第57話 神はサイコロを振らない!
「殿、ただいま戻りました」
三成が手桶を携えて廊下を出たところで声がかかった。
振り向くと島左近の嫡男・信吉が立っている。
背格好も声も左近と良く似ている。
「親父の看病してくださったのですね。ありがとうございます」
「頑張ってくれたのは左近だ。ようやく元気になってくれたよ」
信吉は笑った。
「あのバカ親父は殺したってただじゃ死なないですからね」
笑顔も良く似ている。
「あちらさんはすぐに吐きましたよ。小早川秀秋の間諜だそうです」
左近は既に起き上がって息子の話に耳を傾けている。
三成は左近の肩に着物をかける。
信吉には、揖斐川で佐久川喜重郎と落ち合う予定の東軍の忍びを見張ってもらっていた。
この寒さにも関わらず忍びは律儀に川を渡り、川岸に上がったところを信吉が待ち構えて捕まえた。
「ちょっと脅したら吐きました。言われた通りにそのまま返しましたが、本当に良かったのですか?」
「どこの家中か分かれば良い……もう二度と来ないだろう」
普通だったら即、凍死である。
岸に上がってすぐに暖を取れるわけでもあるまい。
やはりこの世界では以前より人間の身体は確実に丈夫になっている。
「やはり、金吾(小早川秀秋)のとこかぁ」
三成はため息をついた。 予想はついていたものの、なぜ小早川秀秋がこうまでしてこちらの情報を掴みたがるのか不明である。
家康に情報を流すにしても、そもそも家康にそこまで恩義を感じているわけではあるまい。
「それより大垣城の兵士の間で、殿のことが噂になってますよ」
信吉が嬉しそうに話す。
「僕も聞きました」
内記は信吉とは対照的に気の毒そうに三成を見た。
「なんでも殿はオタクの味方、同好の士、などなど。俺たちの殿、ともっぱらの評判で! 何があったのですか?」
お前のエロ親父が原因だよ!
知らん顔で柿食ってるけど!
とは流石に息子の前では言えずに三成は苦笑いを浮かべた。
◇
取調室には三成が一人で入った。
既に佐久川喜重郎は座っている。
喜重郎はニコニコしながら三成に話しかけた。
手にはやはり縄が巻かれている。
「どうもご評判のようで」
「お前も聞いたのかよ……」
格子の外の平塚為広が咳払いをする。
普段は頗る無口なくせに余計な事を話す男だ。
「で、今日はこの中からお前の知っている限り東軍に通じている者を選び出して欲しい。
ここにいない者で心当たりのある者は名前を挙げよ」
60枚ほどの人相書きを机に並べていく。
トランプよりだいぶ枚数が多いから、すぐに机いっぱいになる。
喜重郎は躊躇なく、何名かの紙をサッと指で弾く。
また三成は人相書きを並べる。
喜重郎はまたサッと弾く。
手首が合わさったままなのに器用なものだ。
その作業を数度繰り返した。
結果、間諜の数は十数名にも及んだ。
「他にはいないか?」
喜重郎はゆるゆると首を振る。
「よくぞ話してくれた。礼を言うぞ。もう東軍へ帰っていい」
喜重郎はヘラヘラ笑う。
「どうした?」
「どうしたって……やっぱり甘いじゃないですか」
喜重郎は人懐こい笑みをたたえて言った。
「まだ雇い主も明かしてないのに」
「雇い主は金吾」
三成の言葉に喜重郎は真顔になる。
その表情で三成は確信する。
「金吾で間違いない……か」
喜重郎は顔を背ける。
「お前はシッカリと黙っていたが、あちらさんの方はすぐに白状したらしいぞ。
お前は案外見上げた忍びだな。立派だ」
喜重郎は褒められても嬉しくないのか、唇を尖らす。
「それで……貴方は勝ったつもりですか?」
「勝った? 別に勝ち負けじゃないだろう」
喜重郎はフッと笑った。
「勝ち負けですよ。戦国時代なんだから」
「そうなのか。そうは思わんがね」
三成は弾かれた人相書きを揃えて退出しようとする。
