第35話 愛のはずない!
「内記。これ、ありがとね」
洗濯してこざっぱりとした内記の着物をたたみながら、茶々は礼を言った。
茶々の元へは大垣城にあった色とりどりの女物の着物が集まっていた。
「なんですか? いきなり」
「たぶん私は近々東軍に行くと思うの」
内記は床を蹴って、茶々の部屋を出ていこうとする。
「待って!」
茶々は内記の腕に縋った。
内記は振りほどいて茶々の頭上から話す。
「何を考えてるんですか? みんな貴女を護ろうと今、一生懸命になってるのに!」
「一生懸命だから……一生懸命だからこそ、私は出ていくべきなの」
茶々は立っている内記をいつになく真剣な表情で見つめる。
「私だって、みんなを護りたい。内記や頼継を護りたいよ……もう誰かが死んでいくのが嫌なの」
秀頼の手のひらの感触を思い出す。
暖かく優しい、かけがえのないものの感触――
「はじめは。内府の元へ行くなんて、冗談じゃないって思った。
けど、私は前にも同じような過ちをしたから、これじゃただの繰り返しだと思ったの。
今回は間違いにようやく気が付けたの!」
いつ間違えたのか、どのように間違えたのか、常に自問自答を繰り返していた。
城内の男たちの戦支度を見ながら、茶々は日を追うごとにゾワゾワと鳥肌が立つのを感じた。
心の中は恐怖で震えていた。
自分に降り注ぐ期待に満ちた視線。
憧れと恍惚が織り交ざった熱のこもった視線。
まるっきり同じ情景を以前、大坂で見たことがあった。
「治部様から言われたのですか?」
「治部? いいえ、そうじゃない。これは私の意志」
――あの人は何て言うだろう。
跪いて行かないでくれと懇願するだろうか。
あの不機嫌な顔が打って変わって必死になる様子をそれはそれで見てみたい。
「治部様の提案で行くのでしたら、僕は彼を殺します。そうしたら貴女は行かなくて済む」
「治部の意志とは関係ない」
相談すらしていない。茶々の心変わりである。
「関係ないけど、私も彼とは一度きちんと話してみる。
私もちゃんと気持ちを整理したい。内記、心配してくれてありがとう」
茶々は内記の背中をポンポンと叩く。
「相手の返答によっては、いつでも殺っちゃいますので、安心なさってください」
内記の背中を大げさに擦りながら茶々は笑った。
「フフフ、それは安心できないけどね」
夜になっても家中の者たちに事細かな指示を出している小柄な背中を見つけた。
大一大万大吉の印が背中の丁度真ん中にある。
「治部……ちょっといい?」
振り返る男の瞳が少し揺れている。
普段の強い眼差しとの違いに茶々は戸惑った。
「今夜は月が綺麗ですね」
三成はうっかりそんなことを口走って、慌ててはたと振り返る。
茶々は何気ない様子で軽く微笑んでいる。
「何か……ありましたか?」
「うーん、そうね。私、怖くなったの」
二人は二の丸中庭に急ごしらえしてあるベンチに腰をかけた。
二人の吐く息が白い。
「治部もそうかは分からないけど、私はここへ飛ばされた時、その時までの記憶だけではなく、大坂が落ちた時の記憶も持ってきたの」
「俺もです。俺なんか、六条河原の記憶ありますよ」
三成は眉間にシワが寄せる。
思い出すだに白湯すら飲ませてくれなかった事実に腹が立つ。
「そう? それはお気の毒」
茶々は星空を見上げる。
「今、まさに大坂冬の陣が行われる前夜って感じ」
「被ってる人も多いですもんね。土佐守とか掃部頭とか。吉治もか……」
「うん。それもあるんだけど、みんなが死に場所を求めてる感じもね。とても似てるの」
茶々の大きな黒目が星空を映してキラキラに輝いている。
「私はどこでどう間違えたのか、心の中でいつも反芻してる。
私が間違えたから、多くの人が命を落とした。私を想ってくれた大勢の人たちが。だから」
「貴女は一つも間違えてない」
三成は断言した。
「貴女は何も悪くない。そうでしょ? 貴女のせいじゃない。悪いのは全て徳川家康じゃないですか」
