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第80話 好きじゃないわけない!

 美しい砂浜が白く光っている。


 海岸の風はまだ幾分冷たいが、心地良い春の兆しに満ちている。


 漁村の小さな民家は、カタカタと風に揺れていた。


 左近が茶々を伴って小さな扉を開けると、男装の女子が跳ねるようにこちらを向いた。


うい……殿?」


「茶々様ですか?」


 茶々がすぐに手を取って声をかけると、初は思わず泣き出した。


「初……大変だったね。怖かったね」


「……会いたかった! 茶々様!」


 茶々は初の震える肩を抱きしめた。


 三成はその様子を腕を組んで静かに見ていた。


 このような麗しい光景がこの世にあるものかと感慨深い。


 隣の左近に伝えようと振り返る。


 左近の方が引くほど泣いている。

 涙と鼻水が垂れていてもうぐちゃぐちゃである。


「うお! 何か、いろいろ台無しだな!」


「殿に……人の心があれば! この光景がいかに美しいか分かりますよ!」


 左近が睨めつけるようにズビズビ言った。


「あるって! 人の心!」


 三成は胸を叩きながら思わず反駁はんばくする。


「ミツナリ、うるさい!」


 初に叱られる。


 女二人を小屋に残し、左近と三成は浜辺を歩いた。


「あ! あれが座礁したアワビ船か?」


 ゴツゴツした海岸に乗り上げ、傾いている。


 船底に大きな亀裂が走っている。


「転覆しないで良かったですね」


 座礁した船の現場検証のついでに、女二人の逢瀬を執り行うのは、合理主義を通り越してもはや横着が過ぎる。


 左近は心の中で主君へ苦笑いを浮かべる。


「潮に流されたかな?」


「操縦していたのはベテランだったみたいなので、原因はまだ調査中ですね」


 重大インシデントの発生においては素早い現場検証とその後の迅速な対策が肝要だ。


 季節が変わって潮流も変化した可能性がある。ましてや、この世界は突如海に囲まれたのだから潮の流れはまさに手探り状態だ。


 二度と同じてつを踏まないよう、安全対策を講じる必要がある。


「左近。この後、初を伊吹山の屋敷まで送り届けて欲しい」


 ひと通り現場検証を終えると三成は左近に言った。


「かしこまりました」


 左近は主君の指示に頷く。


「怖いですよね……この世界」


 左近の言葉に三成は頷く。


 気丈に見える初でさえ泣き崩れる時があるのだ。


「まあ、そうなんだろうな」


 三成は怖いと口にした左近の顔を見る。


 口元に笑みを浮かべていかにも楽しげである。


「人々の心が健やかであれば良いですけど」


「うーん……こればっかりはなぁ」


 風に吹かれて三成は伸びた髪を撫でる。


 左近が言うように、人々の心が恐怖に蝕まれ病んでいくのが怖い。


「茶々様は……大丈夫でしょうか?」


「大丈夫だろ? 彼女は強いさ」


 最期は大坂で負けたとは言え、あの家康と対等に渡り合ったのだ。


 そんじゃそこらの肝の座り方ではない。


「殿がお支えすべきなのでは?」


「ん?」


 左近は打って変わって真剣な表情である。


「何が言いたい?」


「いや……刑部様ではなく、殿が名乗りを挙げては?」


 三成はそれには応えなかった。


 自分の気持ちは茶々を生涯護ると決めているが、一番側にいるのは自分じゃなくても良いと思っている。


「左近、俺は宇喜多中納言様にご報告があるゆえ、そろそろ茶々様を連れて城へ帰るぞ。

 左近もくれぐれも他の者に見つからないように気をつけて初を送り届けるのだぞ」



  ◇



 大垣城への途上、雨に降られた。


 土砂降りである。


「天気予報、衛星が無いと当たらぬなぁ〜」


 天気予報を専門にした部署も開設したが、やはり現代のようには上手くいかず、雲の流れを読むのは難しい。


 三成は茶々を小さなお堂に濡れないように抱えるようにして連れて入った。


 自身はだいぶ濡れたので、片肌を脱いで布で身体を拭いている。


「風邪、引かないでね」


 茶々はそれを見て言った。


「そんなヤワに出来てないですよ」


 三成は細くて頭痛持ちだから身体が弱く見られるが、ことほか丈夫にできている。


 石田家は長生きの家系なので、普通に生きていたら天寿を全うできるほど健やかである。


 実際、三成の長男・重家は僧籍に入り103歳まで長生きした。


 但し、普通に生きていたら、である。


「貴方って不思議ね」


「何がですか?」


「普段はバカみたいなのに、急に頼りになるところがある」


「……はぁ」


 散々な言われようである。


「今日は初に会わせてくれてありがとう」


 三成は襟を直して茶々の隣に腰掛けた。


「何の話をしたんですか?」


 茶々は思い出したように笑った。


「教えない! 女子トーク!」


「ええ?! 気になるな」


 女子トークか。


 好きな人の話でもして盛り上がったに違いない。


 平和で可愛らしい、涙が出るほど穏やかな日々が永遠に続けば良い。

 

