第72話 帰らない!
「カコーン」
鹿威しの音が静寂の庭に響く。
庭の茶室に通された二人は待ちくたびれて、正座の足がそろそろ痺れはじめる。
ようやく茶室の主人の古田織部が躙口から入ってきた。
「た、大変に美しいお庭ですね! 流石、天下の筆頭茶道・古田織部様のお庭!」
左近が必殺人誑しの笑顔で語りかける。
「その庭の自慢の松が……本日、無残な姿に成り果てました」
織部の言葉に左近は隣の主君を白い目で見る。
三成は畳の目を数えるように、ひたすらに下を向いている。
鹿威しの音が再び響いた。
「良い音ですね……本当に風情があって」
「そもそも、鹿威しとは日本庭園に必要なのかな?」
左近な信じられない面持ちで三成を見た。
「鹿威しは、畑や田んぼに野生動物が入らないようにする仕掛けだろ? 庭園は農産物を荒らされる心配がないのだから、そもそも鹿威しは不要なのでは。ましてや動物避けとしてはあんまり迫力ないし……イッテ!」
左近は思いっきり主君の腿の薄い肉を抓った。
古田織部は客人にはほとんど目を合わせず、釜に火を入れた。
クツクツと釜の湯が沸くまで、静かに刻が過ぎる。
左近は古田織部の表情を盗み見る。 ツルリとした肌に、ダリのような形の髭を蓄えている。
飄々とした雰囲気が戦国武将というよりは優しげな商家の若旦那といった風情だ。
「この度は、如何様で?」
織部は茶を振る舞いながら、二人に尋ねた。
美しい赤楽茶碗に緑が映える。
三成は茶碗を愛でることも無く、茶碗に手を伸ばして喉の渇きを潤した。
織部はその様子を怪訝な顔で見つめる。
「私が茶を振る舞うからといって、勘違いしないでいただきたい。貴殿らを歓迎するつもりは毛頭ありません。早く帰ってもらいたい」
冷たい言い方で織部は釘を差した。
「上様に再び勘違いされたくありませんから」
古田織部は関ヶ原の合戦後一万石に加増され大名となるとともに、利休亡き後の茶道界すなわち文化面で各諸侯に一廉ならぬ影響力を保つ人物となった。
しかしながら大坂の陣勃発の折、師の利休同様、死を賜ることになる。
そのキッカケが茶会に方広寺鐘銘事件で蟄居中だった清韓禅師を招いたことであった。
家康に、大坂方への内通を疑われたのである。
「……この男を知りませんか?」
三成はおもむろに、一枚の紙を出した。
左近の描いた佐久川喜重郎の人相書きである。
織部はサッと一瞥して紙を返す。
「知りませんな」
「もう一度見て……」
「知りません」
織部はにべもなく応える。
「左様ですか……失礼しました。帰ります」
三成は茶を飲み干すと立ち上がった。
足が痺れたのか少しふらつく。
「えっ!」
「帰ります。左近、帰るぞ」
左近もスッと立ち上がる。
「お邪魔しました……」
左近は大きい身体を縮めてペコペコした。
「……それだけのために来たのですか? わざわざ?」
足早に茶室を出て、屋敷に繋がる廊下で二本の刀を自らの脇に戻している三成に織部は声を掛けた。
「はい。帰ります」
三成は頷いた。
「先ほどの紙、もう一度。見ます」
織部は今度はマジマジと佐久川喜重郎の人相書きを見る。
「うーん……金吾中納言(秀秋)のところで会ったような」
「左様ですか。ありがとうございました。左近、サッサとお暇するぞ」
「……」
玄関で急に思い出したように三成は織部に尋ねた。
「そう言えば、これに見覚えは?」
三成は恭しく懐から白い布を取り出し、陶片を掲げた。
「伊賀ですか?」
「ええ」
「……さぁ、これだけでは何とも」
織部は困惑の表情である。
「左様で。帰ります」
「ちょ、ちょっと!」
織部は堪らず抗議の声を挙げた。
「いきなり押しかけといて、それはないんじゃないの?」
三成は片眉を器用に吊り上げる。
「何が?」
織部は三成の人を食ったような返答にムカついたのか声を荒げる。