三成は、横にいる茶々の目を見て真剣に話す。
「本当にそう思う? 歴史上、散々すごーい悪女だって言われてるのに?」
茶々は明るくケラケラ笑った。
「後世のヤツらは無責任なこと言いますよ。大体、その場にいなかったヤツがデカい口たたいて、未来を知ってるからって偉そうに批評して。
貴女は何も間違えてない。俺は嘘がヘタなんですよ。こんなこと、おべっかで言ってるんだったら貴女にだってすぐに分かるはずだ」
手が冷えたのか、白い息を吹きかける。茶々も指に息を吹きかけた。
「間違えてもないもの、反省できないでしょ。家康がクソジジイなだけなんだから。
ま、そんなこといちいち気に病んでても身が持たないですよ。元気出してください」
三成の不器用な飾らない言葉に茶々はロマンも何も感じない。
が、少なくとも元気付けようとはしてくれているらしい。
「私、降嫁を引き受けようと思ってるの」
「え?」
「だって。このまま戦に突入したら本当に勝てるの?」
三成は分かりやすく宙に目を泳がせた。
「えっと……勝てます」
「嘘……本当にヘタなのね」
茶々はある意味、感心する。
「治部。私、東軍に行くべきなんじゃないの? みんなが助かるんだったら、やっぱりそうすべきじゃないかって」
三成は声を発せなかった。
今、何か発したら全てが嘘になってしまう。
「貴方はどう思う?」
今どの言葉を選択してもどうやったって嘘になる。
「なんで、黙ってるの?」
「それは……」 行く必要は無い。
行かなくて良い、と言ってやりたい。
難しいことではないはずだ。
今度の戦に勝てば良い。
三成の肩に、西軍39,214人の命が乗っていることを無視すれば良い。
「それは……茶々様のご決断通りにすべきかと」
茶々は瞳をより大きく見開く。
それは信じられないものを見る目で、同時に深く傷ついたような目で。三成の心を深く抉った。
「私……いつでも……貴方のことをなぜか勘違いしてしまうの」
スルスルと月が落ちるように、
茶々は美しい瞳を曇らせた。
白い顔はいつもの豊かな表情を失い、突然能面のような顔付きになる。
「本当は、本当の貴方は……本心では私のことをって……」
茶々の唇は震えている。
三成は茶々の両の瞳にみるみる涙が溜まるのを見た。
溢れないように、茶々は上を向く。
「おかしいわね。そんなはずは無いのに……なぜ勘違いをしてしまうのかしら」
三成は奥歯を噛み締めた。
正直に言ってしまえば良い――誰も幸せにならなくったって良い。
世界は別に続かなくったって良い。
別に誰が死のうが、二人が良ければそれで良い。二人で死ねたらそれで良い。
この場で正直に、臆面もなくそう言えれば良い。 三成は結局全ての言葉を飲み込んだ。
ただ、去って行こうとする茶々の手を思わず引こうとしてしまう。
「触らないで!!」
茶々はパシンッと三成の手を打った。
「触らないで。貴方は二度と私に手を触れないで」
燭台を片手に持った村田のすぐ脇を茶々が走ってすり抜けて行った。
残り香がふわりと鼻をくすぐる。
燭台の炎に照らされた村田の視線を痛いほど感じる。
村田のことだから、気を利かせて燭台を持ってきたのだろう。
「盗み聞きか? 趣味が悪いぞ」
村田が追い打ちをかける。
「よく、意気地なしって言われません?」
「うるさいな! わかってるよ! ほっといてくれよ!」
思わず、村田に向かって怒鳴ってしまった。
三成は頭を抱える。
「すまない……つい」
感情を当たり散らすようなことは避けたかったのに。
「間違ってないとは思いますよ」
村田は茶々の後ろ姿を見送る。
「貴方は間違えなかった。でも。人間、時には少し間違えた方が良い時も、あるかと」
村田な三成に燭台を渡そうとする。
「追いかけますか? 間に合いますよ。今なら」
「いや」
三成はいつのまにか長めに伸びた髪を掻き毟る。
「止めておこう。村田。行ってやってくれ。危ないから代わりに見守ってやってくれ」




