第39話 仕事は選ばない!
大谷刑部は今のところ、三成の顔を一度も見ない。
但し、態度とは裏腹に言葉は丁寧だった。
「相わかった。
俺がこの書状を内府と井伊直政に届け、その場で許可を取り、毛利宰相、市松、藤堂和泉守(高虎)、そして本多平八郎殿(忠勝)ら四名に茶々様身元引受の保証書を貰う。
この手筈で良ろしいかな?」
藤堂高虎を推したのは、誰でもない大谷である。
大野治長は今回は見送った。
彼が東軍陣地内で茶々の身の無事を保証できるほどの地位を確立していない現実があった。
それに治長であれば、調略などせずとも茶々の味方であるに決まっている。
命を捨ててでも護るだろう。
後は家康との交渉次第。
何も約定など取り交わさないとなると、この降嫁の話事態が流れる可能性がある。
「連れて行くのは、平塚為広、島左近、ウチの長男にしたいと思う」
大谷家長男吉治、通称・大学は既に、父の大谷の隣にぴったりと寄り添っている。
大谷より幾分線の細い印象だが、背格好含めよく似ている。
「そこは、刑部の好きにして欲しい」
三成は大谷の横顔を見て話す。
「では、そうさせていただく」
旅支度のため、大谷は吉治を引き連れて執務室を出ていった。
後に残されたメンバーは一様に深いため息をついた。
何も楽しい話合いではない。
「あのう……ケンカでもされたのですか?」
長宗我部盛親が三成に遠慮がちに聞いてきた。 「まぁ……そういったところです。お恥ずかしながら」
「ケンカするほど、仲が良いって言いますから。帰っていらしたらまずは仲直りですね」
盛親はトントンと三成の背中を叩いて励ました。
ちょうど学校の先生のような仕草である。
「大学! ちょっと良いか?」
両足に脚半を付けて、陣笠の紐を顎下でシッカリと結んでいる大谷吉治に三成は声を掛けた。
「治部様、何か?」
「イヤ……不安だろうが、宜しく頼むよ」
「不安などございませぬ。安心してください」
吉治は笑った。
白い八重歯が覗く。
「茶々様が末永くお幸せにお過ごしいただけるよう力を尽くせるのであれば、この吉治、命など微塵も惜しくはありません」
「そうか……」
大谷に似た真っすぐな眼差しに少し戸惑う。
「父上のこと、すみません」
意外に頑固で……と吉治は苦笑いを浮かべた。
「治部様とは仲違いしたままで、今生のお別れになるやも」
「いやいや、くれぐれも死なんでくれよ!」
「もちろん。そう願っておりますが」
「大学! 行くぞ!」
大谷の鋭い声が飛ぶ。
「では」
吉治は馬に飛び乗って頭を下げた。
既に三成から家康には大谷ら使節一行を送る旨を伝えてあるという。
三成のことだから、こういったことには抜かりはない。
揖斐川を渡る時も、東軍の関所を抜ける時も東軍の役人に嫌な顔ひとつされず一行は通された。
大谷は素直に感心する。
「お前の主人はこういった仕事は早いな」
川を渡った先で用意された馬を並べながら刑部は左近に話しかけた。
「ま、仕事人間ですからね。近くにいると何が楽しくて生きてるのか皆目分からないですよ」
大谷は左近に対してお前もだろ……と思う。
左近は主人の細々とした指示を寝る間も惜しんで対応している。
根っからの仕事人間なのは左近も同様だ。
「なぜ今回は引き受けてくださったのですか?」
今度は大谷へ左近からの質問である。
「ん?」
「茶々様の降嫁にはそもそも反対であったはず」
「反対だよ。反対だから、あちらさんの出方をを見に行く。誰にも任せられんだろう」
大谷は真っ直ぐ前を向いた。
清洲城・大広間は左近にとっては二回目である。朝方に大垣を出て、既に夕刻である。
入ってきたのは赤備えの小柄な男である。
この城の元々の主は福島正則のはずだが、上手にどっかりと座った。
左近は頭を下げたが、大谷は頭を下げる素振りも見せない。
「その方が大谷刑部か」
少し甲高い女のような声である。
「いかにも。お初にお目にかかる。井伊兵部殿……」
大谷は伏せた目を上げた。
ハッと息を飲む。
少し面差しが三成に似ている。
直政は小柄な体躯ながら目は爛々と輝き、相手を獲物のごとく狙っている。
