第81話 気力がない!
湯浅五助が執務室の三成の元に持ってきたのは茶色の羽根である。
「付いているのは……血液?」
ニオイを嗅いだが時間が経ってしまっているためか何のニオイも感じなかった。
五助が伊吹山の洞窟の巡回中に見つけたらしい。
三成が戻るのを待ったので報せは本日になった。
「これに見覚えがある者がおりました」
滅多に口を開くことがない五助が訥々《とつとつ》と話す。
あの突如気を失った小姓である。
炭鉱開山セレモニーで小早川秀秋に付いた小姓は大谷家の者だったらしい。
小姓によると、小早川秀秋は陣笠にこれによく似た羽根をあしらっていたらしい。
お洒落だと思ったのでよく観察したそうだ。
羽根には切断面に加工が施されており、間違いなく装飾用である。
「どの辺りに落ちていたのです?」
「時空のヒビ、の手前です」
五助の声が低く小さくなった。
「刑部には?」
「伝えてあります」
後ほど大谷とこのことについては打ち合わせねばならないだろう。
三成は五助に礼を言った。
ノックの音がして、安国寺恵瓊が大きい紙を持って入ってきた。
活版印刷で刷られた『憲法』である。
三成は活版印刷ではじめに刷るのは憲法だと決めていた。
西軍国憲法 序文 西軍国国民(以下、国民)は、正当に選挙された議会における代表者を通じて行動し、国民全員との協和による成果と、領土内に渡って自由のもたらす恵沢を確保し、政府並びに国民は不断の努力をもって各々の叡智を持ち寄り、再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受……
増田長盛が日本国憲法序文を覚えていたので、序文はほぼそのまま踏襲して作成した。
(増田長盛はハッキリとはしないが現代で弁護士業に就いていた可能性が高い)
続く文はドイツ帝政の崩壊により誕生したワイマール共和国のワイマール憲法も参考した。
国民主権、男女平等の普通選挙の承認、生存権の保障など、近代の民主主義憲法の典型と言われる。
美しくリズミカルな文体が流麗な活版印刷によって表されることに三成は静かな感動を覚える。
「再び戦禍が起ることのないよう……ね」
安国寺恵瓊がちょっと揶揄する。
「まぁ……やるだけやるしかないでしょうね」
たとえ綺麗事だとしても理想を掲げることが無意味とは思わない。
「恵瓊殿、俺のワガママを聞いてくださって、ありがとうございます……」
恵瓊は三成の肩をポンッと叩く。
「おぬしの理想主義ぶりにはほとほと呆れるぞ」
言葉とは裏腹に愛弟子を見るような優しい目である。
これを掲げれば愈々《いよいよ》選挙が出来る。
宮本武蔵にはバカにされたが、揺るがぬ決意を持って事に当たればやれないことは何もない。
武蔵だって見直してくれるはずだ。
もしかしたら選挙に立候補してくれるかもしれない。
意気揚々と執務室を出ると、中庭で鍛錬を見ている長身の男が目に入った。
大谷刑部は息子・吉治が休日以外、毎日行っている大谷家の鍛錬の様子を食い入るように見つめている。
三成は急いで大谷の元へ階段を駆け下りた。
「刑部!」
中庭を後にしようとしていた大谷は三成の声に振り返った。
大谷はいつものように、優しい笑顔で三成を迎え入れてくれる。
「どうした? 慌てて」
「羽根の件、五助から聞いたのだ」
三成ら少し顔を近付けて小声で話す。
大谷と歩きながら三成は話した。
「何者かがあそこに鳥の羽根を落としていったというのか? 金吾の陣笠の羽根……」
「もしかして……あの時空のヒビから舞ってきたものなのではないか?」
大谷が大胆な推理をする。
「一体、誰が何のために?」
三成は呟く。
もし長宗我部盛親があの羽根を握っていたならば小早川秀秋の犯行の決定的な証拠となり、処罰は免れまいが。
誰がわざわざ移動させたのか。
「誰かが……金吾の仕業だと伝えようとしている……?」
もし伝えようとしているとしたら一人しかいない。
今、大垣城の北側の病棟で眠っている男である。
当の長宗我部盛親である。
但し歩いてあの洞窟まで行けるわけがない。
「金吾は近々、処罰されるようだぞ。刑部……土佐守(盛親)の件とは別件だが……」
「ほう……」
三成は東軍陣地内に入って松野重元と出会って事情を聞いたことを説明した。
「松野主馬殿か……! 懐かしいな」
大谷も嬉しそうに微笑んだ。
「東軍領内にもこのまま協力者が増えていけば、平和が保たれるかもしれないね」
古田織部の助力もあり、どうやら大野治長がプレイヤーと判明したことも話した。
大谷に身振り手振りを添えて話す三成は明るく無邪気である。
続けてそう言えば、と手を打った。
「松平忠吉に初を嫁がせるそうじゃないか?」
初が先に嫁に行ってくれれば、茶々を西軍に留め置ける。
妊娠していないことの説明もおいおい誤魔化せるだろう。
こう言っては身も蓋もないが、なにしろ貴重な女を東軍に献上するのだ。
男女平等……同権を憲法で謳っておきながら、自らは女を最大の輸出品にするのである。
三成は自分の中にある大いなる矛盾に盛大に目をつむった。
「どうやったのだ?」
そもそも大谷が初を説得できたのが凄い。
「……おぬしは何でも知ってるのだな」
大谷は少し遠い目をした。
三成は背の高い大谷の肩ににポンと手を置く。
「まぁ……この件はお前に任せてるから安心している。頼りにしてるよ」
「治部……」
「ん?」
「俺は少し疲れたので休みたい」
三成は大谷の深い色をした目を覗き込んだ。
「だから……初の嫁入りが済んだら隠居して気ままに生きたいと思う」
三成は以前、小西行長にも同じことを言われてしまった。
「まだ、老け込む歳ではないではないか……! コニタンみたいなこと言うなよ!」
「弥九郎(行長)の気持ちが分かるよ。こう毎日何かが起こると疲れるのだ」
三成は口に手をあてて思案する。
何でも頼りになる大谷に職務を離脱されてはかなりの痛手だ。
「お前は頑張れ。応援してる」
大谷は柔らかな笑顔を浮かべた。
「ま、その責任もある」
「責任……あるのかな?」
三成は自分がこの世界に責任があるなんて信じていない。
「たぶん……お前のせいなのだ。何もかも。何となくそれだけは分かる」
大谷には予感がある。
この妙な世界に何かしら意味があるとしたら、本人に自覚はなくとも三成は鍵を握るひとりだろう。
「だから、内府がお前を叩き潰そうとする気持ちは分かるぞ」
きっと徳川家康の焦燥は大きい。
家康のほうが巻き込まれ感は強いと大谷は思っている。
東軍側の体制が生き残りをかけて統制を強めるには未知のものに対する不信と戸惑いというもっともな理由がある。
「わかんないでくれよ〜そんなこと」
大谷はニコリともせずに言った。
「やはり、この世の責任の所在は、全てお前にあるのだ」




