第75話 面白きこともない!
左近は犬には鶏肉をあげて、古田織部の屋敷から少し離れた通りの門に繋いできた。
犬たちは左近にはひどく従順であった。
一匹の額をひと撫ですると、かわるがわる額を差し出してくる。
帰ってくると、客間で主君は身を丸くしてぐっすり寝ていた。
織部がその様子を見て左近を労った。
「おぬし、大変だな……」
「まぁ、大変っちゃ大変ですけど。楽しいっちゃ楽しいので」
左近は苦笑して、三成に綿の布団をそっとかけてやる。
「寝ているからちょうど良い。この男に、文句を言ってやりたい」
「どうぞ、どうぞ。存分に言ってやってください」
左近は顔を覗き込んで笑った。
主君は起きているとふてぶてしいが寝ていると可愛い。
「お前は豊臣政権の中枢に居ながら戦争も止められず、諸侯の心も乱した。宗匠の件も、関白秀次の件も止められなかった」
織部は極めて穏やかな口調で話し始めた。
「朝鮮の折には勝手に和平交渉を行って、太閤殿下の不興を買った。お前がやったことは我らに対する裏切りだ」
織部は床に胡座をかいて、ぼんやりと外を見た。
自慢の庭が夕日に照らし出されている。
「そして、挙句の果てに大乱を起こした。おぬしの野望ゆえとワシは見る。大義とか、忠義とかそんなもの、後から何とでも言えるものだ」
ふと、織部の胸中に昔のことがたまらなく懐かしく思い出された。
堺に蟄居を命じられた千利休を細川忠興と織部のたった二人だけで見送った。
あの時も強烈な西陽が差していた。
価値観も人生観も何もかも変わってしまった。
「佐和山領に善政を敷いていたのは確かだろうが……関ヶ原の直前には領内に高い税金を強いた。
おぬしはやりたいことのためには手段を選ばぬ、極めて冷徹な男だ」
織部は自分に言い聞かせるように話す。
「なあ……そんな男を信用できるのか? 信用してバカを見るのはワシではないのか……」
三成は暢気に寝入っている。
「そして……おぬしは自分では気がつかないだろうが……よう死にたがる。 大将自ら危険を冒す。隠しきれぬ希死念慮を……ワシはどう見れば良いのだ? そんな大将について行く者がおるのか? なあ? 島左近よ」
織部は手で顔を覆う。
東軍にも西軍にも確固たる居場所があるわけではない。
でもこれからの時代、織部の力、文化の力が花開くのを夢見ている。
もしかしたら……この混沌を乗り越えた先には、本当に生きたかった未来が訪れるかもしれない。
「そんな大将だからついて行く者もおるのですよ」
左近が穏やかに応えた。
「何故だ? 分からぬ……」
「面白いので」
左近は白い歯を見せた。
「面白きこともなき世も面白くってね」
幕末の志士、高杉晋作の言葉を返す。
「……ワシはプレイヤーを知っている。たぶん」
三成は薄目を開けた。
黙って織部の話を聴いている。
「物事をシンプルに考えろ。石田三成よ。 この世界は一体、誰のための世界だ。誰が何のために創ったのだ?」
この世界がゲームであっても、リアルであっても何かのために存在する。
「それが分かれば自ずと答えは出る。 その人間は護られたがっている。護ってくれる男だけが頼りだ。 石田三成が死んで、その後15年。誰がその人間を護った? 誰だ?」
女は男に縋って生きるしかない時代だった。
それが家族を護り、子どもを護るたった一つの術だった。
「淀のことを命をかけて護る男……大野治長がプレイヤー。そう考えれば物事の収まりがつくであろう」
三成がこんなバカげた話を持ってきた時から、織部の頭の中には既に大野治長の影がチラついていた。
「たぶん、佐久川という忍びは金吾の屋敷に出入りしていたワシをプレイヤーだと誤認したんだろう。
石田三成よ。大野治長こそが、プレイヤーだ。お前が会わねばならぬのは大野治長。奴に会ってよく話を聞いてこい」
◇
安藤は伊吹山総合病院の霊安室を飛び出してそのまま非常口から外に出る。
ちょうど霊安室の外側に回り、時空のヒビを探した。裏側に何も痕跡は残されていない。
「ない……なにも。ない」
遠くで雷鳴があったかと思うと、大粒の雨が次々とコンクリートを濡らした。
夕立だ。 安藤は膝を付いて壁を押した。
当然、壁は微動だにしない。
雨が容赦なく安藤の背中を打つ。
「どうして? どうやったらいい? 本当だったのに……どうしたらいい?」
雨が安藤の髪を濡らし、雫は落ちてきて顔を濡らした。
「安藤先生……?」
呼ばれて顔を上げて振り返ると本郷真美子が赤い傘を差し掛けている。
「安藤先生……大丈夫ですか?」
真美子は不安げに安藤を見つめている。
「具合でも悪いんですか? 看護師さん、呼んできますけど」
「いや! だ、大丈夫です! すみません!」
安藤は泥まみれになった膝を手で払った。
「あ、あの……私で良かったら話聞きますよ」
傘を安藤に差し掛けているので、真美子の肩は雨に濡れている。
「いや、母が骨折で入院してたので、お見舞いに来てたんですけど……安藤先生が飛び出してきてここに跪いたから何事かと思って」
真美子は真剣な面持ちで安藤に語りかける。
「何か、悩みでもあるんじゃないですか? 私で良かったら聞きますよ」
安藤はトミーカイラの助手席に初めて女性を乗せた。
車の中で、関ヶ原で石田三成に出会い大垣城で過ごしたこと。
途中、茶々が大坂から来たこと。
更には小早川秀秋に脇差しで刺されたこと。
身振り手振りで全て話した。
途中、リーズナブルなレストランがあったので空腹だったため入った。
そこでも、飯田源吾のこと。
長宗我部隊のこと。
他の執務室メンバーの特徴など、全てを語り尽くした。
真美子は安藤の話を熱心に聞いた。
意外にも歴女であったため、わりに名前をよく知っていた。
特に大谷刑部のファンだったため、大谷の人となりをよく聞いていた。
「でも、本郷先生に言いたいのは……推しの武将は長宗我部盛親にすべきですね」
「……そう?」
真美子はフォークでパスタを器用に巻きながら曖昧な笑みを浮かべる。
「そうですよ! 長宗我部盛親ほど茶々様を想い、命をかけて尽くした武将はいませんから。忠義の人です。男として完璧で最高です」
真美子はニッコリと微笑んだ。
安藤はその笑顔がとてもキュートだと思った。
「安藤先生……お話、とっても楽しかったです!」
真美子が安藤の話を楽しんでくれていたのは表情からでも分かる。
普段の不機嫌な表情とは打って変わって終始穏やかだった。
「あの……良かったらなんですけど」
真美子はモジモジと言いにくそうに言った。
「連絡先、交換しませんか?」
「えっ?」
女性から連絡先を交換したい、などと言われたのは初めてである。
安藤は慌てて携帯電話を取り出す。
「私の知り合いでとっても良いお医者さんがいるんです」
真美子もハンドバッグから赤い携帯電話を取り出す。
「精神科なんですけど、本当に話しやすくて。患者さんから友達みたいに何でも話せちゃうって言われることも多い、本当に名医なんです。だから……」
真美子は普段では考えられないような、とびきりの笑顔を見せる。
「だから、安藤先生。お疲れのようだから、少しお休みされた方が絶対に良いと思うんです! その先生に連絡取るので、安藤先生の連絡先を聞いても良いですか?」