そう言えば、直政が『徳川の三成』と呼ばれていたのを思い出す。
「内府様は……?」
「上様がかような場に出てくるわけなかろう」
直政は差し出された書状を乱雑に掴み、中身を読む。
三成と明らかに違うところはその眼差しの光り方だろうか。
三成は性格的にはのんびりしたところもあるので、やや間延びした雰囲気も出せるが、直政は刃物のような鋭い光を放つ目をしている。
『人斬り兵部』と呼ばれた所以か。
「書面を取り交わせば、茶々を渡すのだな」
直政は喜色を隠さない。
彼の目の光に大谷は堪らぬ嫌悪感を抱く。
思わず舌打ちしそうになった。
「よくぞ、決断した。おぬしらも馬鹿ではないな」
「しかしながら、兵部様」
左近は朗々たる声で訴える。
「いくら茶々様をそちらにお渡ししたとは言え、茶々様を蔑ろにしたり、約定を違反してこちらに攻め込まれたりしますと、信頼関係は損なわれ我々の戦支度はただの支度ではなくなります」
「わかっておる。それで、この四名……平八郎も入ってるのか……これらを保証人として約定を交わしたいということだな。早速上様にお下知をいただこう」
「兵部殿が下せるものではないので?」
大谷が口を挟む。
「何が?」
「いや……ウチの治部はすぐに自分で決断するゆえ、つい。ご立派な形の兵部殿ですが、決定権は常に内府様なのかと」
「ふん。くだらん。そんなことでマウントを取られても困る。その治部の決断がいつもおのれらを苦しめるのではないか?」
直政は強気に鼻で笑った。
「マウントなんかとんでもない。ただ素朴に疑問に感じただけです」
大谷は直政を真っすぐ視線で射抜く。
両者の視線はぶつかったが、直政が先に逸らした。
「フフ……まあ、いい。この度はさぞお疲れであろう。宴席を用意しているゆえ、ごゆるりと過ごされよ」
直政が足早に去る姿を左近は見送る。
「なんか、本当に戦国時代みたいでしたね。宴席に毒とか仕込まれてたら、左近どうしよう?」
左近が不穏な内容をさも楽しそうに話す。
「え? 今って戦国時代なんじゃないんですか?」
吉治も乗っかる。
「平塚殿、寝ちゃった? 一言も喋ってないけど」
「寝てない!」
左近がチャチャを入れて為広が言った。
為広の一言を受けて左近が大笑いする。
平塚為広と島左近が鼾をかいてグーグー寝てる姿に大谷はちょっとした衝撃を受ける。
「よく、このような状況で寝られますね」
吉治は呆れたように二人の寝姿をマジマジと観察している。
宴席と言っても徳川家康はじめ東軍の面々は参加せず、小姓たちが膳を運んだり、酌をしたりするために駆けずり回っている。
多少の交流が図れるかと期待した左近も、これにはガッカリした様子だった。
「こうなったら、東軍の酒蔵を空にしてやりましょう!」
左近と為広は散々飲み明かし、用意された畳の寝床でこの無防備な姿である。
毒を盛られたらどうしよう、と言っていたのが嘘のように、左近は出した腹を豪快に掻いて寝入っている。
「父上、あの井伊直政という男……どう思いましたか?」
「嫌な男だな」
だが、才気はあるのは間違いなさそうだ。
関ヶ原でも果敢に攻め込み、鏃の傷が原因で死亡している。
家康にとって忠誠心の厚い、とりわけ可愛い腹心といったところか。
だが――茶々があの男のものになるのは、どうしても嫌悪感が拭えない。
「父上、無事西軍に帰ったら治部様と仲直りされてください」
「なんだ? 余計なことを」
大谷は鋭く長男を叱責する。
「……父上には、曲がりなりにも我ら兄弟がおります」
吉治と頼継の兄弟は確かに大谷の心の支えである。
「治部様には、左近という腹心は居ても、お兄様もお子様もここにはいらっしゃいません。
どんなに心細かろうと思うのです。 父上は、いつでも治部様のお味方であってあげるべきです」
「アヤツはそんな繊細な質ではないぞ」
「そうでしょうか……とにかく私からお願い申し上げます」
吉治は大谷の隣に敷いてある布団に行儀良く入る。
大谷は白い清潔な布団を吉治の首元まで上げてやる。
大谷はそのまま、幼い子どもを寝かしつけるように吉治の布団をポンポンと叩いた。




