第25話 奇跡じゃない!
大垣城に一行が戻った時、通夜は終わり、既に葬式も終わっていた。
二の丸に泥のようになりながら這いつくばって帰ってきた三成に恵瓊が声を掛ける。
「よっ! どこほっつき歩いてたんだか? おぬしも飲め! 飲んで飲んで飲みまくってこの世の憂さを晴らせ!!」
「酒臭! ちょ、ちょっと何時間飲んでたんですか?」
結局、飯田源吾の葬式は酒好きによる酒好きのための大宴会と化していた。
「固いこと言うなよ〜こんな機会でもなきゃ、みんなもストレス解消できないだろうが!」
三成は無理やり肩を組まれたが、今は振りほどく力もない。
「恵瓊殿にストレスがあるとは思えないけど……」
恵瓊がガハハと豪快に笑った。
そして急に覚めたようなすわった目になり問いかける。
「治部。何かあったな?」
「別に何も」
「わしの目はごまかせんぞ」
帰り道で、大谷と決め事をした。
茶々の存在をできるだけ秘匿する―― 茶々の存在を知るのは、できるだけ少ない方が良い。
大谷が提案した。
三成、大谷、左近、勘兵衛、五助の5名……但し、お世話係が必要だろうから、戸田内記と関ヶ原まで連れて来ていた大谷の次男坊・木下頼継、それから八十島くらいか。
合計8名。
そのように取り決めたのだ。
「何もありませんよ」
「嘘を付くな! 相変わらず嘘がヘタだなぁ、おぬしは。そんなだからクロカン(黒田官兵衛)の倅に良いようにやられて」
「恵瓊殿、ちと酔い過ぎですよ」
酔っぱらってくだを巻く恵瓊の目が、三成の背後……ある一点で釘付けになった。
「な、なんだ? あの小姓の腰つきは?」
「はぁ? 腰つき?」
三成は振り返って、大谷に付き添われながら二の丸の二階への階段を登る茶々の姿を見た。
男装の後ろ姿である。
「ありゃ、何だ……こう、妙に色っぽいというか……」
「飲みましょう! 朝まで! 俺もちょうど飲みたかったんですよ! さぁさぁ」
三成は恵瓊の首根っこを掴んで無理やり彼の視界から茶々をどかした。
邪魔くさそうに振り払い恵瓊はなおも茶々の姿を追う。
「いいな……どこの若衆だ? おぬし、知ってるか?」
「いや、何のことです? それより積もる話をしましょう。これから作戦会議もしましょう」
「じゃかあしい! あんなの見たことないぞ。
ははぁ、おぬしわしに今まで隠しておったな」
「だから、何のことやらって。男ですよ! ありゃ男です!」
恵瓊はイタズラっぽく微笑む。
「だって、わし。こっちもイケるもん」
バチーーン!
三成は恵瓊の坊主頭を思い切り引っ叩いてしまった。
「うう……ヒドイ……」
「も、申し訳ありません。つい手が出ちゃって。あの、飲み直しましょう! あんなの忘れて! ね! 恵瓊殿! 飲も!」
◇
「大丈夫か?」
「うーん、微妙……」
元々、そうは酒に強くない三成だが、恵瓊に掴まって散々飲まされてしまった。
大谷が心配そうに顔を覗き込む。
「はぁぁ……隠し通せるかなぁ」
「そうするしかあるまい。ほい、水」
三成は礼を言って大谷の竹筒から水を飲む。
もう深夜になっている。
「お姫様は……?」
「眠れないようだ」
無理もない。
まだ関ヶ原の趨勢も知らない大坂城の一間から、寒い洞窟へいきなり飛ばされてしまったのだ。
その上、最愛の秀頼も居ない世界。
絶望の底であろう。
大谷と五助が部屋を開けて、取り敢えず茶々を入れた。
なるべく綺麗な布団を用意し、横になって休んでもらおうと考えた。
三成は扉をノックした。
「少し、よろしいですか?」
「ええ」
中からすぐに返事が帰ってきた。
やはり眠れないのだろう。
扉を開けると、茶々はまだ小姓姿で布団にも入っていなかった。
三成と大谷が部屋に入る。
「眠れないとは思いますが、どうかなるべくお休みに……」
「酒臭い」
茶々は迷惑そうに三成に言った。
