第50話 キリがない!
――しかし科学は月も無数の原子が描く現象であることを証明したではありませんか。
あの天体に光と闇の神秘をみるのか、それとも無数の原子をみるのか。
もし人間の意識が月だと感じなくなれば、それは月ではなくなるのです。
――タゴール
「殿〜早くお金ください!」
左近が分厚い手を出す。
三成は懐からしぶしぶ永楽通宝を二枚出した。
「これっぽっちですか? 左近は殿のおかげで素寒貧なんですよ?」
三成はもう二枚出してから盛大に舌打ちする。
なんでよりによって当家の家老にこうも集られなきゃならんのだ。
「やったー! これで買える」
「何を買うのだ? 左近」
左近は意味深な笑みを浮かべて足取りも軽くどこかへ飛んで行った。
ひと月ほど前から給金はみな銭で与えることとなった。
今までは米や味噌、魚などの食糧品の一律の配給だったが、仕事の寡多や過酷さ、危険度などを鑑みて職業により給金を定め、原則として一週間に一度、金曜日に銭での支払いとなった。
但し本丸・二の丸・三の丸の各台所は飢える者のないよう、昼の間は開放している。
今流通している永楽通宝は摩耗が激しいため、しばらくしたら独自の通貨に切り替えるつもりだ。
副業で刀の鍔を作っていたという職人がいたので、銅を加工した新しい硬貨を作れないか打診している。
それと同時に紙幣も作る。
紙は貴重品だったが、量産体勢を強化している。
その他活版印刷などの最新機械を準備中だった。
「あ! 治部さん、こんなんできましたけど!」
デザインの下書きは岩佐又兵衛に依頼した。
三の丸外庭の又兵衛の工場に足を踏み入れた三成は、出来上がったばかりの紙幣のデザインを見る。
どちらも茶々の大写しの顔がデザインされ、千円がジャンヌ・ダルク。
一万円が卑弥呼風の扮装に身を包んでいる。
「どうよ!」
又兵衛の言葉に三成は満足気に頷いた。
「あら! いいわね」
いつの間にか、茶々が三成の後ろから覗き込んでいる。
お供の木下頼継も興味津々である。
「お! 茶々様だ! 凄いカッコいい!」
三成は頼継に微笑みかけると、そのまま工場を後にしようとする。
「ちょっと! 今、無視したでしょ!」
茶々の言葉に三成はくるりと振り返る。
「そんな、無視などしませんよ。子どもじゃないんだから。俺は忙しいんです」
「今、絶対この人、私のこと無視したよね!? 頼継、見てたでしょ?」
茶々は三成を真っすぐ指差して非難する。
頼継は困惑顔である。
「そりゃ……茶々様、叔父貴はブロークン・ハート真っ最中なわけだから、そこは空気読んであげてくださいよ」
一行が大垣城に戻ってすぐ、茶々の妊娠は発表された。
寿ぐ声が上がる一方で、城内の実に半数の兵士がその日仕事を休んだ。
そのダメージは数日経った今でも地味に続いている。
「無視したよねぇ! 見てたでしょ、又兵衛!」
「どっちでもいいよ。他所でやってくんない?」
茶々の剣幕に又兵衛は若干迷惑そうに眉間にシワを寄せた。
「別に! 無視などしていません! みんな忙しいんですよ。ウロウロしてないでお部屋でおとなしく御本でも読んでいてください!」
「なになに? 私がヒマって言いたいわけ? 帰ってきてからろくに顔も見せないし、何かよそよそしいし、感じ悪いよねぇ!」
頼継と又兵衛はウンザリしたように顔を見合わせた。
「そもそも、貴女の思わせぶりな態度がかような事態を招いたわけだし……俺にだってちょっとは怒る権利はあるはずで……」
三成は小さな声でブツブツと呟いた。
「思わせぶり?! 私が? 思わせぶりはどっちよ!」
「まぁまぁ……ここはひとつ喧嘩両成敗ってことで」
頼継が仕方なく間に入った。
「別に俺は喧嘩してるつもりはありませんけどね!」
「私だって! 何とも思ってません!」
頼継は呆れて肩をすくめた。
季節は立春である。
暦の上では春だが、身も凍える寒さが続いている。
大垣城は戦火を逃れ、しばらくの平穏を得ている。
三成はイライラしながら今度は紙工場に向かう。
麻や楮、三椏などの原材料が入った樽が並び、職人が丁寧に紙を漉いている。
現場にいた経済担当の戸田勝成に進捗を確認する。
「素材としては梶が一番向いてる。白いし」
勝成が大きな歪な手で、ザラリとした和紙の表面をなぞる。
「今のところ、これくらいかなぁ」
三成も触る。
「うーん、ちょっと厚いな」
「治部殿、厳しいな。これでもけっこう時間かかってるんだけどね」
「まぁ、贅沢は言ってられないか」
さ来週には印刷の工程に回したい。
墨一色だが浮世絵の要領で版木を作り、刷っていく。
木彫りの職人も実技試験を経て採用内定を既に出していて、デザインが出来上がり次第彫りの工程に入ってもらう。 数名の刷りの職人も募集中だ。
こちらは万が一、欲に目がくらんで紙幣を着服するようなことがないよう、人物本位で時間をかけて面接している。
紙が貴重品なのと、デザイン、刷り共に難易度が高いため、偽札が出ないと踏んでいる。
またデザインも働く意欲を湧かせるものでなくてはならない。
コレクションとして過度に蓄財されてもそれはそれで困るのだけど。
「活版印刷の方はどうですか?」
勝成が尋ねる。
「かなり大掛かりな工程になりそうで。今すぐというわけには行かなそうだなあ」
グーテンベルク方式の印刷術は、まずは低温で溶解する鉛や錫を使い鋳型を作る。
集まった職人たちは、金属加工のノウハウを刀鍛冶から学んでいるものが多いものの、鋳造用の中の砂が固まらず、そもそも鋳型を作るのが時間もかかっていて難しい。
真鍮(銅と亜鉛の合金)を使いたいところだがこれは弾薬の製造が最優先とのことで、防衛担当の島津豊久から許可が下りなかった。
インクひとつとっても混ぜ具合で苦労している。
活版印刷が出来たら、書物や発給文書、瓦版などの発行が容易にできるのだが。
――それと、先日発見された石炭。
強固な鉄を作るにはまずは石炭を一気に蒸し焼きにしてコークスを作らなければならない。
18世紀後半イギリスの産業革命より200年先駆けて、17世紀初頭にやろうというのだから気の遠くなるような話である。
炭鉱で兵士を働かせるには、現場の安全管理も最重要になってくる。
賃金も、今現在最高は林業と沿岸警備だが、それに匹敵するか凌駕するものでなくてはならない。
「あ! 治部様、こちらにおられましたか?」
村田新左衛門が息を切らせながら小走りでやってくる。
「どうした?」
「黒田長政様がお見えです」
意外な来客に三成の思考が一旦停止する。
「吉兵衛が? なんでまた?」
「お供の数も20名ほど……」
村田が眉を顰めながら小声で耳打ちした。
三成は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、村田と共に紙工場を後にした。




