第76話 地獄ばかりじゃない!
翌朝、三成と左近は大野治長の屋敷の固く閉ざされた門の前に居た。
屋敷はひっそりと静まり返り、人の気配はしない。
門の隙間から内側を見る。
それほど広くはない庭は荒れ果て、草臥れた茶色の草がところどころに生えている。
三成は門を力強く叩いた。
なんの気配もしない。
三成は左近を見上げる。
左近は紫色の頭巾を被った主君を見た。
めちゃくちゃ線香臭い。
頭巾にも着物にも織部邸にあったありったけの香を焚きしめ、ニオイを消している。
「何か……これはこれで、ワンちゃんたちに嗅ぎつけられそうですけどね」
麻薬犬とか優秀であるから、こんな小手先の誤魔化しで逃れられるかは不明だ。
「仕方ない。もう一回、叩いて出てこなかったら忍び込もう」
「え? 不法侵入するつもりですか?」
相変わらずの三成の無軌道ぶりに左近は呆れる。
「頼もーーう!」
三成がもう一度扉を叩こうとすると、いきなり扉が開いた。
10センチほどの隙間から、下男らしき者の顔が見えた。
ジィっと三成を見つめる。
「あの……大野治長サンに会いたいんですけど」
「留守です」
下男はすぐに扉を閉めようとする。
慌てて三成は足を入れた。
「火急の用と知らせて欲しい」
「……主人は留守です」
「……」
三成はとりあえず狭い扉の隙間からグイグイ押し入ろうとする。
「あ 三斎様!」
下男が三成の背後を見つめて言った。
「え?!」
三成が慌てて振り向いた瞬間、扉が閉ざされた。
「敵もさるものですね〜」
「何で俺だって分かったのかなぁ……クソ!」
大野治長はよっぽど警戒していたのか、三成らが来ることを予想し、下男に一芝居うたせたのであろう。
「アイツ、俺に会わないつもりか! 許せんな」
三成は大野治長のザ・体育会系といった姿を思い出していた。
身体の大きさと存在感に比べ、当人の性格はどちらかというと小才の利くタイプである。
治長には関ヶ原合戦の約一年ほど前、家康暗殺計画の噂が立ち五奉行が家康に密告するという事件が起きた。
治長はその咎で下総の結城秀康にお預けになっている。
この時、三成も増田長盛・長束正家とともに家康への報せに協力している。
豊臣政権の執務を担っていた五奉行は五大老筆頭格の家康とのバランスを取ろうとしていた最中であり、家康と表立ってコトを荒立てたくなかった。 実は治長とはそもそもあまり接点がない。
真田昌幸の次男坊真田信繁(幸村)と仲が良かったことくらいであろうか。
治長の年代も三成よりは後輩。
信繁と同輩である。
因みに昌幸の妻は三成の妻とは姉妹なので真田家は縁戚である。
その縁もあって、三成は信繁のことはめちゃくちゃ可愛がっていた。
因みに信繁の妻は、大谷刑部の娘である。
治長は家康暗殺未遂を起こしたのち家康に急接近し、暗殺を未然に防いだ自分は家康と敵対関係に……。
運命は皮肉なものである。
でも治長が東軍についたことで茶々はその後15年の間護られたのだ。
幸せだったかどうかは別にして。
人目のある清洲城の大通りを抜けて、民家も疎らな裏路地に入った。
ところどころ赤茶けた土の路面がむき出しになっている。
東軍もマンパワーが足りなく、大通り以外の整備が追いついていないらしい。
西軍も同じである。
――キャンキャン!
「まさか!」
鳴き声が聴こえたかと思ったら既に角を曲がって犬たちが三成目掛けて猛進している。
「ヤバイ! 左近!」
思わず左近の後ろに隠れる。
「やっぱり猟犬は優秀ですね〜」
左近は近くにあった民家の土間に三成の襟ぐりを掴んで放り投げる。
左近は嫌々ながら刀を抜いた。
――トン!
