第26話 そんなタマじゃない!
「殿……起きてください! 殿!」
「う〜ん、あと5分」
左近は主君の敷布団を引っ張り主君を床に転がした。
「だはっ」
「左近に卯の刻までにちゃんと起こしてと言ったのは殿ですよ」
「……そうであった」
二日酔いで頭がガンガンする。
しかし5時間ほど寝られたのは大きい。
「……何か、変な寝言を言ってなかったか?」
「左近大好き! いつもありがとうって言ってました」
「……」
雨の音が城の伝いを打った。
昨晩のような激しさはないが、シトシトと降り続けている。
三成と左近が鼻から下を白い布で覆い、向かった先は二の丸南端の部屋である。
ノックしても返事が無いので、扉を勢い良く開けると、フンドシ姿で大の字に寝る岩佐又兵衛の姿が目に入った。
「又兵衛、風邪引くぞ」
三成は床に散らばった何枚もの素描を手に取る。
☆新解釈 ロミオとジュリエット☆ 主演 与田真佐人・高坂惣次郎(新人)
武者絵や美人画の中に例の芝居小屋のチラシがあった。
ジュリエットに扮した惣次郎の顔が大写しになっている。
「起きろ、引っ越しだ」
「何なの? 朝っぱらから……治部さんたち不法侵入!」
枕を抱いてなかなか起きようとしない又兵衛を左近が無理矢理立たせる。
「又兵衛さん、すみません……緊急事態なんです」
「緊急事態って!? 一体全体、この城にプライバシーは無いわけ?」
「おっしゃる通り。でも流行り病が出たのです」
「流行り……病?」
寝惚け眼の又兵衛が目を瞬かせる。
「だから、この廊下に面した部屋は全て消毒してここの住人は丸ごと三の丸に移ってもらうことにしたんです」
又兵衛は左近と三成のマスク姿を交互に見る。
「三の丸の方が城下町に出るのも近いし、おぬしにとって都合良いであろう」
三成が壁に寄りかかりながら言った。
「い、いきなり言われても……」
又兵衛ななおも逡巡している。
「その病とやらは、命を落とすものなのか?」
「命には全く影響しませんが……」
左近が急に真剣な目になって又兵衛を真っすぐ見つめる。
「タマが猛烈に痒くなるんです」
「タ、タマが……」
「はい」
左近によるとその病は命には別状ないものの、三日三晩タマが異常に痒くなり一睡もできない。
特効薬があるものの臭いがかなりキツイとのことだった。
又兵衛は急に寒くなったのか、身震いした。
「左様なことであれば、仕方がない。移ります」
「忝ない! あ、それとここの廊下はその流行り病の病棟になるのでなるべく近づかないほうが良いですよ」
絵書き道具を抱えてフラフラ移動する又兵衛の後ろ姿を目で追いつつ、三成は隣の左近に言った。
「天性の嘘つきだな」
「お褒めに預かり光栄です」
いかに荒唐無稽な話でも左近がもっともらしく話せば、なんとなくの説得力を持つことを三成は素直に羨ましいと思う。
自分は到底敵わない。
箒で床の埃を掃き、ハタキでだいたい部屋を整えたら人目に付かないように茶々を移動させる。
又兵衛に与えていた部屋は城の南端どん詰まりで目立ちにくく、城内の使用可能なトイレに一番近かった。
そこを茶々専用にする。
念の為、同じ廊下の家臣たちは午前中のうちにみな移動させてある。
昼メシで大広間にみなが集まる時間を狙って、茶々は勘兵衛と五助に挟まれながら廊下を移動した。
口元のマスクによって目の大きさが際立っている。
「こちらです」
茶々は無言で頷いて部屋に入り、扉をサッと閉める。
「後ほど、内側から鍵を取り付けます」
五助が三成に報告し、勘兵衛と五助は早足で去っていった。
「叔父貴〜久しぶりっす!」
左近が雨を溜めるための樽の設置作業に戻ると、入れ替わりに戸田内記と木下頼継が仲良く連れ立ってやって来た。
三成を叔父貴と呼び、軽く手を挙げて挨拶をしたのは木下頼継。
大谷家の次男坊である。
