第41話 抗わない!
大垣城には、三成の妹・志野の婚礼衣装が一式残されていた。
茶々は少しカビの臭いのするそれに仮縫いのため腕を通す。
婚礼は二度目。
真っ白な打掛に小袖の被衣を被って、内記の持つ大きめの鏡に自分の姿を映す。
青白い強張った顔と不安げに揺れる瞳が見つめ返してくる。
「お美しゅうございます」
織田信長の末子・長次がため息混じりにうっとりとして言った。
隣の兄・信吉も満足気に頷いている。
「これぞ傾国の美女」
母の方が美しかった。
母の方が輝いていた。
茶々は思う。
ただ確かに茶々の花嫁姿は、柴田勝家に嫁いだ時の記憶の中の母に似ている。
別に母・お市の方は柴田勝家を好いていたわけでは無い。
家と家との繋がり。
ただただそういったものだった。
だから疑問に感じたことも一切ない。
女の生き方とは、こういったものなのだ。
何も女の受動的な生き方に逆らい、勇ましく生きようなどとは思わない。
変えてやろうなどとも思わない。
それは茶々のやり方にそぐわなかったし、できる機会もなかった。
だから――何も変わったことなどない。
「当日は、花嫁用の化粧を担当する者も参ります」
織田信吉は茶々に微笑みかける。
「化粧なら私でもできるけど」
「プロに任せた方が良いかと」
茶々は疑問に思う。果たしてこの世界にメイクアップのプロがいるというのだろうか?
「治部!」
ちょうど茶々の部屋の前を通りかかった治部を信吉が引き留める。
三成は花嫁姿の茶々の姿を呆然として見ている。
茶々は思わず顔を伏せた。
「化粧係は意外にも治部の紹介なのですよ!」
信吉が得意げに話す。
「へぇ、そんな人脈をお持ちなんですね。知らなかった」
長次はそう言って無邪気に笑う。
楽しそうだ。
「ま……まぁ」
三成は言葉に詰まる。
「美しいでしょ? 見惚れちゃってる!」
長次が三成をからかう。
「もちろん、とてもお美し……」
「閉めて!!」
茶々は思わず叫んだ。
内記が鏡を置いて、扉をピシャリと閉める。
織田家の兄弟二人はキョトンとした顔をして、顔を見合わせた。
「ごめん……」
肩を落とした茶々の背中をそっと内記が撫でる。
これ以上、あの男の視線に耐えられる自信は無かった。
――何でもないこと。何もなかったのだし、これからだって何も。
茶々は自分を睨みつけるように鏡を手に取り向き合った。
◇
「コニタン、いる?」
小西行長は重い扉を開けて顔を出した男の顔を見て嘆息した。
「おい。今度は何だ? 私はおぬしの専任カウンセラーじゃないんだぞ」
だいたい悩んでいる時にはここ――行長と数人の家臣で作ったログハウスにきて、あーでもない、こーでもないと愚痴とも相談ともつかない話をして帰っていく。
だいたい話も長いので、行長は途中でウンザリしてくる。
「いいじゃない? どうせ暇でしょ」
三成は握り飯と肴の差し入れを高く掲げる。
「暇じゃない! おぬしこそ私にグダグダ話す暇があったら少し睡眠でも取れ」
「今日はね、本当にコニタンにお願いしなきゃいけないことができて。それで来た」
「会議のメンバーには戻らんぞ」
「そうじゃなくてね……」
茶々の井伊直政への降嫁がほぼ決まり、後は細かい日程調整の準備に入っている。
ただこのことを知っているのは執務室メンバーと呼ばれる上層部と石田隊の面々、三成に近い数人のみ。
まずはそれらの者から、西軍の大将クラス、副将クラスに話しをし、順序立てて末端の兵士まできちんと説明を行う。
万が一にも茶々の降嫁に不満を持った不平分子によって暴動などが起きないよう上手くコントロールしなければならない。
「というわけで、小西隊にもぜひ上手く伝えて欲しい」
三成はハチミツの入った行長特製のお茶を飲んだ。
冷えた手を器を包み込むようにして温めている。
「それは承知した。すぐに私から説明を行おう」
「流石コニタン! 話が早い!」
三成は無邪気な風に笑う。
「で、他にもあるのだろう?」
行長は三成の顔を覗き込んだ。
「別に、どうってことないのだが……」
三成は目線を明るい外に向ける。
窓枠には行長が家臣と共に作った半透明のステンドグラスが嵌め込まれている。
「刑部とケンカしてしまって……」