「いや……何がって何なんだよ! 何か話があって来たんだろうが!」
三成が左近に上目遣いで話しかける。
「だって……早く帰ってほしそうだったから。ねぇ」
織部は悔しそうに自らの後頭部を搔いた。
「分かった。分かったよ。話すから、事情を言え! お前らが来るってことは何か厄介事が起こってるに決まってるだろうが!」
◇
「金吾が……? 信じられない」
三人は茶室に戻っている。
古田織部にとって、小早川秀秋は愛弟子である。
織部にとって可愛い年若の弟子のひとりであり、色使いひとつとっても洒脱な感性が光る有望株だ。
茶人としては将来大成する予感のある人物である。
「センスがあって、人懐こくて。三斎(細川忠興)なんかにも可愛がられておる……それに、まだ子供だぞ」
「子供だからこそ、無邪気に殺人を繰り返している。罪悪感は無くゲームの中だと思っている」
三成が言った。
躙口を潜る際、入りづらいと文句を言ったのでそこでも少し織部の不興を買っている。
「我らに実体が無いということか……」
織部はその身を両の腕で抱くようにクロスする。
「うーん……ただただリアルだなぁ」
「で、その金吾曰く、この世界には『プレイヤー』なる者がいてこの世を統べている、と」
三成の言葉に織部は怪訝な表情を隠さない。
「プレイヤー?」
「ズバリ、そのプレイヤーは古田織部。貴方なのでは?」
三成は織部の胸元を指差した。
「違うけど……」
織部のツルリとした眉間に一筋の縦皺が寄る。
「まあまあ。結論を急がずとも。そのプレイヤーとやらにどうやら自覚は無いようなのです!」
「聞いたことも見たこともない。ましてやこの世を統べる、なんてことできるわけがない」
織部はフツフツと肩を揺らして笑った。
「バカも休み休み言えよ」
真にくだらなさそうに織部は応える。
そこから三成の目に視線を移し、真顔になって宣言した。
「このことは上様にご報告させてもらうぞ」
三成は思わず笑った。
「徳川家康と貴方に、そのようなツテがあるようには思えませんが」
長政から大凡の東軍内事情を聞いている。
古田織部は弟子たちを中心にコミュニティを築いているものの、中央政界とのパイプは無いに等しいと。
むしろ、利休同様、その多大な影響力ゆえ、中央政界……家康からは疎んじられている。
今、彼の弟子もしくは利休同門の中で親しく付き合っているのは大野治長か細川忠興くらいである、と。
「三斎だって、それほど内府に近いわけじゃないでしょう?」
三斎とは細川忠興の茶号である。
大野治長が徳川家康にワタリをつけることなどあり得ない。
残るは細川忠興だろうが、ここも別段家康と近しい関係とは言えない。
「むしろ、我らに会っていたなどと内府の耳に入ったら、もう一度お腹を召されることになるのでは?」
三成は分かりやすく織部を脅す。
織部が怯んだと見るや、グイッと膝を近づけた。
「貴方、知りたくないんですか? この世の仕組みを」
三成は織部の顔を覗き込む。
「知りたいのだったら、我らと行動を共にするしかありません」
三成の目が生き生きしてくる。
「プレイヤーは己が何たるかを自覚した時に、プレイヤーとして目覚めるそうなのです。
だから貴方の中にある何かが目覚めたら、この世界を意のままに操れるようになるのです!」
三成はとうとうと話す。
言葉だけ聞くとまるで自己啓発セミナーの胡散臭い講師である。
「釈尊じゃないんだから」
仏は生まれながらに仏であったと自覚することが『悟り』と、釈迦は説いた。
なにやら宗教じみた問答に織部はため息をつく。
「妙なことになったな……」
【古田織部 ふるたおりべ】 1544年~1615年。安土桃山時代の武将・茶人。美濃の人。名は重然。 千利休に茶の湯を学び、徳川第2代将軍秀忠をはじめ諸大名にも伝授。大坂夏の陣のとき、豊臣家への内通を疑われて自刃。 『出典:小学館』




