第32話 ここでたたなきゃ男じゃない!
疲れ果てた執務室の四人の男は、しばらく無言で過ごした。
まんじりと夜が明けていき、真っ暗だった執務室に微かな朝の光が差す。
正家が口を開いた。
「私は……今は和議を結ぶべきかと思う」
「茶々様を渡すってこと?」
秀家の問いに正家は頷く。
「会ってないので知らないが、茶々様が本当に存在するとしたら、茶々様はこの世で唯一の女なのだから東軍でも大事にされるだろう。
男じゃないから殺されることもないし」
「殺されるより、酷い目に遭うかも……」
秀家が掠れた声で呟く。
「そこは、東軍の秩序を信じるしかない。見てきた限りではそんな野蛮な軍隊とは思わないし」
「我らを皆殺しにする、と脅すような軍隊だぞ」
秀家は執務室のテーブルに頬杖をついた。
「信用できるはずがない」
三成は刀を抱いたまま床に座って、壁に寄りかかって考えていた。
この半月ちょっとという短期間ではあったが、厳重に警戒し、信頼するメンバーで一時も怠ることなく茶々様をお護りしていたはず。
ところが蓋を開けてみたら、東軍に情報が筒抜けだった。
間抜けな話である。
間諜の類いはこちら側に数多入っているとはいえ、中枢部に喰い込んでいるのだから、黒田長政が会談で話したという『西軍は烏合の衆』というような言説は悔しいが当たってるのだろう。
戦になれば勝てる見込みはゼロに等しい。
三成は壁にコツンと後頭部を打ち付けた。
そこへノックして入ってきたのは、大谷刑部である。
「この度の件は、俺が悪かったのです……俺が茶々様を発見して……コイツに茶々様の件を内緒にするように頼んだのは俺で、結果みなさんを傷つけた。申し訳ない」
「いや……最終的には俺の判断だ」
三成は暗がりに浮かぶ大谷の顔を見た。
目が光っている。
大谷は三成のすぐ隣の床に座る。
「そういうのはもうどっちだっていいよ。治部はこれから、どうしたいの?」
正家が問いかける。
「俺は……」
渡したくない。
渡さなければ、全員が死ぬかもしれない。
少なくとも今執務室で話し合っているメンバーは全員死ぬだろう。
でも渡したくない。
冬の弱々しい朝日が執務室を照らしていった。
外から、ガヤガヤと男たちのざわめきが聴こえる。
「何の騒ぎだ?」
正家が執務室の扉を開けた。
一層、城内のざわめきが響いて聴こえてくる。
五人の男たちは急いで執務室を飛び出し、大広間を抜けた。
廊下の奥から聴こえるざわめきが大きさを増し、城内の男たちが口々に何かを叫んでいるのが聴こえた。
「茶々様!」
「あれは、茶々様だ!」
三成は廊下の奥から現れた姿を見て、息を飲んだ。
伊吹山の洞窟で彼女を見つけた時、あまりの美しさに目が眩んだことを思い出す。
茶々は、美しく化粧をし、あの時の真っ赤な打掛を華麗に捌きながら、廊下を曲がってこちら側に歩いてきた。
練り歩くように、ゆったりと気品のある歩みだった。
その後ろを城内の男どもが騒ぎながら着いてくる。
「あら。みなさま、お揃いで。ごきげんよう!」
茶々様は殊更明るい声で言った。
朝日が茶々の顔に降り注ぎ柔らかく光っている。
彼女の存在を一層神々しく際立たせる。
「治部、刑部、何暗い顔してんのよ!」
茶々は吹き出して、大笑いする。
「この世の終わりじゃあるまいし!」
茶々は、まずは長宗我部盛親に右手を差し伸べる。
「お久しぶりね!」
「……」
盛親は慌てて手の汗を袴で拭ってから、両の手で茶々の手のひらを包む。
「中納言、お変わりなく」
「あ、ありがたきお言葉、恐悦至極に存じます」
秀家はその場で跪き、茶々の右手をうやうやしく握った。
「大蔵、元気?」
「は、はい……なんとか」
正家は茶々の顔を見て呆けたような様子で手を握る。
茶々は三成と大谷に意味ありげな視線を投げかけ、背を向けた。
「ではひとつ、みなさんにお尋ねしたいのだけど……」
茶々は振り返って、まるでイタズラっ子のようにはにかんだ。
「この城には私のために死ねる男はどのくらいいるの?」
「死にます!!!」
いきなりの大音量にびっくりして、三成は声を発した盛親を見る。
「死にます! 喜んで死にます! 私のファム・ファタール」
さっきまで、茶々は東軍に行ったほうが云々とか無責任に言っていたのに。
「私も死にます。この秀家、命に代えても貴女様をお護りいたします! 東軍など我が槍のサビにしてくれますわ!」
なんだかんだ言って一番ビビりまくる性格のくせに。
「まあ……この大蔵も死ぬ用意ぐらい、いつでもあります。武人として普段からの心がけが違いますから」
茶々は東軍に行かせろ、みたいな物わかりの良い風の冷めた言説だったのに。
「貴方は?」
「もちろん。仰せのままに」
大谷は白い歯を見せて笑った。
その横顔は、ただただ幸せそうではある。
「貴方は?」
茶々は最後に三成に前に来た。
覗き込む目に吸い込まれそうになる。
「決まってるでしょ」
茶々に対して、いつも怖い顔をしてしまうのは自分でも気が付かなかった本心を悟られたくなかったからなのかもしれない。
「貴女のために死ねるに決まってるでしょうが。俺を誰だと思ってるのです?」
城外の男たちの勝鬨が聴こえる。
茶々が身を乗り出して、手を振ってそれに応える。
歓声が幾度も波のように上がった。
男たちは高揚し口々に茶々の名を唱える。
幟が舞い、花吹雪に見立てた落ち葉が舞った。
大勢の男たちが手を振り、声を上げた。
茶々を一目見ようと、ある者は窓から身を乗り出し、ある者は収まりきらない大広間に詰めかける。
どこからか太鼓や笛の音が聴こえる。
茶々を愉しませようとしているのだろう。
三成はその夢のような宴を不思議な思いで見つめた。
誰しもが死に向かっている。
その中で、舞い、歌い、笑い合い、人が人を想い合っている。
「殿……」
いつの間にか、左近が隣にいた。
「ほっぺた、もう治りましたね」
三成は自分の右頬を触った。
すっかり熱感も腫れも引いている。
「ああ……気が付かなかった」
三成は大広間の柱にもたれ掛かって、その喧騒の夢の中にしばらく身を置いた。




