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第48話 絶対に離さない!

「みーつーなーりー!!」


 井伊直政が立ち上がって、脇差を抜き三成の喉元に突きつける。


「ち、違う。俺ではない!」


 三成は慌てて手を挙げて防ごうとする。

「覚悟!」


「いやぁ、面目ない」


 大谷が呑気な声を出して頭を搔いた。


「まさか、出来てしまうとはなぁ」


「そうでしたわね。私もびっくりしました」


 茶々も上目遣いではにかんだ笑顔を浮かべた。


「ぎょ、刑部? まさか」


 三成は信じられない者を見るような目で親友の横顔を見つめた。


「すまんな。そういうことだ」


「マジで? いつ? いつからよ?」


「洞窟の時……」


 茶々が袖を頬に当てながら恥ずかしそうに俯く。


「そうそう。洞窟の時。流石の俺も茶々様の美貌にクラッとなって。ついウッカリ」


「ついウッカリ……?」


 井伊直政も呆然となって振り上げた刀を下ろしヨロヨロと座り込んだ。


「刑部よ……はなから、勝負アリではないか?!」


 三成は恨めしそうに小声で言った。


「面目ない!」


 大谷は白い歯を見せながら、顔の前に手を合わせる。


 家康はようやく薄目を開ける。


「そんなもん、聞けるわけなかろう……」


 ため息混じりに呟いて、目を見開いた。


「産むならここで! ここで産め! それだったら今回のこと不問にしても良い」


「嫌です」

 茶々はキッと家康を睨む。


「貴方の元で、安心して産めるとでもお思いですか?」

 茶々の目が光って、家康を射抜く。


「私ひとりだったら良い。どうなっても構わないから。たとえ命を失っても構わない。私のことだから」


 茶々は自らの胸に手を当てて叩いた。


「でも、子どもは……貴方はもし生まれてきた子が男の子だったら。容赦なく……殺すでしょう」


 もし生まれたのが男の子だったら――茶々と大谷の子だったら、間違いなく西軍の『象徴』の子になる。


「そんなことはしない。ワシは鬼畜ではない……」


「いいえ。信用できません」


 茶々は自らの襟元を白く細い指で掴む。


「きっと私は出産直後ではどうにもできない。護れない。 貴方の元で産むなら、私はこの場で喉を搔き切ります。

 子どもは絶対に今度こそ貴方の好きにさせない!」


 茶々は腰に差していた自らの短刀をゆっくり抜いて、細い喉元に突きつける。


「止めろ……」


 家康が思わず静止する。


 仇敵であったとしても茶々に死なれては、この世界で唯一の女を失うこととなる。


「貴方に殺させることなんてしない!」


「条件を出す」


 家康の低い声が響きわたる。


「お前のその子ども……もし男だったら、西軍で刑部の元で育てさせろ。

 そしてお前は出産が終わって、乳を与え終わったらすぐさまこちら側に来い。直政にめあわせる」


 直政が茶々に向かって頷いた。


 茶々を待つ気があるらしい。


「もし女だったら……乳を与え終わったらお前がこちらに来るのはもちろん、その娘が十歳になった暁にはこちらに寄越せ。

 この条件からはビタ一文譲らぬ。 それでこの乱痴気騒ぎを許そう。 お前の西軍での出産を許そう。どうだ?」


 家康は、自らの大きな耳たぶを触って頬を撫でる。


「どうだ? お前が選べ。ここでお前以外の全員が命を落とすか。条件を飲むか。お前の判断だ」


 家康の目が黒々と光っている。


 晩年の濁ったようないかにも老獪ろうかいさを備えた目とは違い、素直な若々しさに溢れている。


「わかりました」


「茶々様!」

 三成は抗議の声を上げた。


「女だったら……女の子だったら、東軍に姫として差し出します……私と共にあるのだったら。大切にしていただけるのであれば」


「約束する」

 