「そなた、めちゃくちゃ酒臭い!」
「す、すみません」
まぁいいけど、と言ってツンと外を向く。
「さっき、秀頼のこと無理矢理聞いてゴメン。配慮が足りなかったよね」
「え?」
三成には話の先が見えない。
「だって、ここに飛ばされちゃった者たちはみな、大切な人を一様に失ってるのに……私だけ特別なわけじゃないもんね」
「茶々様に配慮がなかったなんて思いません! 絶対に。親が子どもを気にかけるのは当然です」
三成は慌てて弁明する。
大谷も茶々を見ながら深く頷いた。
「そう? それならば良かった」
茶々は障子を開けて、外気に触れた。
雲ひとつない空に月が明るい。
「なぜか……分からないけれどほっとしている自分もいるの。
あの恐ろしく巨大な大坂城から、秀吉様の創り上げた世界から、何か解放されたようなそんな気がして……おかしいのだけど。なんとなく、ね」
茶々は立ち上がり、欄干に白魚のような手を置き外を見渡す。
「ここにきて、安心している自分もいる。
何も分からない奇妙な世界なのに。おかしいわよね」
「そうですね。俺も安心してます。実際。
こんな変な世の中なのに。自分でもおかしくなります」
大谷は茶々の後ろ姿を見ながら自嘲気味に応えた。
「確かに、若返ったり、記憶があったりなかったり、病が急に治ったり、雨が一滴も降らなかったり……妙なことばかりなのだが」
三成は腕を組みながら考えた。
不安が無いと言ったら嘘になるが、茶々の言う解放感と同じような思いは感じている。
「雨……降らなくて大丈夫なの?」
「いや、全然降らなきゃダメですよ。ヤバいです」
茶々は思い切り両手を広げて、天を仰いだ。
「雨ーーー! 降れーーー!」
「はぁ? ちょ、ちょっと声がデカい」
女の声が城内に響き渡れば、すぐにバレる。
三成は慌てて制止した。
茶々は振り返って、イタズラを見つかった子どものように笑った。
白い歯がこぼれる。
「雨――降って――お願い――」
今度は小声で囁く。 月は冴え冴えしていて、一向に曇る気配はない。
「なんてね、雨乞いしてみた。そうはうまくいかないか」
茶々が障子を閉めようとした時だった。
サアアアア――― 風に乗った雨の音が、欄干を打った。
静かな雨音はだんだんと大きく、激しくなっていった。
「嘘……」
茶々は信じられない様子で天を仰ぐ。
激しい雨が容赦無く、茶々の顔を叩いた。
「雨が降った!」
三成も大谷も呆然とその様子を見ている。
「嘘みたい……今まで、今まで私の思うようになったことなんて、一度もなかったのに。
ただの一度だって、私の願いなんて叶ったことなかったのに……!」
三成は呆然と、びしょ濡れの茶々の姿に見入っていた。
風に乗って雨が吹き込み、三成の髪や顔も濡らした。
大谷も茶々を見入っていたが、途中から隣の友の顔、そして茶々と交互に視線を移した。
「うわっ!」
突風が吹き込み、とうとう大谷も雨に濡れた。
肩のあたりがびしょ濡れになる。茶々は彼を見てケラケラと笑った。
無垢な少女のような笑顔だった。
雨は容赦無く、茶々の頭上に降り続けていた。
【淀殿】 淀君とも。豊臣秀吉の側室、秀頼の母。小谷城主浅井長政の娘、母は織田信長の妹お市の方。名は茶々。 1573年(天正元)小谷落城の際、母妹とともに城を出、織田家の庇護をうける。82年、柴田勝家と再婚した母に従い、越前国北庄へ移る。83年の北庄落城の際、妹2人(のち京極高次の室常高院、のち徳川秀忠の室崇源院)と城を出て秀吉の庇護をうける。 のち山城国淀城に移り、秀吉の側室となる。89年鶴松を生むが夭折、93年(文禄2)秀頼を生む。秀吉の死後は,秀頼の後見として政治に関与し、徳川家康と対立。大坂の陣で徳川氏に敗れ、1615年(元和元)秀頼とともに大坂城で自害。




