第86話 自分じゃない!
準備期間が過ぎてようやく石炭を掘り出す段取りまで来た。
さすが、戦国時代の武士たち。
手掘りであったとしても、体力が物を言う場面ではとにかく仕事が早い。
あっという間に奥まで10メートルほどの坑道が出来てしまった。
人間の中腰の姿勢くらいの高さである。
すぐに坑道が崩れないように木製の柵を設置する。
既に季節は3月も終わりだがまだ寒い。
煤だらけで出てくる人員に温かい湯を用意し、うがいをさせたり、手や顔を洗わせたりする。
水を張った樽は蓋をして随所に用意している。
飲み水としてもだし、万が一火が出た時のための備えである。
馬もいる。
掘り出した石炭を積んだ手押しグルマを馬が牽いて代わりに運んでくれる。
馬にとっても重労働なので、一日交代で無理のないよう休ませる。
レンガで作った人の背丈ほどもある巨大な巻き取り機も完成間近である。
「ロープの長さがなぁ……」
三成は隣の伊奈図書にボヤく。
トロッコを引くための巻き取り機を稼働させるにはロープにある程度の強度と長さが必要となる。
伊奈図書は数人の家臣と共に現地に入り、作業工程表とにらめっこしていた。
「ワイヤーロープってわけにはいかないですからね」
図書は目尻を下げて笑った。
「まあ太いしっかりしたものを作れば、何とかなるかと……」
こまめに破れたり解けたりした箇所がないか、点検を怠らずやるしかない。
例えばロープが切れると滑車が勢いを増して逆走し火花が散る。
そこで炭塵に火がついて爆発が起きてしまう。
そういった不注意から大事故に発展する。
「事故が起こるのは慣れてきた頃、と言います」
図書はさも生真面目そうな目を瞬かせた。
「油断が一番怖いですからね」
炭鉱で働く全ての人員に活版印刷機で印刷された『安全対策マニュアル』が配られた。
火気厳禁や、マスク着用の徹底など基礎的な細かな項目が記されている。
炭鉱に入る前には全ての人員の身体チェックを行い、危険物が持ち込まれることを未然に防ぐ。
伊奈図書は佐和山炭鉱の詳細な地図を机に広げた。
「ボーリング調査で、こちらとこちらの層に埋まっていることが判明しています」
図書は扇子の先で丸く囲む。
「懸念はこの川ですかねぇ……」
図書の扇子の先端でトントンと指す。
炭鉱のすぐ側に小川が流れている。
「水嵩が増えると、怖いですね」
溢れた水は炭鉱の内部の人員を押し流したまま、埋めてしまう可能性がある。
川の流れを変えるような大規模な治水工事をしなければならないかもしれない。
また、石炭が取れたからといってすぐさま使えるわけではない。
ここから使える石なのかそうでないのかの選別に入るのである。
使えない質の悪いものは捨てていくことになる。
ボタ山と言われるものができるのはそのためだ。
炭鉱業が軌道に乗り出すにはかなり気の遠くなるような道筋の果てである。
「鉄を集める方はどうなりましたか?」
鉄を集めるのは鉄穴流しが採用されている。
担当してくれているのは島津義久である。
鉄穴流しとは、岩石や土に混じった砂鉄を川や水路の流れの破砕力を利用して土砂と分離させ、比重差によって砂鉄のみを取り出すという方策である。
下流の水質が堆砂によって汚染されるというデメリットはあるものの、冬から春までの期間に行えば農作物への影響は最小限に防げる。
鉱山より少し離れた場所に製鉄所も備える。
戦国期のよく知られた名称は『たたら場』である。
通常、たたら場で使うのは石炭ではなく木炭である。
今回はたたら場ではなく、石炭をコークスに加工して、一気に高温を作り出しより強い鉄を作る。
上手く行けば、石炭自動車や東西に蒸気機関車を走らせるのも夢ではない。
「治部、ちょっといいか?」
大谷刑部に声をかけられる。
「刑部!」
わざわざ炭鉱まで足を運んでくれたらしい。
「初の嫁ぐ日が決まったぞ」
四月十日となった。
「俺が付き添いで東軍に送り届けるから、お前には西軍諸侯への説明をしてもらいたい」
大多数の者が、まず初の存在を知らない。
茶々の時とは違い西軍の象徴的な女というわけではないから全体的な反発はないだろう。
しかしながら、貴重な女をまるで無条件に見える形で東軍に譲るのだから西軍メンバーにとって面白いはずはない。
「相分かった」
よって内部にもそれ相応の根回しが必要となる。
「茶々様のことはどうなったかと聞かれたら……ちゃんとお前のものになったと伝えろよ」
大谷はつとめて笑顔を作った。
潔く手を差し伸べる。
悔しいが、負けを認めて祝福を示す。
それが親友というものである。
「それは無い」
三成は大谷の手を握らなかった。
炭鉱の地図にそのまま目を落としている。
「無い」
三成は唖然としている大谷にもう一度言った。
「何だと……?」
目も合わせようとしない三成に大谷は激しい怒りが湧くのを感じた。
「貴様! 無いだと? どういった了見だ?」
三成はウンザリしたようにようやく目を合わす。
「うるさいな。無いものは無いんだから仕方ない。色ボケしている暇もない。
いいか、刑部……今はお前のそのよく分かんない怒りポイントに付き合いきれんのだ!」
大谷は思いっきり三成の頬を殴った。
そのまま馬乗りになる。
腹にも重いパンチを繰り出す。
「ちょっ! ちょっ! やめ! なんなの?」
左近が走ってきて三成に覆いかぶさる。
「刑部様! ウチの殿を殺す気ですか??」
「左近! どけ!」
「どきません! 暴力はいけません!」
「コヤツが……コヤツが、ナメたこと言ってるから」
「そんなの、昔からじゃないですか!」
左近は叫んだ。
「今に始まったことじゃないでしょうが!」
大谷は長い脚で三成の脇腹を思いっきり蹴った。
「グフッ」
三成は堪らず胃液を戻す。
大谷は怒りに震えながら踵を返した。
ふと周囲の視線を捉える。
みな、恐怖に怯えた目で大谷を見つめていた。
伊奈図書が胸に扇子を抱えて固まった様子でこちらを見ている。
人を呪い殺す……そう噂されたこともあった。
自分でも怒りが止められないことに唖然とする。
人々の視線から逃げるようにその場を去った。
「俺が……おかしいのか……?」
大谷は自分という人間が分からなくなっていた。