 三成は舌打ちした。


 家康にとって約束は破られるためにあるようなものだ。


「治部、女に救われたな。今度、相見あいまみえる時は戦場だ。行け! すぐにね!」


 家康は立ち上がった。


「一刻も早く去ね! おぬしらを見るのもワシは不快ぞ!」


 三成は一瞬殺意を目の奥に宿したまま家康を睨んだが、素早く立ち上がり床を蹴り廊下へ向かった。


 慌てて左近や内記、勘兵衛、茶々が続く。


 大谷刑部は部屋を出る際に、家康を見て軽く一礼した。


「曲直瀬、お前も行け!」


 曲直瀬玄朔は目を白黒させた。


「わ、私ですか? 私が西軍に?」


「お前は淀の体調を見ろ。医者だろ!」


 曲直瀬は立ち上がって、慌てて彼らの後を追う。


 伊奈図書は部屋の隅で拳を握りしめ、正座している。


 目の前に立った主君の顔を青ざめた様子で仰ぎ見ると、深々と頭を垂れた。


 家康は図書の細い肩をポンッと軽く叩いた。


「図書……次は無いぞ」


 廊下に出た家康の背中を松平忠吉が追った。


「父上! あのまま奴らを帰して本当に宜しいので?」


 そのまま家康の背中に語りかける。


「妊娠したというのも怪しい……本当でしょうか?」


「ワシはな……」

 家康はゆっくり振り返った。


「あの女子おなごが恐ろしい」


 家康の遠い視線の先には誰もいない。


 一行は既に廊下を曲がって城の出口に向かっているだろう。


「あの目……万千代(直政)には悪いが、あのような目の女が側にいると思うと、恐ろしい」


 家康は忠吉の顔に視線を移す。


「臆病者と思うか?」


「……」


「いや、ワシは畢竟ひっきょうすこぶる臆病なのだ。ただ、この臆病がワシを天下人たらしめている」


 家康は再び誰もいない廊下の奥に視線を移し、真っすぐ睨んで言い放った。


「あの女子は……間違いなく男どもに災いをもたらす」



  ◇



「みーつーなーりー!! よくも、よくもワシを騙したな!!」


 福島正則が廊下の奥から凄い勢いで追いかけてくる。

 早歩きだと追いつかれる。


「げぇ! 市松! やばい、やばい!」


「殿! 走りましょう!」


 左近の言葉に、三成は花嫁衣装の裾を捲った。


 大谷刑部は茶々の身体を抱える。

 清洲城の長い廊下をみんな走った。


「アハハ!」


 茶々は大谷の首に手を回して、笑っている。


 可笑しくてしょうがない小娘のように足をバタつかせてはしゃいでいる。


 三成も自然と笑顔になった。


 左近がダッシュして先頭を切る。


 清洲城から生きて出られるとは思っていなかった。

 側で内記も笑った。

 勘兵衛も嬉しそうにしている。


 走りながら、ふざけたり、背中を押し合ったりをしながら、一行は走った。


「馬は?」


 大谷が茶々を抱えたまま、走りながら言った。


「無理かも!」

 三成が振り返る。


「刀も!? 無理かな?」


 内記が口惜しそうだ。


 暗闇の中、月明かりを頼りに一行は清洲城下の街並みを走った。


 草履すら持ってこれなかったため、革製の足袋で走る。


 いきなり後ろから矢が飛んできた。


「うぉ! 危ねえ!」


 三成は思わず叫んだ。


 もう一発飛んでくる。


 振り返ると、大門の近くでもう一本、弓矢を振り絞っている。

 胸元には見慣れた九曜紋。細川忠興である。


「あ、危な!」


 三成は悲鳴を上げた。


 今度は曲直瀬玄朔の足元に刺さった。


「ひぃ~! なんで私まで!」


 城下町はひっそりと静まり帰っている。


 美しい星空が空一面に浮かんでいる。


 冬の月が空に高く、鋭い光を放っている。


 三成はこの日幸福であった。


 傍らには茶々がいて、親友がいて、家臣がいて、仲間がいた。


 マズイな、と思う。

 これでは命が惜しくなってしまう。


 三成は頑なに神仏を信じなかった。

 呪いや迷信の類いも信じなかった。

 御仏みほとけもゼウスも、今までの三成にとって何の意味も持たなかった。


 しかしこの日は、ただこの場にいる者たちの幸福を何かに祈らざるを得なかった。


 三成は生まれて初めて祈りの意味に気がついたような気がした。


「はぁ……はぁ……」


 みな息を切らして立ち止まった。


 曲直瀬玄朔が一行からは遅れてトボトボと追ってくる。


 ここから大垣城まで、夜どうしの行軍である。


「フフフ」


 茶々がまだ笑っている。


 既に大谷の手から離れ一人で地を踏みしめて歩いている。


「このまま、歩けますか?」


 三成は茶々に訊いた。


「歩くには、キツイですね」


 帰城までの長い道のりを想像して、内記がウンザリしたように言った。


「歩ける! 歩く! 絶対」


 茶々は自らに言い聞かせた。


 絶対に今度は離さない。

 何があろうと。自分の幸福も、周りの幸福も。


 幸せになることに貪欲になりたい。

 簡単には諦めたくない。


 生きて生きて生き抜いて。

 

 たとえ最期は斃れようとも、諦めない。


 かつての秀頼のように――私は――




         『漂流! 関ヶ原』第一部 完

第一部完結いたしました。ここまでお読みいただきありがとうございます。


もし少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。 今後ともよろしくお願いいたします。

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