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第83話 信じられない!

 早瀬直希は放課後、『ナガイ総合研究所』と古びた小さなプレートに記されたビルに自転車で乗り付けた。


 雑居ビルは外観がツタで覆われているため、プレートはよくよく注意しなければ見えない。


 途中、母のかつての仕事部屋に向かう廊下で研究所の所長・永井に会った。


「今日も、悪いね」


  永井はいかにも研究者といった感じの小柄な白髪の紳士で、直希の父方の祖父と同じくらいの年代である。


「いえ、こちらこそ」


 ここでアルバイトさせてもらっているのはありがたい。


「直希くん」


 永井はそそくさと母の仕事部屋に入る直希を呼び止めた。


「お父さんは……ここで働いていることを知ってるんだよね」


「もちろんです」


 直希は父の治には何も話していない。


 駅前の飲食店でのアルバイトに続けて行っていると思っているだろう。


「それならば、良かった」


 永井は安心したように言った。


 直希は部屋に入るとすぐさま母のノートパソコンを立ち上げる。


 およそ二ヶ月ほど前に遡る。


 母の篤子が昏睡状態に陥った頃、滅多に鳴らない家の固定電話にかかってきた電話が全ての始まりである。


「永井です……篤子さんは?」


 直希は母が伊吹山総合病院に入院したこと、意識のない状態であることを話した。


「左様でしたか……そんな時に申し訳ありません」


「いえ……何か困ったことでも?」


 母は自宅で倒れたので、母が大学の講義の仕事の傍ら通っていた『ナガイ総合研究所』の存在を直希は知らなかった。


 母は最近かなり忙しくしていて、難しい顔をして携帯電話を持って自室に籠ったり、帰宅したかと思えばすぐさまノートパソコンに向かったりしていた。


 それでも暢気な直希は最初は、てっきり母の大学での講義のマスが増えたのだと思っていた。


 何かしらのカンが働いたのだと思う。


「僕で良ければ……」


 慣れない電話応対に直希はつばを飲み込む。


「僕で良ければ分かることがあるかもしれません」


 こうして直希は母の自室にあったノートパソコンを脇に抱えて、初めて『ナガイ総合研究所』に足を踏み入れたのである。


 初めて『シンクロ』を体験した時は流石に驚いた。


 母のノートパソコンの暗証番号は何となく察しが付いた。


 立ち上げるとメールを確認する。


 永井が欲しがっていたデータはすぐに見つかったので、永井宛に転送する。


 新着の中にめぼしいものは無かったが、ひと月ほど以前には、m.sugiyamaからのメールが大量にあった。


 読むのではなかった。


 m.sugiyamaとのやり取りは、戦時下の人々の状況……子どもたちの避難の様子、連れ去られてどうにもできない無力感に覆われていて、直希も胸が苦しくなる。


 ただ……なぜなのだろう。 そこには甘い……何か、家族の誰もが入り込めないような甘い感情のやり取りが散りばめられていることに直希は気がついた。


 直希の手はメールをひとつずつ開きながらジンワリと汗をかく。


 次のメールでとうとう二人は愛を確認しあってしまうのではないか……。


 直希は怖かった。


 母の知らない一面が怖かった。


 最後の一件まで、そんなやり取りは存在しなかった。


 ひと月ほど前に突然、m.sugiyamaからのメールは途絶えていた。


 最後の一件は無題である。


 直希は震える手でメールをクリックする。


 メールには文章は無く、ただURLが貼られていた。


 普段だったらウイルスを疑って押さないような不自然なメールである。


 URLを押した瞬間、直希は『シンクロ』した。


 直希は戦国時代に飛ばされていた。



  ◇



 三成は茶々の姿を廊下の隅で見つけた。


 すぐさま駆け寄る。


 茶々は逃げるように、部屋に入ろうとした。


 三成は素早く茶々の右腕を取る。


「茶々様……ご加減でも?」


「……離して」


 三成は口元に笑みを浮かべ、憎らしいくらい余裕の顔である。


「どうして?」


 三成は死角になっているところで茶々の指を愛おしげに撫でた。


「何が貴女のご機嫌をナナメにさせてるのです?」


「私に……二度と触れないで」


 三成は弾かれたように茶々を見つめた。


「どうして?」


 茶々は泣きそうになる。


「どうしてって、嫌いになったの」


 茶々は自らを鼓舞した。


「貴方のそういう態度が嫌い……とにかく、もう私に関わらないで」


 三成は茶々の腕を強く引いた。


たわむれてるのですか?」


 茶々は固い表情を崩さない。


 能面を意識して三成をキッと見返す。


「男を……そんな風に振り回すもんじゃないでしょ」


 三成の揺れる瞳が信じられないと言っている。


 茶々は何か言おうとしたがどうしても言葉にならずただ下を向いた。


 しばしの沈黙が二人を覆った。


「分かりました……」


 三成は茶々の黒髪を撫でた。


 そのまま茶々の顎に手をやり無理やり視線を合わせる。


「何かご事情があるのでしょう……分かりましたが気持ちは変わりません。一生」



  ◇



「左近? もう一度言ってくれ」


 島左近は怪訝な顔をする。


「ですから……例の羽根ですが、未来から来た可能性もあるかと」


 三成には左近の言葉が入ってこない。


「殿……? 聞いてますか?」


「ん?」


「大丈夫ですか?」


 流石の左近も、うわの空の主君の様子を心配をする。


「だから楳図かずお先生の『漂流教室』では未来に繋がって、物体が送られてくるシーンがあるんですよ」


 左近は力説する。


「今回もまさにそれで……未来からどうにか物体が送られて来ているのかも」


「なるほど……そうかもしれないな」


 三成はぼんやりとした頭で頷いた。


「送ってくるとしたらやはり、長宗我部盛親かな」


 頭がようやくゆっくりと回転をはじめる。


「まだわかりませんけどね」


「こちらから要望を送ってみよう」


 あちらから送れるということは、こちらからも送れるかもしれない。


「何にしますか?」


「どうしようかな? 何か時空のヒビを通るくらい薄いもので……役に立つもの」


――薄型ネオジム磁石。マンガンリチウム電池。


 三成は紙にそう書いた。


 もちろん、送られてくるとは思わない。


 一縷いちるの望みをかけて、未来へ託す。


 三成は左近が何を書いているか覗き見る。


『消毒液』と書かれている。


 心根の優しい左近らしい。


「何か、ありましたか?」


 三成が小さく紙を折って渡すと左近が訊いてきた。


「ん?」


 左近が不安げに見つめてくる。


「何も……ない」


 大広間に春の日差しが柔らかく差し込んでいる。


 あの関ヶ原の後、このような春を迎えるとは思わなかった。


 自分たちは一体、どこに向かっているのだろうか。


 答えは依然として不明のままだ。


――この世の責任の所在は全てお前にあるのだ。


 ふと大谷の言葉が頭をよぎる。


「お前もこの世界の責任は俺にあると思うか?」


 三成は左近に疑問をぶつけた。


「さぁ……左近にはよく分からないですが」


 左近は三成に笑いかける。


「もしあるんだとしたら、今度からはもうちょっと上手く創ってくださいね。殿」

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