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第36話 負けたくない!

 自分でも分からない。


 彼女が苦しい時、心細い時、悲嘆に暮れている時、なぜか居合わせてしまう。


 これを運命と呼んで、さほど差し支えないだろうか―― 大谷刑部は、肩を揺らしながら泣く茶々にそっと自分の上掛けを掛けた。


 大垣城、中庭の縁側は静まり帰り、茶々の押さえた嗚咽と、鼻を啜る音だけが響いていた。


「どうしたのです?」


「……刑部? なぜここに?」


「貴女こそ……こんな夜中に。危ないではないですか」


 茶々は鼻声になりながら、無理矢理笑おうとする。


「やだ……貴方には変なとこばっかり見せちゃうね」


 茶々の着物の袖が濡れてシミができている。


 随分泣き続けていたのだろう。


「誰に泣かされたんです? ま、大方予想はつきますが」


「違うの……泣かされたわけじゃないの。私がなんだか勘違い。バカみたい……」


 最後は茶々の声は震えて、嗚咽混じりになる。


 しばらく大谷も無言で、中庭を見つめた。


「何を言われたかわかりませんが、アヤツはただの馬鹿なんです。気にしない方が精神衛生上良い」


「フフ……馬鹿って。ずっと親友?」


「ええ。まぁ、腐れ縁ってとこで」


 茶々は、スンスンと鼻を啜る。


 少し落ち着きを取り戻したのか、中庭を見つめ少し息を吐く。


「いいね。気心が知れてるって」


「そうですかね?」


 しばし無言が続いた後、茶々は井伊直政への降嫁の話が持ち上がっていることを大谷に伝えた。


「聞いてます……」


「そう……」


「治部は何て?」


 茶々はその問いには応えず、無言で膝を抱えた。

 膝に顔を埋め深く息を吐く。


「まぁ、決まり切った言葉と思われるかもしれないけど、俺だったら絶対に貴女を泣かせたりしないですけどね」


 茶々は大谷の顔を見た。


 月に照らされた彼は真剣な眼差しで茶々を見つめている。

 優しい慈愛に満ちた眼差しだった。


「ありがとう……」


「直政のところになんか行かせません。それと、俺の方が治部より貴女を愛してる」


 茶々は大谷のストレートな愛の告白に驚いて、目を見開いた。


「愛してます。茶々様のことを本気で愛してますから」


 茶々は考えてみたら、男からこのような言葉を受け取ったことが無かった。


「茶々は若いのう」


「可愛い茶々よ」


「何でも買うてやろう」


 以前の夫が言った言葉は内容は同じだったのかもしれない。


 でも大谷の言葉は、それらよりも何よりも真っすぐで。


 雷に打たれたかのように、茶々の心を貫いた。


「なんで?」


「なんでって、こういうのは理屈じゃないでしょ」


 大谷は自嘲気味に笑った。


 茶々の手を取り、自らの口元に導く。そっと口吻た。


「宣戦布告しに行かないとですね」


「直政に?」


「いいえ。まずは貴女の心をいまだ捕らえている男に」



  ◇



「よっ! 久しぶりに一杯やらないか?」


 大谷は盃と酒の入った瓢箪を持って三成の部屋を訪れた。


「すまん……全くそういった気分じゃないのだ」


 三成は既に布団を頭から被っていた。


 大谷は布団の塊の側に構わずドカッと胡座をかいて座る。


「話がある。一杯やろう」


「もう……何なんだよっ! 眠いんだよ。今はほっといてくれないか」


 大谷は敷布団を引き剥がして、三成を布団の外に勢い良く転がした。


「……」


「話がある、と言っただろうが。まぁ、聞けよ」


 壁に頭を強かに撃ちつけて、三成は恨みがましい目で大谷を見た。


「八重を覚えているか?」


「八重……?」


 村田から大谷へ茶々の件が伝わって、何か言われると覚悟していたので、三成は存外ほっとした。


「そういえば、いたな。寧々様の侍女か」


「あの当時一番若い侍女で、俺とお前の後を付いて回ってただろう。あの娘だ」


「懐かしいな……」


 大谷も三成もまだ凄く若かった。


 ようやく元服をしたあたりで、秀吉も長浜に居て所謂子飼いの武将たちもまだまだ子どもだった。


「俺はあの娘に惚れてたんだ。知らなかっただろう?」


 八重という娘の、はにかんだような幼い笑顔を思い出す。


