし、現に高校時代の選択科目は世界史だった。
織田篤子。
通称・オダツは学内でも有名な美人だった。
女子アナウンサーも何人も輩出した大学だったから、一年生の頃からキー局のアナウンサーになるのではないかと学生たちの間で噂されていた。
アナウンサーになるのであったら、伝統のある英語クラブかアナウンス研究会がいわば学内の登竜門だった。
あと文化祭実行委員会やミスコン出場者などの花形。
ところがオダツが入ったのは『日本史研究会』という地味な同好会だった。
オダツの他は、頗る地味な人間の集まりである。
オダツは日本史研究会の男たちの無遠慮な視線に嫌気が差したのか、そのうち気の合う人間以外とは付き合わなくなった。
気の合う人間は三人。
勘伝久仁彦は皮肉屋だが面白い男だった。
早瀬治……すなわち自分。オダツの信奉者。
初めて会った時からオダツに夢中だった。
もう一人……杉山光男はとっつきにくいが頭の切れる男だった。
四人はどこに行くにも一緒だった。
「どうやって、おぬしの元へ淀を取り戻すのだ?」
秀秋の言葉に治の意識は戦国時代へと引き戻される。
「ん? 考えてみよ。治部が邪魔だろ?」
秀秋は人懐こい笑顔を治に向けた。
目の奥は昏い。
「俺は……どこまでもおぬしの味方だ」
秀秋の鞠を持つ細い指先がワナワナと震える。
「内府にふざけた処分を食らったが、バカバカしい! これからも気にせず、この世を引っ掻き回すつもりだ!」
秀秋は急に真剣な表情をした。
治の顔をジィっと見つめる。
「おぬしの得になるように動くぞ。これからも」
長いまつ毛に彩られた瞳が障子紙から洩れる鈍い光を受けて光っている。
「だから……だから、できればこの世界に少しだけ変化を加えて欲しい」
「そ、それは!」
治は慌てて制した。
「僕は……できない。やり方が本当に分からないのです!」
皆目見当もつかない。
「いずれ、分かる。その時に俺の頼みをきいてくれれば良い」
秀秋はニッコリと微笑んだ。有無を言わさぬ物言いだった。
「但し裏切りは御法度だぞ! 修理よ!」