「ああ……なるほど」
それで普段よりもしおらしいのか。
「何だか、これからも許される気がしないのだ」
三成は、大谷に約定取り交わしの使者として東軍に行ってもらったことを行長に説明した。
「守備は?」
「上々だ。ま、懸念点は多々あるけど」
大谷は帰ってくると、一息つく間もなく馬でどこかへ遠出してしまった。
それ以来、顔も見ていない。
小早川秀秋と、大事な場面で遭遇してしまったのを左近から伝え聞いた。
「仲違いは茶々様のことでか?」
「何で分かるんだ?」
三成は目を見開いて驚く。
「だって……おぬしと茶々様は、その」
「何も無いぞ」
「そうなのか……何だ。おぬしの片思いか」
三成は手のひらを行長に向けた。
「みんな勘違いしてる。お前まで。俺はこう見えて、妻一筋だぞ」
「でも、惹かれてはいただろう?」
「……」
「まあ、いい。全て良い思い出だ」
行長は懐かしい大坂城の情景を思い出す。
天に聳え立つ天守に、綺羅びやかな黄金をあしらった内装。
大勢の家臣や城下町の町人たち、大勢の色とりどりの女たち。
浪速のことは夢のまた夢―― 三成は話を変えようと咳払いをする。
「あとコニタンには、村田新左衛門の生い立ちに関して聞きたいことがある」
意外なことを訊かれたのか、行長は怪訝な表情をする。
「良く気がつく男だ。コニタンから貸してもらってありがたい。
確かに重宝している。ただ気が利きすぎているゆえに、内府へ通じている可能性もあるかと」
「村田が? うーん、どうかな」
行長は眉間にシワを寄せた。
行長に拠ると、村田新左衛門は実年齢も二十歳そこそこ。
関ヶ原では田中吉政の鉄砲隊に胸と腹を撃ちぬかれて開戦から数時間後にあえなく討ち死している。
「間諜を疑うのだったら、関ヶ原後に藤堂高虎の元に大量に異動したおぬしの石田隊の中が一番怪しいだろう。
村田には東軍にツテなど無いぞ」
石田家の重臣である磯野平三郎や青木忠兵衛、内海重次、八十島助左衛門などが、関ヶ原後こぞって藤堂家に召し抱えられている。
「磯野とか、八十島とかの方がよっぽど怪しい」
「八十島が間諜? ないない。あいつの良いところと言えば書道五段なとこくらいだろ」
行長は顎に手をやり頷いた。
「確かに、ウッカリ者は間諜には向かないか……」
行長の目が突然鋭くなる。
行長は素早く扉の横の壁に架かった火縄銃を手に取って、ログハウスを出た。
三成も外に出て、物陰に潜んで火縄銃に点火している行長の側に佇んだ。
「な、何?」
「静かに!」
マッチロック式火縄銃は手練れの行長が準備しても発射まで30秒はかかる。
パァーーン!
行長は立ち上がり、草叢に居た人物に発砲した。
夕日を受けて草叢の人物は黒い影のようにしか見えない。
弾丸は、彼には当たら無かったようで、一目散に逃げていく背中を夕日が照らした。
「ど、どうしたの?」
「安心しろ。威嚇で撃ってるだけだ……治部よ。この草叢、何だか分かるか?」
「え?」
三成は草叢に生えている草をよくよく見た。先端が妙な具合に膨れている。
「もしかしてケシ? アヘン?」
行長は頷いた。
「コイツは場合によっちゃ、内府より怖いぞ。万が一西軍に蔓延したら、兵士は腑抜けになって使い物にならない」
行長は逃げていった男の方角を、眩しそうに細めた目で見る。
「ただ……刈って無くすわけにはいかない。我らが死に逝く時、死の淵に立たされた時、救いとなるものだ」
ケシはモルヒネの成分も含まれていて、麻酔の代用ともなる。
「たまに、ああやって盗みに来る者がいる。その度に追い払ってはいるがな」
「そうか。守ってくれてるのか。いつも俺の気付かないところに、キチンと手を打ってくれてる。ありがとう……」
三成ははたと気がつく。
「ここにあるはずのないケシが生えてるということは、バナナもワンチャンあるな……」
「何だ?」
「いや、何でもない」
三成は夕日に照らされた行長の顔を見た。
風来坊のような緩やかな雰囲気は消え失せ、やはり戦国武将の顔をしている。
「カウンセラーじゃないと言うけど、俺は最後はきっとまた小西行長に相談するんだと思うよ」
「……イヤだなぁ」
行長はフッと息を吐いた後、照れたように笑った。