「何も分かってないくせに……」
三成は手を止める。
「何だ? お前、帰りたくないのか?」
「貴方、何も分かってない。この世界の仕組みもルールも……」
喜重郎は挑むような目で三成を見つめる。
「僕はそんな貴方が気の毒に思いますよ」
「じゃあ、この世界のルールって何だ?」
魂の質量保存の法則を知っている場合はこのまま東軍に帰すわけにはいかなくなる。
「この世界、誰が間諜を雇おうが誰と誰が通じてようが、そんなもの何の意味もありません」
「ほう……」
三成は喜重郎の目の動きを見た。
一点を見つめ、確信に近い色をしている。
「嘘八百じゃなさそうだな。ではこの世界でお前が重要だと思ってるものは何だ? 応えてみろ」
三成の耳に遠くで雷鳴が轟く音が聴こえた。
「プレイヤーです」
「プレイヤー?」
「そうです。この世界で本当に力を持っているのは、徳川家康でも小早川秀秋でも、もちろん貴方でもない」
取調室の外向きの窓にサアッと雨の粒が打った。
木の格子を嵌めただけなので、風とともに雨が吹き込む。
「プレイヤーとは何だ?」
「僕は……確かに小早川秀秋様に雇われていますが、秀秋様を通じてそのプレイヤーにも雇われています」
三成は眉を顰めた。
「話が……見えないな。どんな男だ? プレイヤーは」
「とにかく、プレイヤーは何でも出来ます。僕らの命も自由自在に操れる」
「じゃあ、何か? お前はこの世界がゲームの中だとか言いたいわけか?」
三成は笑った。
「俺もそんなこと、とっくの昔に考えたさ。でもこの揺らぎは何だ? 感情は? 痛みは?」
胸を押さえながらぐっと喜重郎に顔を近づける。
「ニューロン同士の電気信号が脳の思考の実体だとしても、脳は仮想空間?
そんなものじゃない。我らは現にここで生きてるではないか? それとも人間が人間と認識しなければ人間ではない、とか言い出すのか?」
世界は現象であって実在はしない。
なぜなら世界は人間の頭の中に存在するのみ。
――哲学者・フッサールのコップを夢や幻ではないと証明せよとの問いに対する現象学的還元を思い出す。
「そう込み入った話ではないのです。プレイヤーは神に近い。
ただ神の自覚のない神です。 神はサイコロを持っているのに、サイコロの目が思いのままとは思ってない」
「わお! 神は自身を神と認識して驚いた時に神になると言うわけか」
存在してしまっている自分に驚いている存在が存在者。
――現存性を提唱したのはハイデガーである。
「プレイヤーを探し出さなければ、この世界に安全の保証は無いですよ」
「ますます面白いな」
喜重郎は怪訝な顔をする。
「面白い?」
「面白いは、不謹慎か……」
細かい雨が吹き込んで、喜重郎の背中と三成の顔と髪を濡らした。
「何のための世界なのか分からない……でもきっと何かの意味があると思うんだ」
三成は懐に人相書きの束をしまう。
喜重郎を真っすぐ見つめた。
「この世界は単にいたずらに過ぎなくて何の意味もないかも?」
喜重郎は視線を受けて自嘲するように言った。
「あるさ。何か《・》のために存在してるんだ」
三成は確信している。
「で、お前はまだその目的も知らなければ、プレイヤーの名を知らない。
きっと知っているとしたら金吾だけなのだろうな」
三成は喜重郎の手の縄を丁寧に解いてやる。
スルスルと縄が解かれ、赤くなった喜重郎の手首が露わになる。
「金吾に会って直接聞いてみる。徳川家康じゃないだけ御しやすいさ」
三成は右手を差し出した。
喜重郎は少し躊躇したあと、おずおずと右手で握り返した。
「ひとりで帰れるか?」
三成は問うた。
少し真剣な顔になる。
「死ぬなよ」
喜重郎は名残惜しくもなさそうに、一度も振り返ることなく大垣城を後にした。
激しい雨がその背中をすぐに掻き消した。




