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第40話 呪わない!

 翌日、集められたメンバーは大谷が持ってきた書面に名前と花押を書いていく。


 はじめに藤堂高虎が油紙ゆしで汗を拭きながら筆を執り、その後毛利秀元が軽やかに署名する。


 最後に本多忠勝が時間をかけて署名し、三名は親指を脇差で少し切って血判した。


 内容は、東軍の伊奈図書が骨子こっしをまとめ、三成が補足し完成させたものだ。


 第一に茶々の身柄の移動と、身の安全の保証。


 第二に揖斐川から南を安堵、西軍を独立国として承認し、内政干渉しない旨などの事細かな停戦と和平についての講和条約が記されている。


 後は井伊直政と徳川家康が署名すれば、完了となる。


 市松――大谷は、幼い頃から共に育った市松こと、福島正則に思いを馳せた。


 残念ながら、この場に正則はいない。


 今朝、正則は気鬱の症状があるということで欠席と知らされた。


 乱暴者で粗野。


 酒の力を借りて腕力に頼ることがあったが、其の実誰よりも繊細な神経の持ち主であったことを大谷は懐かしく思い出す。


 署名のために用意されたのは、清洲城の美しい庭が見られる書院造りの間である。


 木々の根元には先日の雪が溶け残っている。


「お庭が綺麗ですね。少し、外を歩きませんか?」


 左近が毛利秀元に声を掛ける。


「勝手なことをされては困ります!」


 茶を出している徳川の家臣が慌てる。


「ほんの少し。良いお庭じゃないですか」


 徳川家の家臣は、左近の人懐こい笑顔に丸め込まれて黙った。


 大谷は素早く藤堂高虎に小声で声を掛ける。


「お話があります」


 高虎は頷いて、巨体を揺らして立ち上がった。


「椅子の生活に慣れちゃってるから、畳に座るのも一苦労ですよ」


 庭をゆっくり歩きながら、高虎は自虐的に笑う。


「貴方はいつでもスマートでカッコいいですね」


「いえいえ、そんな」


 高虎は恰幅が良いとは言っても、引き締まった筋肉質の肉体をしている。


 このような自虐で牙を上手く隠しているのが高虎という男なのだ。

 大谷はつくづく思う。


和泉守いずみのかみ、もし万が一、茶々様の身に何か重大な問題が立ち上がったら、西軍にお味方してもらえないですか?」


 大谷の単刀直入の言葉に、高虎は流石に息を飲む。


「俺はその時は、茶々様を奪いに乗り込むつもりです」


「なんとも……言えませんな」


 高虎は立ち止まって目を伏せた。背の高い大谷よりも高虎の方がなおも背丈が高い。


「茶々様はこの世でたった一人の女性。お護りするのは、東軍も西軍も関係ないかと」


「兵部殿が茶々様を大切にしないとは思えませんので、なんとも……仮定の話すぎて」


「仮定の話でいいのです。本当にその場合で良いのです。我らを援護してください」


 書院造りの間に井伊直政が入ってくるのが見えた。


 左近は大谷に目配せして、急いで戻る。


「和泉守……!」


 高虎は大谷に目を合わせて、うんうんと頷いた。


 まずは、これで良い。


「刑部」


 名前を呼ばれて、大谷は振り向く。


 今の会話を聞かれたかもしれない相手を見て、大谷は瞠目する。


 小早川秀秋は雪で作った弾丸を大谷の胸元目掛けてぶつけてきた。


「バァーン、なんてね」


 その場にいたみなが、二人の様子に釘付けになった。


 井伊直政も何も言わず黙ってみている。


「金吾……」


「久しぶりだな。刑部」


 金吾中納言秀秋は色白の頬に薄っすらと笑いを浮かべ親しげに大谷に話しかける。


「早く呪い殺してくれないと、暇で暇で。この世は何も面白うないことばかり」


 秀秋は手についた雪をヒラヒラと振り払う。


「そう言えば、お前の呪いも解けたのだな。呪いが解けた王子様は、人を呪い殺す神通力も持たなくなったか? ん?」


 秀秋は大谷の病が癒えたことに独特な言い回しで言及した。


 関ヶ原の後、裏切って大谷隊に襲いかかった秀家を大谷刑部が呪い殺したと世間では噂されたという。


 大谷は冷静に応える。


「呪いませんよ。安心なさってください」


 秀秋はぐっと大谷に近づいて、上目遣いで顔を覗き込む。


「さも、俺を恨んでおろう。可哀想に。俺の夢を今でも見てくれてるか?

 お前が俺を恨んでくれないと張り合いが無くてな」


 秀秋は更に大谷へ顔を近づける。


「そう言えば、あのチビは元気か? まだお前はお守りしてるのか? あんなオモチャは捨てて早く俺の元へ来いよ」


 大谷の胸に秀秋はそっと手を寄せた。


「殺したっていいんだ……お前のために、殺してやっても良いんだ」


 大谷は流石にその手を振り払う。


「アハハハ、冗談だよ。相変わらず真面目だなぁ。刑部は」


 秀秋は書院造りの間の面々を見る。


「何だ? 勢ぞろいで。俺は聞いてないぞ~!

 こんな楽しい会なのだったら、呼ばれたかった。

 兵部、内府に言っておけ。今度は俺も呼ぶように」


 秀秋は笑うと色白の頬にエクボが浮かんで人懐こい表情になる。


 目の奥のくらさと相まって、得体の知れない狂気じみた印象を相手に与える。


「可哀想なのは、金吾。貴方だ」


「俺が……可哀想?」


 大谷の言葉に、秀秋はキョトンとした表情を浮かべる。


「若いときから、酒を煽り、戦を繰り返し……愛情も、親の充分な愛情も受けられなかった。

 俺は貴方をひとつも恨まない。可哀想だと、ただただ思うだけだ」


 吉治が心配そうに父を見守っている。


 年の頃は秀秋と同じくらいである。


 秀秋は自らの身体を抱きしめる。


「フフフ……俺が可哀想か……」


 顔を上げて秀秋は大谷を睨みつける。


「この偽善者め! おとなしくとっとと地獄へ堕ちろ!」


 秀秋はひとしきり睨みつけた後に、突然人懐こい笑顔を浮かべる。


「なんてね、冗談」





【小早川秀秋】 織豊-江戸時代前期の武将。 天正10年生まれ。木下家定の子。高台院の甥。豊臣秀吉の養子から、秀吉の実子秀頼の出生後に小早川隆景の養子となる。 関ケ原の戦いで西軍に属したが途中寝返って東軍勝利の一因をつくり、備前・美作51万石をあたえられた。 慶長7年10月18日死去。21歳。幼名は辰之助。前名は羽柴秀俊。通称は金吾中納言。

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