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第38話 読めない!

 執務室メンバーで、最後まで茶々の降嫁を反対したのは意外にも長束正家だった。


 青白い痩せた頬を持った吏僚りりょうは、顔に手を寄せ思案した。


「以前、清洲の会議で話したことで、私は『誰かひとりの犠牲の上に平和が築かれるべきじゃない』というような話をしたのだ。


 その時の『犠牲』はおぬしだったわけだが……あれは存外本心でな……」


 三成は黙って正家の話を聞いていた。


 正家が彼を庇って発言してくれたことは左近から聞いている。


「だから、という訳ではないが、降嫁が本当に良いことなのか、一時的に問題を先延ばしにするだけではないのか。

 

 慎重に判断しないといけない。茶々様を降嫁させたからと言って内府がこちらに攻め込まない保証はないのだし」


 三成は両の手で自身のこめかみを押さえた。

 朝から降っている雪の影響か、少し頭が重い。


「何名かに起請文きしょうもんを取ってもらおうかと思う」


「起請文!? 今の御時世、そんなの意味ないだろう!?」


 起請文とは約定をする際、神仏に誓って破らないという文言を入れた契約書のことである。


 厄除けの護符である牛王宝印ごおうほういんの押した紙が用いられる。


「もちろん神仏に誓って、のところを各々の名誉や地位に変えて契約書の形にする。

 保証の言質を取る。破ったら責任取ってね、ということだ」


 豊臣政権末期、秀吉はこの起請文を連発。


 病身で後先長くなかった秀吉は遺される秀頼のため起請文を用いて秀頼の身元の安全を保証させようとした。


 徳川家康ももちろん署名している。


 守られることは一度たりとも無かったが。


「意味ないと思うけど」


「意味はなくて良い……今は。ただ起請文を取れそうな人間に会っておきたい」


 揖斐川の国境線はこちらももちろん等間隔に櫓を立てて警備の人数を割いているが、対する東軍の歩哨ほしょうの数は倍はいる。


 夜間でも、西軍から東軍へ渡る者がいないかチェックに余念が無い。


 東軍に万が一西軍の味方、もしくはシンパシーを感じる者が居ても、交流の仕様がないのだ。


 このまま、ひとりも味方のいない東軍に茶々を引き渡すのは避けたい。


「まずはやはり市松(福島正則)、毛利宰相(秀元)そして大野修理(治長)らに渡りを付けて茶々様をお護りする体勢を取ることを約束させたい」


 正家は口元に手をやりながら渋い顔をする。


「何も、西軍に味方せよ、という話ではない。内府にも大凡は予め話を通しておく。


 茶々様の身の安全の保証と確実な停戦を内府や井伊直政ら東軍執行部以外にも約定として取りたい。そう言えば、おそらく……」


 漏れ伝わる情報によると、清洲城下では夜間の外出は禁止とされているようだ。


 当面の間、会合の開催や茶会などの遊興を含め禁止、もしくは内府の側近らへの届出制としている。


 勝手に徒党を組むのはまかりならん、というわけである。


 権力は内府譜代の側近や縁戚に集中していて、関ヶ原で活躍したはずの各隊の発言権は無いに等しい。


 いずれ不満が溜まるだろう。そこを突きたい。


 将来的には親西軍とまではいかないが、中立の立場を取ってくれる勢力を創りたいのである。


 因みに東軍は統制が効いていて、西軍のように島津隊を放っておくような緩い体勢は取っていない。

 ま、島津隊の放置は言うこと全然聞かないからなんだけど。


「できれは……市松は繋げたい」


「うーん、言ってみても良いが相手が相手だけに内府もだいぶ警戒するだろうな。それ、誰がやるのだ?」


 三成は伏せていた目を上げて、正家の顔を正面から見つめる。


「刑部に行ってもらおうと思う」


「うーん」


「もちろん、左近にお供をさせて」


「おぬし、いくらなんでも左近を使いすぎだぞ。流石のアイツも過労で死ぬぞ」


 三成は家老だけに、と言いかけて止めた。


「まあ、話は分かった。おぬしの言うような守備がうまく運べば考えられぬものでもない。

 

 治部、おぬしは人を信用しすぎるから、刑部に相手の本心を良く見極めてもらうのは良いアイデアだ…… だが私は茶々様の身の安全もそうだが、停戦がこのまま難癖つけられずに継続できるのか、甚だ疑問だ」


「そこは俺だって、読めないさ」


 三成は足元にある火鉢の炭を搔き回した。


 湯浅五助から佐和山方面で鉱山が見つかったとの報せが昨日入ったところだ。


 石炭や鉄が採れると知ったら、内府がどう方針を変えてくるかは分からない。


 正家と三成が執務室から出ると、宇喜多秀家が廊下で待っていた。


「治部、ちょっと話がある」


「執務室に入りますか? 藤兵衛も?」


「いや、ちょっと治部にだけ……すぐ済むのだ」


 正家は何かを察したのか、それじゃ、と言って足早に去っていった。


 廊下で秀家は珍しくモジモジしている。


「どうなさいました?」


 普段白面の美しい横顔が、珍しく紅潮している。


 意を決したように三成に向き合う。


「茶々様にふさわしいのは私ではないのか?」


「は?」


 三成は率直に言って戸惑った。


「だって、治部。考えてみろ。私ほど顔が良く、地位もあり、健康で、おまけに学問も修めている男が他にあるか? 井伊直政? あんなチャカポンだとか何とか、どこの馬の骨とも分からない男に譲るのが、どうにもこうにも許せない!」


 宇喜多秀家の妻・お豪は前田利家の四女で眩い美しさと愛らしさを持った姫だった。


 秀吉の可愛がり方は有名で、お豪を目の中に入れても痛くない、などと公言をしていた。


 そのお豪に秀吉は英邁えいまいかつ美男子の誉れ高い秀家を添わせたのである。


 三成も婚儀の挨拶に大坂を訪れた二人の夫婦雛のような愛らしさに、相好を崩したものだった。


 因みにチャカポンは、井伊直政の子孫で幕末の大老・井伊直弼のあだ名であるので、直政とは関係ない。


「茶々様の本心が知りたい……本当に東軍に降嫁など考えておられるのだろうか。治部、再度ご本人に確認を」


「止めましょう! 茶々様ご本人を苦しめることとなります」


 茶々は降嫁がなかったことになっても、秀家に嫁ぐことは念頭にないに違いない。


「中納言様。中納言様の茶々様を想う気持ちは痛いほど分かります。

 ですが、ここは今一度冷静になられて、茶々様の心情を慮りましょう。苦しいご決断をなされているのです」


 三成は秀家に顔を近づけて、小声で囁くように話す。


「それと、これは俺なりの考えですが……」


 秀家も興味ありげに顔を近づける。


「茶々様が存在するということは、これからも西軍陣地には女人が現れる可能性があるはず……」


「そうか」


「ええ、その時は必ず」


「必ず?」


「必ずやその女人は中納言様と添うよう、俺はお力添えいたします」


 秀家は細かく数度頷いた。


「治部、贅沢は言わぬ……そこそこの感じの女人でも良い」


「そこそこですね。お任せください」



「男とは……誠にアホなものだな」


 秀家の背中を見送りながら、三成は思わず呟いた。


 秀家の可愛い要望が愛らしく思えて、思わず笑みが溢れる。


 平時だったら愛しい人と添いたいというささやかな夢も、この事態ではなかなか叶えてあげられそうもない。


 いや、平時でも難しいか――人生は誰しもままならぬものだ。


 三成はコンコンと降り積もる中庭の雪を見つめた。

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