第44話 人生じゃない!
執務室がノックされる。
三成が顔を出すと深刻な顔をした村田がいる。
三成は扉を閉めた。
「見つかりません」
「そうか……」
もう出立の時刻――朝五つ(午前7時)をとうに過ぎている。
執務室の中には、寝間着から既に着替えて準備万端の伊奈図書がいる。
三成は扉を開けた。
伊奈図書は強張った顔をして睨みつけるような視線を三成に向けた。
「茶々様はご加減が悪いようで……本日は無理かもしれません」
三成が言うと、努めて冷静な面持ちで図書が口を開く。
「あのぅ……少し体調が悪いからといって結婚式当日をキャンセルする花嫁がどこにいますか?」
「……」
「体調悪くたって姿くらいは見せられるでしょう? あからさまな嘘で誤魔化すことなんて不可能ですよ。治部少?」
図書の色白の顔にみるみるうちに朱が差す。
水を飲む手も心なしか震えている。
「貴方は……私の立場なんて慮ったこともないでしょうね。
私がどれだけこの降嫁のために力を尽くし、東軍での地位を投げうって、ひたすら和平への道を探ったことを。
分からないでしょう」
伊奈図書は三成に切々と語りかける。
「貴方がた西軍も終わりかもしれませんが、この降嫁が上手くいかなかったら……私も終わりです。
切腹じゃすまない。打首です」
「面目ない……」
三成はその場にひれ伏し、床に頭を付けて土下座した。
「本当にっ! 申し訳ありません!」
「なぜ、見張りをつけなかったのですか? なぜ……貴方らしくもない」
「不覚でした」
「不覚……?」
図書が湯のみを執務室の壁に叩きつけた。
「私は貴方を信用して! 貴方は仕事に誠実な人だと思ったから! 命を賭けたんじゃないですか! こ、これは裏切りです! 約定違反ですよ! 正気ですか?」
三成は顔にかかった水を拭うこともなく、黙って図書の怒りを浴びた。
「貴方は仕事を一体何だと思ってるんですか?!」
図書が真っ赤な顔を手で覆う。
その手はブルブルと震えていた。
「仕事は……生きるための糧です」
三成は小さな声で呟いた。
自分に言い聞かせるみたいに。
「仕事のために人生があるんじゃない。人生のために仕事があるんです。だから信念を曲げてまでやる仕事なんてない」
こうなることは薄々予想していた。
だから茶々に決心を確かめなかったし、逆に圧力をかけて従わせることもしなかった。
見張りもつけなかった。
心の底で茶々が逃げるのを、自由を掴むのを望んでいたから。
図書は椅子に放心したように大きくもたれ掛かかった。
「私も……迂闊でした。貴方が時々、道理の通らない選択をすることを忘れていた。
合理的な判断をするようでしないことを。貴方の訳がわからない部分を見ないフリをしていた……私の失態です」
三成は、伊奈図書の目に力が再び宿るのを感じる。
「待てるのは6時間です。そこで西軍から花嫁が出てこない場合、東軍から五万の兵が揖斐川に押し寄せてくる予定です」
「五万……」
予定時刻から6時間を過ぎれば実に東軍の半数を割いて力攻めしてくるという。
「もちろん、後詰も適宜投入されるでしょう」
城攻めにはかなりの人数を要するだろうが長期戦になれば食糧も持たないし勝ち目はない。
東西ともに人が多く死に、泥沼になるだろう。
「どうする? 治部少! 考えてください! 考えて考え抜いて貴方の仕事をしてください!」
執務室前には、宇喜多秀家、長束正家、長宗我部盛親の執務室メンバー。
加えて安国寺恵瓊が立っていた。
出てきた三成を一斉に取り囲む。
「どうする? 治部?」
秀家が三成の腕を掴んで聞いてくる。
「みなさんはすぐに戦支度をしてください」
「戦になりそうか?」
正家が確かめる。
「たぶん」
三成の言葉に力強く秀家が頷く。
「確率が高いわけですね」
盛親が決意を込めたように目を合わせる。
「治部、意外とわしは鎗働きが得意でな」
恵瓊がのんびり言い出す。
「3、4人であったら屠れると思うわ」
「こんなことになってしまい、申し訳ありません!」
三成は全員に勢い良く頭を下げた。
「なに、気にするな。冥土で会おう!」
恵瓊は三成の背中をポンと叩いた。
「みなのもの! 戦支度を!」
中庭から大谷吉治の声が響く。
男たちが駆け回る足音が小気味よく聞こえてきた。
三成は戦支度に向かおうとする左近を引き留めた。
「左近、ところで花嫁衣装の準備は済んでるのか?」
「は?」
「身代わりを出す。取り敢えず刻を稼ぐぞ」
◇
「嫌です。絶対に嫌です!」
織田長次は白面をますます白くして顔を横に振った。
「あの、今まで感じ悪くなるから言わなかったですけど、私はあの 織田信長の息子ですよ。
そんじゃそこいらのみなさんとは違うんです。貴種なんです。 なんでその私が女装……よりによって花嫁姿にならなきゃならないんですか?」
三成、左近、勘兵衛が長次にひれ伏している。
顔を上げて左近がニッコリ笑う。
「そこを、なんとか」
「絶対に! 何があろうとも嫌です!!」
長次は終いには顔を伏せて泣き出してしまった。
左近の人誑しの神通力もこの場では効かなかった。
「どうします?」
左近は三成に囁きながら花嫁の打掛を用意している内記を見た。
結局、内記は有給休暇は取らなかったらしい。
「僕、177cmですよ」
内記が左近の視線を察知して言った。
「だよね〜」
三成が思案する。
「殿! ここは某が!」
勘兵衛が意を決したように、立候補する。
三成は武者らしい勘兵衛のゴツゴツした身体と顔を見た。
「勘兵衛の心意気! 誠にあっぱれ! でもおぬしのような女はおらん!」
勘兵衛がかっくり肩を落とす。
「殿のお役に立ちたかった。む、無念でござる……」
化粧係の二人は化粧箱を片付けて、三成のすぐ側で既に帰り支度をしている。
はたと惣次郎と目が合った。
瞳を潤ませながら、美しい唇を少し開いて何か言おうとしている。
三成は惣次郎の顔をマジマジと見つめた。




