第46話 いない!
出立が遅れたので、清洲城の大門をくぐる頃には、日が入って辺りはグレーの景色となっていた。
門前には篝火が焚かれている。
玄関で待っていた徳川の小姓は、有無を言わせず左近や勘兵衛、内記の腰のものを取り上げる。
講和会議の時と同じ――各々小さな懐刀は隠し持てても、これでほぼ丸腰である。
日に焼けて精悍そうな顔をした青年が灯し油を片手に案内する。
「ようこそ、お越しくださいました。どうぞ、こちらです」
廊下が暗くて助かる――三成は被衣をすっぽり被り、目だけ出して城の中を進んだ。
内股、内股。
三成は自分に言い聞かせる。
徳川家康の家臣団が出迎えのため長い廊下に並び、花嫁の行進に次々と頭を下げていく。
徳川家家臣・阿部正次、本多忠勝らが頭を下げた。
赤座直保、朽木元綱、脇坂安治の寝返り組が続く。
その後、生駒一正、筒井定次、津田信成、戸川達安、金森長近、池田長吉、寺沢広高、浅野幸長、田中吉政、京極高知、竹中重門、池田輝政、有馬豊氏、黒田長政、加藤嘉明、山内一豊、藤堂高虎、吉川広家ら東軍諸侯が居並ぶ……小早川秀秋が胸を張ってニヤけた視線を寄越した。
通り過ぎる際にあまりジロジロ見るわけにもいかず確かではないが、細川忠興と古田織部、小川祐忠、大野治長の顔を見ていない。
そして―― 廊下の奥にそれはいた。
「茶゛々゛さ゛ぁまぁぁぁ!」
「げっ!」
福島正則の姿を見て思わず三成はたじろぐ。
三成の肩が、すぐ後ろを歩いていた左近の胸にぶつかる。
苦々しい思いで独り言ちる。
「市松……」
「おいたわしや! おいたわしや! どうしてこんな! わしゃ、茶々様が不憫で! 不憫で! 夜も寝られずこのように泣き腫らしておりました!」
正則は自らの両の目を指差す。
大袈裟に悔しがってみせた正則のことを、三成は思わず眉を顰め醒めた目でみてしまう。
三成が気にせずに廊下を左に曲がろうとすると、ガバっと足元に抱きついてきた。
大型犬のような正則に追い縋られて思わずよろける。
「茶々様のご覚悟! ご無念! 痛いほど分かっております!
この不肖・福島正則、身命を賭してお護りする覚悟! 茶々様、ぜひわしを頼って……あイタ!」
三成は仕方がなく正則の顔を思いっきり蹴り飛ばした。
ようやく正則の手が三成の足から離れる。
「うう……おいたわしや……茶゛々さ゛まぁぁぁ!」
廊下に正則の声がこだまする。
案内の青年が立ち止まった。
「どうぞ、こちらです」
真新しい畳が敷かれ、金屏風の前に既に花婿の井伊直政は鎮座している。
戦国期、新郎新婦は向かい合う形で宴席が執り行われたが、今回は雛人形のように客人に向かい合う形になっている。
座敷は思いのほか狭く、薄暗い。
その前には、新婦に向かい合う形で織田信長の弟・織田有楽斎、息子の織田長孝。
新郎の前に確か井伊直政縁戚の鈴木重好――右端に松平忠吉が並んだ。
「茶々様、今朝ほどからご加減が悪く。ご快復を待ちましたので、みなさま、少々お待たせしました」
左近が頭を下げた。
「いいのです! 遠離遥々《えんろはるばる》ようこそ!」
第一声は松平忠吉である。
つとめて明るく手を広げる。
「さ、さ! どうぞ。花嫁のお席にお座りください」
「懐かしいのぅ。茶々……」
花嫁の席に座ると正面の織田有楽斎が涙目で見返してきた。
鷲鼻と濃い目元が織田家の共通の特徴である。
流石にバレるのではないかとヒヤヒヤしていたが、有楽斎は感激ひとしおで、袖で涙を拭いている。
ほとんど派手に化粧した目元しか晒してないにしても、姪の顔ぐらい覚えておけクソが、と三成は心の中で悪態をつく。