「そうだったのか。美人じゃないけど愛嬌のあるタイプだったな」


「小銭を貯めて、こんな小さな紅を買って渡したことがある」


 大谷は両手で小さな紅のサイズの丸を作る。


「へぇ~」


 三成は布団を脇にやって、ようやく大谷に向き合う。


 大谷少年の初々しい初恋が目に浮かんだ。


「告白したけど断られたよ」


「え? そうなの? お前を振る女がおるのだなぁ」


 三成は少し愉快になる。大谷は少年の頃から文武両道。


 自分のようなガリ勉タイプとは違い、かなり女にはモテてきた。


「八重がどうしたのだ? この城に縁者でも居たか? 流石に良い年だろう。元気にしてるかな?」


「死んだよ」


 三成はハッと息を飲んだ。


 大谷の言い方が異様に冷たかった。


「17で死んだ。流行り病だった」


「……」


「知らなかっただろう? 別に興味なかったか。侍女なんていっぱいいたから」


 大谷の目が途端に鋭く光る。


 手酌で平たい盃に酒を少し酌み、あおった。


「お前は気が付いてなかったが、八重はお前に心底惚れていたのだ。

 朗々と意味の分からぬ政局を語り、国の在り方を語り、堅苦しい書物ばっかり読んでいたお前のことが好きだったのだ」


 もう一杯、盃に酒を注ぐ。


「お前は、人の気持ちが分からぬなどと抜かすが、其の実、人の気持ちなんて己で考えたことも無いのではないか?

 人の気持ち、とりわけ、お前にとって女……女の気持ちなんて。女はまつりごとの駒のようにしか見えないのではないか?」


「そんなことはない」


「どうかな? お前が関ヶ原を負け戦にしたのも、細川ガラシャを自害に追い込んだことが遠因だろう。 お前はまたこの度も女を犠牲にするのか?」


 三成は家康を征伐するにあたって大坂城下の大名屋敷から妻子を人質に取った。


 その最中、細川忠興の妻・ガラシャは玉造の屋敷で、家臣に槍で突かせて自害した。


 三成が直接手を下したわけでは無いが、ガラシャを殺した男の称号は最期まで拭えなかった。


「随分トゲのある言い方をするな。茶々様のことだったら、茶々様ご自身が東軍に降っても良いと仰られたのだ」


「よもや本心だと思ってるわけじゃあるまい? 茶々様をお前の思うようにはさせないぞ」


「じゃあ、どうしたら良い?  四万近い人間が城を枕に討ち死か? その方が良いと言うのか?」


 三成は顔を手で覆った。


 こんな時に親友に責められるなんて冗談じゃない。

 こんな時くらい味方してほしい。

 単純に頭にきた。


「くだらんロマンスにうつつを抜かして、打つ手を見誤るほどバカバカしいことはない。

 刑部、色ボケもたいがいにしろよ」


「お前に宣戦布告に来た。この酒を飲めよ。

 そして酌み交わすのは今生で最後。別れの盃だ」


「イヤだね。くだらない」


「いいから飲め。お前とは今夜からは敵同士。どちらが勝っても恨みっこはなしだ」


 三成は大谷に掴まれた腕を振りほどく。


「アホか! 色恋で仲違いしてどうする? そんなくだらない男だったのか?! 違うだろ」


 大谷に正面から向き合って、三成は頭を下げた。


「お前の力が必要なのだ。刑部。どうしたってお前の助力がなきゃ、俺はどうにもやっていけないよ。

 これからも助けてくれ。ワガママはほどほどにしてくれ。頼むよ」


 大谷は冷めた目で三成を見下ろす。


「俺は、ずっと病だったからお前を助けてこられたのだ。

 健康になった今、俺には俺の欲がある。考えてみろ。俺は随分お前に尽くした。

 これからは敵同士。思う存分やり合おうじゃないか」


「ちょ、ちょっと本気なのか? これで縁を切るってことか? こんなことで?」


 大谷はいきなり三成の首を掴んだ。


 床に抑えつけ、三成の口に杯の酒を無理矢理流し込んだ。


 その場で勢い良く盃を叩き割る。


 三成は咽て盛大に咳き込んだ。


「そうだ。こんなことでだ。邪魔したな」


 大谷は苦しむ三成にすぐに背を向け、部屋を出ていこうとする。


 立ち止まり扉を開けて振り返る。


「それから、今度は負けるつもりはない」


「もうっ意味が……全っ然分からない!」


 勢い良く扉が閉められると、三成は涙目で布団を頭から被った。

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