長男の吉治は、父の大谷刑部に似て何事においてもスマートで、見た目も長い手足の良い男だ。 一方でこの次男坊は、その逆を行く三枚目。
但し人誑しの才があるのか、小さい頃から愛嬌があり、三成の周りをウロウロしては「叔父貴、叔父貴」と懐いてくる。
三成は内心この次男坊が大のお気に入りで、こんなふざけた呼び方も許してしまっていた。
「いいか。二人は交代でこの部屋の前で姫様を警護する。
姫様がお花摘みの場合はトイレまで付き添い、トイレの前で誰か近づかないか監視する。
お戻りになったら周囲に気を配り、再び……」
「こちらの部屋がお姫様の……?」
頼継は首を伸ばして茶々の居る扉を見つめる。
反対に戸田内記は興味なさそうな顔で自身の寝グセを気にしている。
「そうだ。中にいらっしゃる」
「ふぅん……」
三成は頼継のすぐ隣に立ってふぐりを掴んだ。
「妙な気、起こすんじゃねぇぞ!」
「あったりまえでしょうが! セクハラ反対!」
外の騒ぎに気が付いたのか、茶々が扉を少し開けて手だけで三成を招く。
「ちゃんと、見張っといてね! あ、それと八十島が来たらいい加減寝ぼけてねぇで日用品をチャッチャと準備するように伝えてくれ!」
三成は二人に乱暴に指示を出して、茶々の部屋に入った。
「あんな、若者二人にトイレの度に声をかけなきゃいけないわけ?」
茶々は開口一番、抗議である。
「いや……まぁ、そうですね。もうちょっと、小汚いのが居るんで、そちらを呼んできましょうか? 八十島にだったら遠慮なく……」
茶々が扉を少し開けて隙間から二人を見る。
手鏡で襟足の寝グセを気にしている内記の姿が見えた。
見た目だけならギリシャ彫刻の美青年のような佇まいである。
「まあ……しょうがない。いいけど」
そう呟いて扉を閉める。
「それより、修理って向こう側なの?」
大野修理(治長)は、修理の母が茶々の乳母だったため、いわば茶々の幼馴染みである。
大坂の折には茶々の側にかしずいて大坂方の交渉を一手に引き受けていた。
関ヶ原では東軍、福島正則隊の一員である。
「そうですよ。あれ? 知らなかった?」
「何か、よく覚えてないこともあって……てか、修理ったら家康に味方したりして何やってるのよ」
確かに――三成にとって大野治長は小賢しい印象しかなかったのであまり彼に対して特別馳せる思いはなかったが、今まさに、あちら側(東軍)では大層肩身の狭い人間の一人だろう。
「変なことはよく覚えてるのだけど……確か治部とはめちゃくちゃケンカしたことあったよねぇ?」
「え?」
秀吉が開催した醍醐の花見の際、茶々と京極竜子(松の丸)が北政所の次の盃をどちらが受けるかでモメた。
くだらない戦いだと思って松の丸より年若の茶々を怒鳴りつけた記憶は、確かにある。
「そうでしたっけ? そんなことありましたっけ?」
一旦、とぼけてみる。
「あったよう! 引くほど怒られたもん! 覚えてないわけないでしょ!」
当時はくだらないと思ったが、生まれも育ちも違うのに、美しいというだけで集められた女性たちの中で様々な事情があったのは理解できる。
「……その節は……すみませんでした」
茶々はプハーと吹き出す。
「いやいや、別に謝って欲しいわけじゃないから。
でも治部とはけっこう思い出があるなって思っただけ。私も若かったしね、若気の至りよ」
三成は、懐かしかったのか少し涙目になった茶々の横顔を見つめる。
醍醐の花見から、それほど刻が経っているわけではないのに、遠い昔のように思える。
「今でもお若いですよ」
「は! そうだった!」
茶々はコロコロ笑った。
三成が茶々の部屋を出ようと扉を開けると、頼継の顔のドアップがあった。
「おおう! びっくりした。何してんだよ?」
「……」
頼継を押しのけて、背中で扉を閉める。
「……スケベな事態になってないでしょうね?」
「はぁ? 何を考えてるんだ? お前は!」
いつになく真剣な眼差しの頼継に、三成は呆れた。