左近と内記は織田有楽斎親子の後ろの席に案内された。
二列目である。
勘兵衛は鈴木重好の後ろ。
伊奈図書も松平忠吉の後ろ、二列目に座った。
図書の後ろ奥隣に控えた男には見覚えがあった。
医師の曲直瀬玄朔である。
曲直瀬道三の養子で、父に伴い病に倒れた秀吉を最期まで側で診ていた。
家康が関ヶ原まで連れてきていたのは知らなかった。
彼は三成の顔も良く知っているはずなので、急いで目を背ける。
案内の青年が襖を閉めてその場に座る。
三成は素早く目を走らせる。
大小を傍らに置いているのは松平忠吉のみ。
脇差しは織田有楽斎と鈴木重好が差している。
確か伊奈図書も脇差しは差していた。
織田長孝と医師の曲直瀬は丸腰である。
形ばかりの宴席が恙無く進んでいく。
――家康がいない。
式への参列はほぼ親族のみで思ったより少人数である。
廊下に居並んだ者たちはみな既に解散したのだろうか。
襖が閉じられているため、音も人の気配も感じない。
家康がいつ入ってくるのか。
鈴木重好が謡う高砂の響きの他に何か物音がしないか三成は全身を研ぎ澄ませる。
――家康がこの場に来なければ、この作戦の成功はない。
三成は左近を見た。
鋭い眼差しで周囲を伺っている。
「茶々様……茶々様」
二度呼ばれて振り返る。
井伊直政が三々九度の盃を手に取るように促している。
はじめてまともに見る井伊直政の顔である。
目力が強く、菅田◯暉にやや似である。
小姓から盃を受け取ると、間違えて一気に煽ってしまった。
直政が瞠目する。
「ホホホ……」
三成は袖で顔を隠して、やだ! 恥ずかしいっみたいなフリをする。
左近と内記の目が死んできた。
このままではバレるのは時間の問題である。
松平忠吉が、後列の伊奈図書を呼びつけて何やら耳打ちしている。
「あのう……内府様は?」
声を出したのは内記である。
「ぼ、僕は内府様とはこの度がはじめてで、楽しみにしておったのですが、内府様はお見えにならないのでしょうか?」
「控えられよ!」
井伊直政が内記を一喝する。
「まあ、良いではないか」
松平忠吉が内記を庇ってくれた。
「もうすぐ参ります。少々お待ちを」
刻一刻と式は終わりに差し掛かってきた。
家康は一向に現れる気配がない。
三成はジンワリ腹に汗をかいた。
帯に差した短刀の固い感触を確かめる。
家康が座敷に入ってきた瞬間――そこを狙う。
首元かもしくは心臓に一突き。
左近の席も座敷の入り口からは近い。
たとえ邪魔が入って、徳川方家臣の攻撃で自分が絶命したとしても、左近が本懐を遂げてくれるはず。
もしそれでもダメなら。
勘兵衛が。内記が。
「緊張しておられるのですか……?」
クリッとした目を向けて井伊直政が尋ねてくる。
三成は慌てて二回ほど頷く。
「ご安心を……焦らずにゆっくり夫婦になっていけたら」
直政は囁いた。
「怖い思いはさせません」
わりに良い男じゃねえか。
三成は感心する。
こういうことをサラッと言えないとモテないかもだなぁ。
織田有楽斎の隣の長孝が妙にこちらを見てくる。
長孝は有楽斎に耳打ちをする。
有楽斎は首をひねる。
目を見開いて花嫁の顔をマジマジと見てくる。
突然襖が音もなく開いた。
「では、新郎新婦はこちらへ」
案内の青年が灯し油を再び手に持ち、退出を促す。
マズイ。家康は来ない。
致し方なかった。
大将首に計画変更である。
三成は被衣を隣の井伊直政の顔にいきなりかけた。
「ぜひぜひ、良き夫婦になって参りましょう! 井伊兵部殿!」
帯にしまっていた短刀を素早く抜いて、視界を奪われて慌てる直政の首に突きつける。
「但し、冥府で」




