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第28話 危機感がない!

「ちょっと!」


 茶々の部屋の前で警備をしている木下頼継が振り向く。


 扉を細く開けて、白い手が手招きしている。


 頼継は飛び上がって、背で扉を隠した。


「ひ、姫様、出ちゃいけません」


 慌てて茶々に囁く。


「出ない。出ない。いいから、こっち早く入って!」


 頼継は茶々の部屋に身を滑り込ませるようにして入った。

 御香の良い匂いがする。


「姫様、流石にこれはマズイでありますぞ!」


「良いから、良いから。それ脱いで」


 茶々は頼継の下半身を指さす。


「なんと、積極的な……」


 頼継は袴の紐を解こうとする。


「そっちじゃない! 足袋! 足袋に穴開いてる!」


 頼継は茶々が頼継の足袋の親指を縫っている間、体育座りで茶々の横顔を盗み見ていた。


 器用に動く指が止まると、形の良い赤い唇に糸を運んで噛む。


「できた!」


 渡された足袋は、親指に大きく開いていた穴がシッカリと塞がれ、均等な縫い目が綺麗に並んでいる。


「ありがとうございます! こりゃすげぇ!」


「初日から気になってたから。良かった。お役に立てて」


「めちゃくちゃ上手っすね!」


「母に厳しく仕込まれたからね」


 茶々の母・お市の方は、織田信長の妹である。


 茶々の実父・浅井長政の小谷城落城では茶々の妹たち二人と共に落ち延びたものの、再嫁先の柴田勝家の北ノ城では城と運命を共にした。


 母・お市が、戦の度に男たちの命を護りたい一心で鎖帷子《くさりかたびら》を縫っていた姿を思い出す。


 一針一針、愛しい人の無事を祈って――


「お父さんって、厳しい人?」


 茶々は頼継の父・大谷刑部のことを尋ねた。


「まあ、礼儀作法とかには。俺にはあんまり教育のイミ無かったみたいだけどね」


 頼継は自嘲気味に笑う。


「でも、姫様が知ってるか分からないけどスゴイんだ。

 病気になる前まではあの太閤殿下に『刑部に百万の兵を与えて指揮させてみたい!』って言われたんだ。

 こんなことはあの叔父貴だって言われたことないんだから!」


 いつくらいからだろうか。


 大谷刑部は、大坂城の秀吉にも茶々にもほとんど姿を見せなくなっていた。


 たまに見かけても、白い大きな頭巾をすっぽりと被り、杖をつきながら弱々しく歩いてる後ろ姿であった。


「お父さんを恨んだりすること、ないの?」


「なぜ?」


「だって、お父さんたちが始めた戦争に巻き込まれたのだから……」


「全然! 戦う理由があったんだから。戦うっしょ、そりゃ」


 頼継は心の底から父・刑部を尊敬しているのだな。


 果たして、秀頼はどうであったろうか。


 この母をどんな思いで――


「『叔父貴』って治部のこと?」


「そうそう。叔父貴はねぇ、面白いオッサンってとこかな。

 何でも知ってるし。珍しい舶来のオモチャとか、お菓子とか。いろいろくれて、めちゃくちゃ楽しい人」


 頼継が探るような目になる。


「叔父貴と、イイ仲だったの?」


「まさか! そんなわけないでしょ」

 

 頼継は床に肘を付いて、茶々の顔を覗き込む。


「本当に、何もないの。噂はウソばっかり。お互い有名人だったからね。相手も迷惑してたと思うよ」


「叔父貴の方は、まんざらでも無かったんじゃない?」


「嘘ー!」


 茶々はケラケラ笑った。


「姫様のお母さんってどんな人だったの?」


「お母さん……」


 戦国一の美女と呼ばれ、ドラマチックな運命を辿った母。

 だが、茶々にとって母は。


「そうね……愛情深くて、優しくて、器用で。

 家臣にも侍女にも平等に接していて。 とても綺麗で。

 家族思いで、子どもが好きで、冗談が好きで、踊りが……そう、踊りが上手だった。

 城内でみんなで踊ったりして、愉快な人だった。

 何も、人と変わったところはないけど……私は、大好きだった」


「じゃあ、姫様はお母さん似だ」


「……」


「いいなー! お母さん、会いたいなー!」


 頼継がゴロンと仰向けに転がって、天井を見てくれたから、茶々の瞳から一粒の涙が溢れたところを見られずに済んだ。


 茶々は急いで、目尻をぬぐう。


「そ、そんなに言うほど似てないのだけどねっ」


 いきなり扉が開いた。


「おい! 何してる! マズイぞ」


 戸田内記が素早く扉を閉めて、険しい表情で二人を見る。


「あ! 貴方も脱いで!」


 茶々が内記の足元を指さす。


「はぁ?」


「足袋! 貴方のも穴開いてる!」


 内記は二人に背を向けて、茶々のために八十島が用意した源氏物語を読んでいる。


「原文、めちゃくちゃ難しいよね〜」


 頼継が内記の背中に声を掛けた。


「口語訳、付けた方が良さそう……」


 内記が背中を向けたままボソボソ応える。


「できた!」


「ありがとうございます。僕たちはこれにて失礼します」


 足袋を乱暴に受け取り、足早に去ろうとする内記に茶々は声を掛ける。


「今私が着ている着物、貴方のでしょう? 貸してくれてありがとう」


「いえ……別に」


「ちょっと姫様には大きいんじゃない?」


 頼継が袖を触りながら言う。


「うん、でも調整してるから大丈夫!」


 内記が立ったまま、茶々を上からじっくり見つめる。


「わ、私、ヒマだからさぁ。何か繕いものとかあったら言ってよ。

 何もすることないし、お城からも出られないしさぁ……」


「ここから出たりなんかしたら! 東軍に掴まってどんな酷い目に遭うか分からないのですよ!」


「内記、声がでかい」


 頼継が声を抑えて注意する。


 内記が握りしめた拳は細かく震えている。


「貴女は危機感がなさすぎる! 黙ってちゃんと閉じ籠もっていてください。みんなが迷惑するんだ!」


「そんな言い方……姫様に失礼だぞ」


 内記は、バタンと音を立てて扉を閉めた。


「姫様、すみません……普段は気のいいヤツで、あんな感じじゃないんですが」


 頼継が頭を掻きながら友達の弁解をする。


「ううん、いいの。大丈夫……繕いもの、本当にやるから言ってね。私もみんなの役に立ちたいの」


 内記の閉めた扉の音が、冷たくいつまでも茶々の耳に残った。

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