第51話 恩は返せない!
黒田長政と家臣団総勢20名ほどが、ガヤガヤと大広間で待っていた。
「お! ようやくお姫様のご登場ですかな?」
長政が三成の登場を囃し立てると、家臣団が大いに笑い合う。
単なる嫌がらせである。
「なんだ? 嫌味を言うためだけに俺に会いに来たのか?」
「嫌味だなんて、そんなぁ。随分花嫁姿が似合っていたとこちらでは大評判でしたよ」
家臣団が再びドッと沸く。
三成の眉間にシワが深く刻まれた。
村田が火鉢を他所からも集めて来て、三成の足元にも置く。
「いいよ。黒田殿はすぐにお帰りのようだから」
長政は苦笑して、懐から一通の書状を出した。
「まあまあ、冗談はさておき、今日はこちらをお持ちしました」
「……」
――茶々さまへ 貴女の婚約者より
―― 裏には井伊直政の花押である。
三成はそのまま火鉢に手紙を焚べようとする。
「ちょっ! 燃やすな! ちゃんと渡せ!」
長政が慌てて静止した。
長政は書状を奪い返して恭しくテーブルに置く。
「他に用がないのなら、さっさと帰れ」
三成は腕を組んで長政の人を食ったような顔を睨みつける。
「いやぁ……歓迎されないとは思ったけれどあんまりじゃないですかぁ」
左近がエプロン姿でいそいそとお茶を淹れて長政に渡した。
村田も他の者たちひとりひとりに温かい茶を振る舞う。
「貴方が、伊奈図書の処遇を知りたいかな、と思ってね」
「……」
震える刃を三成に向け、思い詰めた伊奈図書の顔を思い出す。
三成は彼の信頼を打ち砕いただけではなく、彼の命を脅かす事態を招いたことを思うと…… 他に方途がなかったとは言え、自身の身勝手な振る舞いにぞっとしない。
「一箇月の蟄居謹慎で済みました。僭越ながらそれにはこの私の尽力があったことも、お伝えできればと」
「へぇ……」
三成は心から安堵して、息をすうっと吐く。
――本当に良かった。
長政の薮睨みの目が三成の顔を覗き込む。
「お礼は?」
「は?」
「お礼、あってもいいよねぇ!」
長政は家臣たちにアピールする。
長政によると、あの翌日には伊奈図書への寛大な処分を求めて連判状に認め、家康に届けたという。
発起人が長政で、福島正則も同じように三成に騙されたということで署名に加わった。
前世では図書に切腹を迫った正則が加わったこと。これが功を奏したらしい。
「貴方へのみなの怒りを過度に増幅させ、図書は純粋な被害者という立場に持っていきました。
どうです? 平和的解決でしょ?」
長政の強い目線に、三成は下を向いて小声で応える。
「……どうも」
「はああ?? 聞こえない!!」
長政のだみ声が大広間に響きわたる。
「……ありがとう、ございます……」
長政はニッコリ笑った。
「いいんです、感謝なんて! そんな!」
長政が暑くもないのに、扇子を広げてバタバタ仰いだ。
三成は盛大に舌打ちする。
「お前! 何、元から平和主義でした、みたいな顔してんだよ! そもそも、関ヶ原の後、お前と金吾(小早川秀秋)は戦を継続しようとしていたらしいではないか? だいぶ好戦的だぞ」
三成は長政の鼻先に指を突きつけ訴える。
「あー、あれはそう言った方が上様のウケが良いかと思ってね」
長政はその時のことを完全に忘れていたらしく、思い出すかのように目線を上にやる。
「金吾は?」
「ああいったマジもんと比べてもらっちゃ困ります」
長政は金吾こと小早川秀秋の顔を思い浮かべたのか、途端に首をブルブルと振る。
「まあ、でも貴方がどうしても私に感謝したいと申すなら」
「別に申してないぞ」
「私を佐和山方面の炭鉱の開発にいっちょ噛みさせてください」
三成は思わずテーブルに突っ伏した。
「なんで?!」
「なんでって、筒抜けだって言ったでしょ。情報が。まぁ、でも私と私の家臣団、他数人の間で止まってますんでご安心を」
顔をあげて、指の隙間から長政を見る。
「内府は?」
「もちろん、ご存知かと」
三成は長政の襟を掴んだ。
「間諜の名前を言え!!」
「言うわけないでしょ。でも本当に何の尻尾も掴んでなさそうですねぇ。
西軍の治安ってどうなってるんですかね。怖いわぁ」
長政は三成に身体ごと揺すられながらも平気な顔をしている。
三成は顔を手で覆ってがっくり項垂れる。
「昔は可愛かったのに……」
三成はとうとう言い出さなかったが、黒田長政少年の命を救ったのは、竹中半兵衛……だけではなく、三成の父・正継もであった。
長政の父・黒田官兵衛が荒木村重の有岡城に幽閉された際、官兵衛の寝返りを確信した織田信長は息子・松寿丸(後の長政)を首にしようとした。
官兵衛の盟友・竹中半兵衛が松寿丸を匿うため選んだ先が豪士・石田正継の領内であった。
信長にバレたらただでは済まない。
長政は命を賭けて父が護った子である。
本来ならばひと言くらい詰ったってバチは当たるまい。
「あ、それから貴方にひとつご忠告を」
「今度は何だ?」
三成は迷惑そうに訊いた。
「とあるお姫様が清洲城に被衣を落として去ったのですが……」
長政は、昔話でもするように話す。
「そのにおいを猟犬に嗅がせて、首元を噛み切る訓練を日々行っている者がおります。
細川忠興っていうんですけど」
「それは随分……ロマンチックな話だな」
三成の返答に長政は実に愉快そうに笑う。
「フフフ。東軍の陣地に入る際は是非お気をつけください」
なんだかんだ言って長政は随分ゆっくり滞在したが、ようやく玄関に向かってくれた。
「本当に貴方のお父様にはお世話になって、感謝のしようがございません。真に立派なお方でした」
草履を履きながら、長政は神妙な顔で三成に向かって礼を言った。
「有職故実や論語なんかも教えていただいて……思えば私にとって初めての、本当の師匠であった気がします」
長政は懐かしそうに話した。
「また来ます」
「……もう来なくていい」
三成の言いたいことが分かったのか、長政はニヤリと顔を崩す。
「出藍の誉れ、とも言いますから」
「ほざけ! この恩知らずが!」
長政のあまりの図々しさに三成は思わず目眩を起こしそうになった。
「マジで、間諜どうにかせねばだなぁ……」
三成は長政一行を見送りながら村田に向かって呟く。
「私、少々気になることがございまして……」
村田が真剣な表情で言った。
「ん?」
「いや。まだ分かりませんが、ちょっと城の巡回を増やしてみます」
「それはありがたいが……」
すでに村田新左衛門は三成の秘書的業務に加え、来客対応、城の巡回を朝、昼、晩。
その他、各省の調整役として深夜まで過密スケジュールで走り回っている。
「おぬしに倒れられたら、立ちどころに回らなくなる。あまり無理をしないで欲しい」
「……はい。ご心配なく」
村田は珍しく相好を崩した。
笑うと途端に少年のような顔になる。
三成は急に大坂城に置いてきた長男・重家の顔を思い出して、村田の肩にポンと手を置いた。