 このままずっと。


「この平和がずっと続けば良い……」


 三成は声に出して言った。


「貴方が護ってよ」


 茶々の黒い瞳がジッと三成を見つめている。


「この平和、貴方が護って。護る義務があるでしょ」


 茶々の体温が感じられるほど近い。


 茶々の頬の産毛まで光って見える。


「私を不幸にしたくないでしょ。貴方が護って」


「俺がですか? どうしよっかなぁ!」


「はぁ?!」


 怒気のこもった声に三成はたじろいだ。


 茶々は目をつり上げている。


「何、フザケてんのよ」


「いやいや、冗談なんだからそんな怒ることないでしょ」


 三成は豹変した茶々の勢いに押される。


「怒るでしょ。つまんない冗談言って! 命が懸かってるって言うのに!」


 茶々の怒りは収まらない。


「貴方って、何なの?」


「え? 何って……」


「どんな立ち位置なの?」


 三成は困惑する。


「私のこと……好きなの?」


 遠方で雷の音が聴こえる。


 逃げ出したいが、近づいてくるから外に出るのは危ない。


「俺は……」


 村田新左衛門によるとかなりの意気地なしである。


「もう、いいや。忘れて」


「……」


「めんどくさい。なんで私がヤキモキしなきゃならないのよ。初もそりゃ笑うよ」


 茶々は足を乱暴に投げ出した。


「初が何か言ったのですか?」


「初は貴方のこと、けっこう褒めてたわよ。でも見込み違いね。本当に優柔不断。バカみたい」


 茶々の瞳に涙が盛り上がる。


「バカみたい! 私、いつも勘違いしてるのね! 貴方って私のことなんて何とも……」


「貴女のことが好きに決まってるじゃないですか」


 三成は茶々の溢れた涙を思わず拭った。


 綺麗すぎてもったいないと思った。


「貴女のこと……好きですよ。俺は」


 次々と溢れる涙を指で拭う。


「護るに決まってるじゃないですか」


 指が茶々の柔らかな頬に触れている。


「貴女のこと護れるなら命なんていつだって捨てても構わないですよ、貴女を愛してるから」


 三成は指をそっと離した。


「ただ……そんなこと臆面もなく言えるほど、器用じゃないんですよ。俺は」


 三成は照れたように顔を背けた。


「とにかく妙な心配はしないで、安心してお城でお過ごしください。家中の者もおりますし、貴女の安全を第一に考え……」


 茶々は細い腕を三成の首に絡めて抱きついた。


「なんで……そんな言い方なのよ……」


 茶々は耳元で囁いた。


「もっと、ロマンチックに言ってよ。何でいつも決まらないのよ」


 三成は右手は茶々の細い腰を強く引きつけた。


 そのまま深く唇を合わせる。


 何度も深く口付けた。

 茶々の大きな瞳が美しく潤んでいる。

 

 三成は思わず吸い込まれそうになる。


「ずっと……私を護ってよね」


 三成の左手は深く茶々の懐に入り、柔らかく豊かな胸を弄った。



  ◇



 大谷刑部は渡辺勘兵衛から、三成と左近が船の座礁現場に行ったことを聞いた。


 大谷の見立てでは午後からは雷雨である。


 大谷は馬を走らせた。


 雷もあるかもしれないので降られる前に彼らに報せて、休憩を取らせようと思い立った。


 既に大粒の雨は予想より早く降り出してしまっていた。


 途中小さなお堂に繋がれた馬を見る。茶色の三成の馬である。


 大谷は馬を繋いでお堂に向かって歩く。


 大谷の心臓がドキリと跳ねた。


 小さなお堂から覗く赤い着物に見覚えがある。


 着物と緑色の帯、白い襦袢がお堂の奥へ続いている。


 これ以上、前には進めなかった。


 雨に降られて、長く伸びた前髪が顔に張り付く。


 大谷は震える足を無理やり鼓舞してきびすを返す。


 そこへ女の嬌声が聴こえた気がして彼は思わず耳を塞いだ。


「今回も……負けか……」


 大谷の自嘲気味の声は猛烈な雨の音にかき消された。

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