第69話 嘘じゃない!
長宗我部盛親の容体は良くも悪くも変わらず、意識は戻らず寝ている状態が続いていた。
もちろん点滴も胃瘻もできないので、水差しで水分や塩分を補給する。
実際、この作業も生命維持に役に立っているのかはよく分からない。
ただ眠っている状態は保たれていた。
「眠れる森の公務員って感じだな」
盛親の顔を覗き込んで、長束正家が軽口をたたく。
公には治療の甲斐なく「長宗我部盛親は死んだ」ということにしている。
執務室メンバーで話合い、盛親が眠っているのを秘匿することに決めた。
茶々が毎日見舞いに来て、盛親の顔を拭いたり、首元の汗を拭ったりしてくれている。
意識があったらさぞかし喜ぶだろう。
「あの〜」
三成と正家のすぐ後ろで声がした。
驚いて振り返ると医師の曲直瀬玄朔である。
曲直瀬が西軍にいなかったら、盛親は延命できなかった。
結果的に家康のファインプレーということになる。
「あ! お礼言ってなかったよね! 曲直瀬、ありがとう」
三成は鼻先で軽く手を合わせた。
「曲直瀬、グッジョブ!」
正家は親指を立てる。
「いや……そうじゃなくて……ちょっといいか?」
「?」
三成と正家な顔を見合わせる。
別室で顔を突き合わせると、曲直瀬から意外な報告があった。
「茶々様が……妊娠してない?!」
三成は驚愕する。
「妊娠が嘘だったということか?」
正家は両頬に手をあてて、口をあんぐり開けた。
「いや……そうは言っていない。ただ……現状、ご懐妊は確認できない」
曲直瀬は普段は釣り上がった眉毛を八の字にしている。
「どうして分かったのだ?」
正家が問う。
「……」
「まさか……おぬし!」
「仕方がないだろう!」
三成が問い詰めようとすると、曲直瀬は咄嗟に大きな声を出した。
「私は! 長い間、上様や太閤様の出された……モノをだな……よく観察し、健康管理をする。これが私の仕事なのだ。
女性だからと言って、免除するわけにはいかないだろう!」
曲直瀬は脈を取るのでさえ、茶々に拒まれていたので直接健康状態を見ることができない。
仕方なく、茶々専用のトイレに忍び込んだという。
「いや……まあ、何だか生々しい話になりそうだな。まあ、それでわかったというわけだな」
正家が納得したように頷いた。
月のものがあれば、当然妊娠はしていない。
「嘘とは……そんな大胆な嘘、付くだろうか?」
三成は家康の前で堂々と生まれてくる我が子に関して訴え続けた姿を思い出す。
嘘をついているとは到底思えない切実さだった。
「でも、現にご懐妊していないのは確かなのだから……まあ、そういうことなのだろう」
正家の言葉に三成は半信半疑のまま頷く。
三成は茶々の見た目からは想像できない豪胆さに内心、舌を巻いた。
「このこと、内府に報告は?」
三成は恐る恐る尋ねる。
「してるわけないだろう? してたらお前らには言わぬ。無駄な争いは私だって避けたい」
三人はしばらく無言になった。 三成がおもむろに口を開く。
「……刑部に聞いてみる」
「き、聞くの??」
正家はギョッとした顔をした。
「聞くだろ……」
だって、確かな情報を誰よりも知っているのだから。
◇
「あ、バレたか」
愛馬の毛をブラッシングしていた大谷は三成の顔を見た途端、舌を出した。
三成の眉間にシワが一本追加される。
「なんで嘘ついたんだよ!」
「だって、時間を引き延ばすにはそれしか方法がなかっただろう」
大谷が鼻先を撫でると栗毛の馬は気持ち良さそうに目を瞬かせる。
「そんな嘘……茶々様のお心を傷つけたのではないか?」
「そうかもしれない。でも本当に他に方法が見つからなかったのだ」
大谷は肩をすくめた。
「あの時は東軍の攻撃が迫っていたし、茶々様は東軍に行くことを拒まれていたし……お前は勝手に乗り込んじゃうしで。最善の策だっただろう?」
「すぐにバレるぞ。どうする気だったのだ?」
「女は、すぐに大坂から飛んでくると踏んでいた」
大谷と三成は厩舎を離れ歩き出す。
「茶々様が現れたのだから、当然また現れる確率が高い……だから他の女を準備する予定だった。
時間があれば当然、女は増えるのだから。相手は何も茶々様じゃなくても良いわけだし」
「人が死なないと増えぬのだぞ」
大谷は早くからこのことには気がついていたようだ。ウンウンと頷く。
「俺と吉治が死ねば、確率的に一人くらい女が飛んでくるだろう」
「……正気か?」
大谷は何でもないことのようにニヤリと笑った。おそらく正気なのだろう。
「呆れたな……息子まで巻き込もうとするとは」
「安心しろ。いざとなったら頼継に頼んでお前も殺すつもりだったぞ」
三成の首元に悪寒が走る。
「そうか……ならば分かった」
「聞きたいことはそれだけか? 他にもあるだろう? もっと、聞きたいことが」
「……別に」
三成は頭振った。
「俺は……卑怯なマネはしたくなかった……不戦勝みたいで」
大谷は歩みを止める。
「だから、お前が内府の元へ乗り込んで行ったのを見てるのに、その間に手を出せるわけないだろう? 火事場泥棒じゃないんだから」
「お前……アホだろ? そんなとこ、義理立てしてどうするのだ?」
「とにかく、俺はまだ茶々様に指一本触れてな……」
大谷は言い淀んで、ちょっと上を見上げた。
「お前、触れたな?」
「ま、あれは……不可抗力で……」
少し微笑む。
「ま、これからは茶々様が良いのであったら遠慮なく、その、良い感じにすれば良いではないかと……」
三成は言いにくそうに咳払いをした。
茶々と相思相愛なのだったら、今からでも何の問題もない。
「これからは、堂々とまた勝負だな」
大谷は右手を差し出す。非常に爽やかな笑顔である。
「もう! 勝負とかどうでもいい! 清廉潔白も度が過ぎると腹が立つ! 何が不戦勝だ。調子ぶっこきおって!」
三成は思いっきり大谷の右手を叩いた。
◇
清洲城の大広間では「報告会」と称したミーティングが行われている。
徳川家康は腕を組み、目を瞑る。
体調不良による欠席者も数人いるが、ほとんどの東軍諸侯は参加している。
なにしろ、本日は家康が参加するのだ。
「これより、『佐和山炭鉱共同開発』に関する取り決めの報告と、西軍の脅威の現状についての報告をさせていただきます」
箱型に取り囲まれたテーブルの正面中央の井伊直政が立ち上がり、報告を開始した。
「その前に!」
勢い良く白い手が挙がった。
小早川秀秋はエクボを作りながら、みなを見回した。
「俺から重要な報せがある」
毛利秀元はあからさまにため息を付いて睨みつける。
秀元はあまりに西軍寄りなので、今回の開発セレモニーへの参加を見送られてしまっていた。
「西軍の脅威、なんてのはくだらないぞ。兵部」
秀秋はにこやかに井伊直政に語りかける。
そして、広間に集まった面々に視線を移した。
「みなは知らぬだろうが……西軍ひとり屠れば女が手に入るのだ」




