第71話 慈悲はない!
「もう、教員クビになるかもだよね……」
地下の霊安室を前にして安藤は逡巡する。
先ほど看護師が鍵もかけずに部屋を足早に出ていくのが見えた。
でも、中には葬儀屋や家族が既に来ているかもしれない。
忍び込むにはかなりハードルが高い。
でも、「飯田源吾」の名は偶然とは思えない。
「行くしかないよね……」
ゆっくり霊安室の扉を開けた。
線香のニオイがする。
ひとりが冷たそうなステンレスのベッドの青いマットの上に寝かされている。
安藤は飯田源吾らしき人の顔にかかった白い布を恐る恐るあげる。
かなりの老人である。
「微妙……分からないなあ……」
あの世界で見た飯田源吾の死に顔と比べても年齢が違いすぎて同一人物かは分からない。
「成仏してください」
ふと我に帰り、安藤は数々の無礼を詫びた。
勝手に霊安室に入り、勝手に顔を見た。
――そう言えば。
安藤はカバンからメモ用紙とペンを取り出す。
「戒名、考えて付けたんだっけ」
安藤はせっかくだからとサラサラと戒名を書いて枕元に置く。
戒名を書いた手紙が風を受けて飛ばされそうになる。
「風?」
クーラーか通気口だろうか。
ふと壁に目をやった。
壁から微かに風が吹いている。
暗いのでよく見えないが、横長に細く亀裂のような傷が入っている。
しばらく見つめていると、壁の隙間から、何やら細長い捻ったような紙が出てくる。
紙の先端が燃えている。
紙縒だ。
紙縒はゆっくりとこちら側で燃えて、端の部分が少し燃え残り、床に落ちた。
「まさか……」
安藤は壁の隙間――縦の幅が1センチあるかないか、横幅は長い亀裂のような裂け目を見た。
細長い裂け目を覗き込む。
相手方と目が合った。
アーモンド型の目が瞬きをしている。
「治部さん!」
三成は怪訝な表情を浮かべこちらを見つめていた。
「治部さん! こちらです! 長宗我部です! こちら側におります!」
安藤は壁に縋り付いた。
「刑部さんも! 刑部さん! 気づいて!!」
二人は何ごとか喋っているがまるで聞こえない。
背景はどこかの洞窟のようだ。
日の光が微かに入って照らされた洞窟内が見える。
「気づいて! こちら側です! 現代です!」
霊安室のドアがガチャリと開いた。
「あ、あの……」
振り返ると、中年の女性が困惑している。
「繋がってるんだ! 繋がってる! 凄い! でも!? どうして!?」
導かれてるのだ。
何かに導かれてる。
一体何に?
今の安藤には皆目見当もつかない。
安藤は壁に縋り付く。
しかし、壁の向こう側の日の光は、すぐに暗くなって行った。
咄嗟に血のついた茶色の羽根をポケットから取り出し隙間に入れた。
「治部さーん! 刑部さーん! 絶対、絶対助けますからね! 待っていてください!」
◇
「よし! 出立するぞ!」
左近は張り切る主君をジト目で見つめる。
左近は脚絆にわらじ掛けをしながらため息をついた。
嫌々の旅支度である。
三日前に遡る。
「小早川秀秋とはもっと話さねばなりませんね……どうやったら改心してくれるのか……」
「改心……?」
左近の問いかけに三成は小首を傾げた。
「金吾が改心なんて、するわけないだろ?」
「だって! 殿が慈悲の心でお救いするんじゃなかったんですか? 啖呵切ってましたよ」
つい前日の出来事である。
忘れるわけがない。
「お前、本当に俺が慈悲の心を持っていると思ってるのか?」
三成はなんだか気の毒そうな表情をしながら、筆頭家老の顔を見つめた。
「いや! 全然思ってないですけど、あそこまで言ったら普通そうなのかな、って思うじゃないですか?」
「金吾はダメだ。何ともならん!」
即答である。
三成はおもむろに懐から白い布を取り出した。
「なんすか? それ?」
右手で小さな陶片を取り出す。
「伊賀焼……ですか?」
「佐久川喜重郎が遺していったものだ」
喜重郎の間諜のリストは正確だった。
こちらも信用して間違いはないと三成は見ていた。
「プレイヤーは古田織部とみた!」
意気揚々と三成は宣言する。
「はぁ……でもちょっと単純過ぎません?」
伊賀出身の戦国武将だったら堀尾忠氏はじめ東軍にはゴロゴロいるし、茶道具の陶片だったから、筆頭茶道の古田織部はかなり安直である。
「古田織部といったら、伊賀焼の破れ袋だろ!」
「まあ……そうなんですけど」
織部が『今後是程のものなく候間』という評価した手紙を大野治房(治長の弟)に送った手紙が現代に伝わっている。