犬たち目掛けて弓矢が放たれる。
左近は弓矢が放たれた先を見た。
矢が先頭の犬の鼻先を掠めたため、犬たちは怯んだ。
そこへ脇から素早く出てきた男が犬たちを蹴散らす。
「去れ!」
「キャウウン……!」
男はもう一度犬の鼻面を蹴ろうとする。
「も、もう! BPO!」
左近が止める。
犬たちが去っていくと、男はマスクを取って左近に笑顔を見せた。
人懐こい柔和な笑顔である。
「どーも、どーも。お久しぶりです」
「ま、松野殿ーー!!」
松野重元の顔を確認すると、後ろから三成が出てきて感激する。
「まさに地獄に仏! 掃き溜めに鶴! 松野殿、一体いままでどこにいたんですか?」
清洲城から少し離れた鄙びた民家で冷たい茶が出される。
松野重元は普段、僅かな手勢と供にここを寝床にしているらしい。
「いや……あれから大変でして」
重元がこれまでの経緯を話す。
東軍領内を無所属で浪人し、飯屋などで噂話を聞いて過ごした。
田中吉政の家中の者に会わないよう気を遣いながら旅を続けたそうだ。
(重元は関ヶ原後、田中家が改易となるまで仕えている)
途中、西軍の間諜と疑われ、首切りの刑場まで引っ張られたこともあったという。
松野重元は三成とは昵懇の仲で、偏諱を受けて「三正」を名乗ったほど親しい間柄である。
関ヶ原の折には小早川秀秋隊の一員として松尾山に布陣。
小早川隊の裏切りに呼応せずに僅かな手勢を引き連れ戦線を離脱した。
そこからは三成は重元の所在を掴めず行方知れずとなっていた。
「もちろんすぐに西軍のお仲間に加えてもらうこともできたのですが、手土産に東軍の事情も掴んでからと思い、こちらの領内を転々としておりました」
重元は嬉しそうに三成の肩に手をかける。
「そこで、懐かしいお声を聞いたものですから、びっくりして。いやはや」
お茶を取り替えに来た男を見て、三成はギョッとする。
右目の黒い眼帯に、頬と顎下まで火傷の跡。
異常に痩せた体躯を屈めて茶碗に茶を注ぐ。
「この男は刑場の首切り人だったのだ。な、十佐」
十佐と呼ばれた男は微かに頷き、三成を残った左目で見た。
立ち上がるとそれほど背丈は無いが、古の剣豪のような鋭い気配を身に纏っている。
十佐が重元を首切り場から救い出してくれたらしい。 三成はゆっくり重元と十佐の心躍るような冒険譚を聞きたくなった。
「ところで今、東軍のご家中は大荒れに荒れておりますぞ」
重元は声をひそめる。
「清洲城内で、どうやら刃傷沙汰が起こった様子……」
小早川秀秋が黒田長政に斬り掛かったらしい。
「吉兵衛は? 大丈夫なのか?」
三成は長政の身を案じた。
「ええ。黒田殿は無傷でおられたが、金吾殿は右腕を強かに撃たれて……まあ、大事には至らなかった模様」
重元は少し声のトーンを上げた。
「但し、ご家中でこのことは大問題となりました。なにしろ内府が出席していた会議の議場で起こった由……刀を抜いた金吾殿には近々処分が下されるでしょう」
黒田長政ではなく、小早川秀秋を処分しなければならない事情は徳川家康の今の限界を示しているとも言える。
やはり関ヶ原に徳川本体である秀忠軍がそもそも着陣せずに、この戦が始まってしまったことが家康の今日の苦境を招いている。
豊臣恩顧の武将が中心のため、関ヶ原が起こる以前のパワーバランスに戻りつつあるのだ。
そこに三成は勝機を見る。
「まさしく、今、貴方様が立てば、諸侯は奮然と湧き上がりましょう」
「いや……ちょっと。松野殿、それは困ります」
左近が思わず口を出した。
「松野殿が思うより、そんな感じじゃないですよ。西軍もそれなりにいっぱいいっぱいですから」
主君は調子に乗りやすく煽てに弱いので警戒が必要である。
「わかぁってるよ! そんなこと!」
三成は剣呑な目で左近を見た。
「とにかく、これから貴方がたのため。この松野重元、大いに動きますので何でも仰ってくださいね!」
キラキラした可愛らしい瞳で二人を交互に見る。
松野重元は右手で自らの胸を叩いた。




