第43話 諦めない!
コツン、と何か小さいものが閉め切った木戸に当たる音がする。
茶々は結局、眠ることのできないまま降嫁の日の朝を迎えそうだった。
まだ陽は昇っていない。
茶々はなるべく音のしないよう重い木戸を開ける。
そこに小石が飛んできて、階下を見る。
薄墨色の朝靄の中で大谷刑部が茶々を見上げている。
「刑部?」
「良かった。会えないかと思った」
大谷は両手を口元に添えて囁き声で言った。
「……」
茶々は小袖に厚手の上掛けを羽織って、外に出る。
自分の吐く息が白く広がり空気に溶け込む。
二人は人目につかないように、木の根元の石畳に腰を降ろす。
茶々は何も言わずにただ大垣城を眺めた。
この城に滞在した期間は長くはなかったけれど、忙しない日々の中で自らが生まれ変わったような、生き直しているような、そんな時間を過ごした場所になった。
「貴女に会えないままだと後悔するような気がして」
「私も、話したかった。ありがとう。刑部」
大谷も大垣城をマジマジと見上げている。その瞳は少し潤んでいるようで輝きを放っている。
大谷はその瞳を茶々に向けた。
「俺は貴女を必ず迎えに行きます」
茶々を真っすぐした視線で射抜く。
「だから茶々様。俺のことを待っていてください。必ず」
茶々は思わず笑った。
「だって、そうしたら本当に待っちゃうよ。待って待って待ちくたびれて……おばあさんになっちゃうかも」
表情とは裏腹に、言葉の最後は涙声になって震えている。
大谷は茶々の冷え切った両の手を包み込む。
唇を寄せてそっと口吻た。
「貴女がどんな姿になっていても、必ず迎えに行きます」
大谷は笑顔を茶々に向ける。
「俺は存外しつこいんです。マズイ人間に惚れられましたね」
大谷は視線を外して白い息を吐いた。
「貴女は美しい……いつか、貴女はなぜ自分のことを好きなのかと、俺に問うたことがありましたね。俺は……はぐらかして応えなかった」
「……」
「貴女の外見に惚れたわけじゃない。
いや、変な言い方だな……もちろん誰しもが貴女の美しさに惹かれて。
俺だって惹かれてるのだけど、それだけじゃない」
茶々の指を愛おしむように、大谷はその手で温める。
「茶々様。俺は貴女の生き様に惚れているのです」
大谷の瞳が一層潤んで見える。
間近でみると、瞳の虹彩が揺れている。
「その高潔で、純粋で、責任感が人一倍強くて。でもお茶目で可愛いくて……真っすぐ人のことを想う心に惹かれた」
ようやく昇ってきた朝日が大谷の瞳に映し出される。
「愛してます。だから」
待っていてください……と言いかけて大谷の言葉が止まる。
茶々はその唇に自らの唇を押しつけてから、大谷の胸にその身を預けた。
「ならばこのまま……このまま連れて行って」
茶々は大谷の襟の合わせを夢中で掴む。
「今すぐ! 今すぐどこかへ連れて行って! どこか遠く。誰も知らないところへ! 刑部!」
◇
「茶々様が……いない?」
村田新左衛門の報告に三成の顔面から血の気が消え失せた。
フッと後ろに倒れそうになり左近が支える。
「殿!」
予感はしていた。
実は多かれ少なかれこうなる予測もしていたのだと思う。
ただ村田に言わせると意気地が無く、茶々にあの夜以降も、もっと本当の気持ちを問うことをしなかった。
だから自業自得なのだ。
とは言え、何とかせねばならないのは他の誰でもない。
自分だ。
「探せ!」
左近の腕から立ち上がりながら、三成は床を踏みしめ号令をかける。
「城内、町、寺、山すべて!! 猫の子一匹に至るまで探せ!! 茶々様が見つからねば!」
「見つからねば……?」
左近が上から主君の顔を見下ろす。
「……終わりだ。もう何もかも」
三成は最悪を。
でもけっして可能性の低くはない最悪を口にした。
「ちょっと、どうなっちゃってるわけ〜?」
目元と頬に赤い化粧をした背の高い細い男がオモチャ箱をひっくり返したような石田家家臣団の喧騒に目を丸くしている。
三成は当日の花嫁用の化粧を依頼していた。
ヘアメイク担当の権左と、助手の惣次郎である。
権左の隣で可憐に佇む惣次郎も目をパチクリさせている。
「当日に花嫁に逃げられるとか、本当にあるのね〜」
「うるさい! お前らもいいから探せ!」
三成が上から目線で指示を出すと、権左はさっさと化粧道具を床に置いて準備を始める。
「あたしたち、貴方の家臣じゃぁありませんので、このまま花嫁が見つからなければとっとと帰らせていただきます。
もちろんお代はいただきますよ。後日、請求書送ります」
「……」
「惣次郎、白粉取って」
「何か、ございましたかな?」
伊奈図書が寝間着のまま、大広間にのんびり顔を出した。
茶々の降嫁に合わせて、数日前からこちらに来てもらい出立の付き添いとして手筈を整えてもらっていた。
「いやいや、何でもありません! 何の問題もありません! ここは寒いのでぜひ執務室へどうぞ!」
三成は慌てて強引に執務室へ図書の手を引く。
「いや、でも何やらバタバタと……茶々様がどうとか」
図書は振り返りながら不思議そうに家臣たちの様子を見つめる。
「流石は我が家臣団! みんな張り切っておるのでしょう! まさに快晴花嫁日和! 今日も良い一日となりそうですね!」
三成は半ばヤケクソになりながら、執務室の扉を勢い良く開けた。




