第70話 気に入らない!
「みなは知らぬだろうが……西軍ひとり屠れば女が手に入るのだ」
秀秋は困惑顔の東軍諸侯の表情を楽しむように見回す。
「今こそ力攻めで西軍陣地に押し入り、ひとりでも多く殺せば、女が手に入る。
ましてや、炭鉱の共同開発なんてくだらない。全て手中に収めてしまえば良い」
「よく……理屈がわかりませんな」
藤堂高虎が汗を拭きながら、秀秋に向かって曖昧な笑みを浮かべた。
「理屈じゃないのだ、和泉守。これはゲームなのだから」
「しかし、力攻めはこちらにも相当な犠牲を強いるわけで……」
高虎はつとめて穏やかに話す。
「そこは切り取り次第、女が手に入るとあらば、みな俄然やる気になる。士気もあがるだろう」
「あのう……」
声の主は黒田長政である。
「なんだ? 吉兵衛」
秀秋のイライラのトーンが上がる。
「その理屈……おかしくないですか?」
長政は腕を組んで話に割って入った。
「だって、確かにはじめに西軍の飯田某が死んだ後、茶々様が突然姿を現した。確かに。ただその後は?」
長政は首を傾げて秀秋の顔をチラリと見る。
「私の間諜に拠れば、木の伐採時にもひとり死んでる。ひとり死んだら女が増えるのだったら、もう増えているはず。 しかし、そんな情報は下りてきてない。
貴方がよくご存知の佐久川某の時もそうですよね。
加えて、先日、長宗我部盛親氏が亡くなられた。これに関しても女が増えたという話は聞かない」
長政は秀秋に疑問を投げかけた。
「ぶっちゃけ、それどこネタですか? ソースは?」
「……それは、まだ言えぬ」
秀秋の返答を長政は鼻で笑った。
「なんだ……いい加減にしてくださいよ。兵部殿、報告を続けてください」
「お前!! 西軍に通じているだろう?」
秀秋は机を叩いて、長政を睨みつけた。
「はぁ?!」
「吉兵衛、このままで済むと思うなよ! 内府が黙ってお前の行動を見逃すと思っているのか?」
名前を出されて家康が目を開ける。
「金吾……ちと黙りなさい」
家康は穏やかに秀秋を諭す。
「いや! 絶対に、見逃してはならない! あの男は西軍に通じているぞ! 目を見たら分かる」
「見たら分かるって……フフ、根拠は見た目ですか?」
長政は下を向いて長いため息をついた。
「くだらない。こんな会だったらお暇しますよ。私、暇人じゃないんで」
長政は席を立ちがる。
「筑前守!」
今度は井伊直政が慌てた。
「上様がおられるのだぞ……」
「上様、だったらこの事態をお止めください」
長政は振り返って家康に言った。
「放っておかれると、まるで止めたくないのかのように思えてくる」
家康が目を上げて長政を見つめた。
「止めたではないか?」
「発言じゃなく、この事態をと申し上げました」
再び家康が目を伏せたのを長政は確認する。
「失敬」
長政が出ていくと同時に毛利秀元も席を立つ。
東軍諸侯がざわめいた。
井伊直政は困惑気味に家康の顔を見た。
そして隣で自らの膝に手の指を食い込ませて震えている伊奈図書を見る。
伊奈図書は意を決したように立ち上がった。
「図書! 正気か?」
直政の声が裏返る。
「失礼します」
図書は深々と家康に頭を下げて、広間を後にした。
広間を出たところで黒田長政が待っている。
広間を出たのは三人である。
「ま、ま、初回はこんなもので」
長政が楽しそうに言った。
そこへ秀秋が鉄砲玉のように飛び出してきた。
「おや、どうしたのですか?」
「貴様!」
秀秋が抜刀する。
長政は素早く剣を抜いて秀秋の剣先を弾いて躱した。
秀秋が再度切り込んできたので、長政は鍔を返して秀秋の刃をググッと押し込む。
「負けませんよ」
「お前! なぜ西軍の味方をする?」
「別に味方してないですよ。貴方のやり方が気に入らないだけですから」
「本当なのだ! 本当に西軍を屠れば女が湧いて出るのだぞ!」
秀秋は喚いた。
「……よしんば、それが本当だったとしても」
長政は刀を持つ手にチカラを加える。
「やり方が気に入らないのだから、しょうがないでしょ」
長政は剣先を翻すと、鋭く秀秋の小手を剣の背面で峰打ちした。
思わず秀秋は剣を落とす。
広間の中でも、廊下の喧騒は聴こえている。
福島正則は耳の裏を搔いて、おもむろに席を立ち上がった。
「やっぱり調子が悪い……ワシも帰ります」
隣の浅野幸長が信じられない面持ちで兄貴分の正則を見ている。
「父上……!」
家康の隣で松平忠吉が事態打開のため声を掛ける。
家康はそんな息子を冷たい目で見た。
「忠吉。まずはジッとして動くな、とワシは言ったよな。もしかして聞いてなかったのか?」
◇
安藤は再び伊吹山総合病院の駐車場に車を止めた。 既に正面玄関は閉まっている。
安藤は入院外来と書いてある裏口に回った。
「もう、面会の時刻は過ぎていて」
守衛のオジサンが止める。
「忘れ物、しちゃったんですよ。すぐに戻りますから」
守衛室の前の用紙に名前と住所を記入する。
記入した後から偽名のほうが良かっただろうか、と頭をよぎる。
「入院されている方のお名前も念の為」と守衛が言うので、早瀬篤子――と記入した。
「といっても、何でここに戻ったんだろう?」
早瀬篤子の病室の前で安藤は途方に暮れる。
別に確信があって戻ったわけではない。何だかやもたても堪らず、病院に舞い戻ってしまった。
早瀬直希―― 確かにあの世界で見ている。
他人の空似だろうか。
「何やってるんだろう。帰るか……」
エレベーターホール付近までトボトボとした足取りで帰る。
途中、看護師に車椅子を押された老人とすれ違う。
ふと病室の複数の名前のパネルに目をやる。
「飯田……源吾……」
口ずさんでみる。
「飯田源吾???」
安藤は弾かれたように病室に入っていく。
6つのベッドの大部屋だ。
カーテンを開けて、ひとりずつ名前を確認する。
奥から看護師が出てきたので、咄嗟に近くのカーテンに隠れる。
横になった入院患者と目が合った。 いきなり入ってきた安藤に、困惑の表情を浮かべている。
「もしかして、飯田さん?」
看護師が出ていった後、先ほどすれ違った老人に声を掛ける。
車椅子から降ろされ、ベッドに収まっている。
髪の毛が肩まで伸びていて、仙人のような風体だ。
老人は頭振って、震える手で隣の窓際のベッドをゆっくり指さした。
カーテンを開けるとベッドには誰も寝ていない。
「……飯田さんは、さっき、くたばっちまったよ」
「え?」
「つい二時間くらい前かな……まだ霊安室にいると思うよ」
安藤は力が抜けて思わずベッドに腰を掛けた。
窓の外は、陽が完全に暮れるにはまだ長い。
夕日に照らされて山々の稜線が美しく見えた。
「あんた、親族?」
老人が震える声で訊いてくる。
「まあ……」
安藤は逡巡する。
でも、今日確かめないと後悔するような気がした。
「あの……霊安室ってどこですか?」