『銘・破れ袋』は破裂したかような荒々しい形状を持つ水差しの大名品である。
「不安しかないですね。そもそも殿は利休居士のことで、古田織部殿からは蛇蝎のごとく嫌われてるのですから、よしんば織部殿がプレイヤーだとしても、彼を説得するのは厳しいんじゃないですか?」
三成は鼻歌交じりに陶片を懐に入れて、既に左近の話を聞いていない。
「おとなしく他の方に任せるのが賢明かと! 殿は無駄に忙しいですし! 人当たりも良くないですし!」
三成は心配するな、と左近を諭した。
「左近……プレイヤーは何でもできるのだ。俺からの願いなどチャチャっと聞き入れてくれる余裕はあるはず」
三成はキリッとした顔を左近に向けた。
「とにかく、女だ。左近」
胸元で拳を握る。
「女を爆誕させれば、この政情不安は無くなる! 金吾も満足! みな大団円だ。
女をめちゃくちゃ増やすようにプレイヤーにお願いすれば良いのだ」
「うーん……女が単純に増えたら増えた分だけ、不毛な争いが起きそうですけどね……」
左近は不安に駆られる。
「とにかくハーレムだよ! 左近。ハーレムじゃなきゃ話にならない。みなこの世で見たいのはハーレムなんだよ」
左近は真剣な顔でアホなことを言う主君をかわいそうな者を見る目で見つめた。
「わー! 久々のお出かけだー!」
真夜中である。
揖斐川を渡る舟の上で主君ははしゃいでいる。
左近は生前、三成が全国を出張で飛び回っていたのを思い出す。
たぶん日本で一番、移動距離が長かった人間ではないだろうか。
手紙にはやれ寒いだの、田舎だだの、疲れて早く佐和山に帰りたい、などと愚痴が延々書かれていたが、案外、出張を楽しんでいたのだろう。
「はぁ……帰りたい」
左近は逆に涙目である。
古田織部の説得なんて不首尾に終わるに決まっているのだ。
主君は自身の人気の無さを甘く見ている。
揖斐川を渡りきったところに、東軍の関所がある。
黒田長政に頼んで、二名分の通行手形を既に発行してもらっている。
黒田家・家臣『島田弥二郎』『三田喜多次』である。
「何でヤジキタなんだよ……」
三成がボヤく。
「からかわれてるのでしょ」
通行手形を見て、東軍の関所の役人は笑う。
「たまたまなんですけどね……」
その度に左近は言い訳する。
ただ立派な通関証ではあるので、もちろん通る。
長政らしい地味な嫌がらせである。
木曽川を渡りきったところで、いよいよ本格的東軍領地内である。
左近は主君に身の危険が及ばぬように目を光らせる。
朝靄が一帯をぼんやりと漂っている。
清洲の城下町に着く頃には、日も高くなり日差しが二人を照らした。
少しずつ真冬の寒さから春の気配を感じるようになっている。
古田織部の屋敷の所在も長政に既に聞いていた。
三成はいきなり屋敷の扉を叩こうとする。
「ちょっ! ちょっと! 殿!」
「俺は喜多次ですよ。弥二郎」
三成が子供をたしなめるように話す。
「こんな大通りで俺を殿呼ばわりしたら、目立つでしょう」
「目立つもなにも、正面玄関からこんな強行突破できるものなのですか?」
「……知らんけど。じゃあ、どうするの?」
キャンキャンっ! と可愛い鳴き声が遠くから聴こえてくる。通りを数匹の犬が駆けてくる。
「お! 珍しい。飼い犬か?」
「あ! ワンちゃん! 可愛い!」
左近は犬好きである。
めちゃくちゃ突進してくる。
様子がオカシイ。
よく見ると全員がヨダレを垂らし牙を剥いている。
「ヤバイ! ヤバイ!」
三成は織部の屋敷の門の近くの松の木にしがみつく。
犬たちは三成に向かって狂ったように吠えかかっている。
「さ、左近! なんとかせい!」
「左近には襲いかからないですよ」
松の木の枝にしがみつきながら、三成は思い出した。
細川忠興が三成のニオイを嗅がせて猟犬たちを訓練していることを。
「ちょ! 左近、犬を斬れ」
「いやいや、人は斬れても犬は斬れませんよ! 左近はBPOに通報されたくないですから」
「BPO? 知るか? そんなもん! 早よ殺れ!!」
三成は松の木をどんどん登る。
ふと屋敷の内側を見ると、下から覗き込む古田織部と目が合う。
三成が細い枝に足をかけた瞬間、枝はポキリと折れた。
「あ!」
三成は古田織部の足元にドサリと落ちた。
「……」
「ど……どうも……」
三成は腰をさすりながら、半笑いで上を見上げた。
古田織部は底冷えするような視線で三成を見下ろしていた。




