第24話 夢じゃない!
三成は山々の青さや一部紅葉した木々のパノラマ風景を前に深呼吸した。
中腹よりも下といえども、標高1,300メートルを越える山はこのあたりには無く、見下ろした外界はより一層美しい。
「これは夢? 一体何なのよ」
振り返った先に茶々である。
この世の贅を尽くした打掛は鮮やかな赤で、金襴緞子の細帯は朝日に照らされて輝いている。
かつて天下人と呼ばれた男からの贈り物だ。
打掛と同じくらいの赤の口紅、濃く長いまつ毛、豊かに輝く黒髪。
織田家の遺伝なのであろう高い鼻梁、弓を描いたような自然な眉毛や、光溢れんばかりの白い肌。
それらが晩秋の柔らかな空気に包まれている。
但し当の茶々は、お気に入りの着物が洞窟の土埃に塗れたことが不快でムカついていたようだ。
「せっかくのお着物が……なんてことなの!」
強気な語尾とは裏腹に、茶々はグラリと目眩を起こしてよろめいた。
と同時に慌てて三人の男が手を差し伸べた。
茶々は逡巡したあと、大谷の手を選んで取る。
手を取り合いながら大谷と茶々はしばし見つめ合う。
「ま、ま。順当、順当」
三成と勘兵衛がお互いの健闘を称え頷き合った。
茶々にとって三人の男の内、二人はよく見知った顔であるはずだ。
未明に突如、洞窟の外に人の足音が聞こえた時、普段は気の強い茶々でもきっと震え上がっていたに違いない。
そして見知った顔だった時の嬉しさはひとしおであったろう。
思わず抱きついてしまったほどに。
ただ彼女は、かつて夫の側近であった者がなぜこのように自分を見つけてくれたのかも、もう一人がなぜ苦虫を噛み潰したような表情をしているかは分からなかった。
――そう言えば、治部はいつも自分を見るときはこんな表情だったような……彼女は思う。
彼女……茶々は大谷にはぐらかされた、重要な問いを眉間にシワを寄せて難しい顔をしている三成に投げかける。
「治部。秀頼は?」
弾かれたように、三成が茶々を見る。
「……のちほどご説明いたします」
「はっきり言って!」
茶々の強い眼差しは曖昧な応えは許さないと語っていた。
「いないのね……」
「……はい」
三成の応えにしばしの沈黙が続く。
「ま、まずはお着替えをお持ちしました!」
沈黙に耐えきれなかったのか勘兵衛が茶々に跪き、内記から借りた着物と袴をうやうやしく差し出した。
「男物……?」
茶々は急に怪訝な表情になり、着物の匂いをスンスン嗅ぐ。
「まぁ、いいか。着物汚れるし。分かりました」
匂いテストにパスしたのか、茶々は着替えをするため洞窟に戻る。
「なんで、こんなとこに居たんだ?」
三成は茶々が洞窟に入ったのを見送り、急いで大谷に小声で話しかけた。
「茶々様が? 知らないよ」
「茶々様じゃない。お前がだよ」
「……」
「隠してることがあるなら、言えよ」
大谷が口元で両の手の長い指を組んだ。
「以前、俺が『この世界にみんなを呼んだのはお前だ』と言ったのを覚えているか?」
「確か大垣に戻った頃、そんなこと言ってたっけかな」
大谷は何か口ごもり、言いにくそうにしている。
「……実は本当にお前がこの奇妙な世界を作ったのではないかと疑っていたんだ」
「俺が……まさか!」
三成は思わず吹き出す。
「俺が作ったのだったら、俺にとってもうちょいイイ感じに作るわい」
「フフ、確かに……」
大谷も微笑んだが、すぐに真面目な顔になる。
「ただお前の内府への怒りと、豊家を護りたいとの執念が創り上げた世界なのかと思ったのだ」
大谷は口元で指を組んで目を伏せる。
睫毛の影が頬に差した。
「だから、隣の石田村とこの伊吹山の洞窟には何度か通っていた」
石田村は三成の出生地であり、馴染みの土地である。
伊吹山の洞窟は関ヶ原から逃れて潜んだが、田中吉政の家来に捕まりあえなく縛についた地である。
「何度か?」
「ああ……お前の想いが残る場所だろうから、何か秘密があるかもしれないと。
お前は知らなかっただろうが、この洞窟はもっと奥の方まで続いている」
「そうなの? 知らなかった……」
知っていたらワンチャン逃げ切れたのに。
「狭くて入れないが、奥に続く空間がある。当時と地形が変わった可能性もあるけどね」
三成も口に手を当てて思案する。
「何か……ここは特別な場所なのか?」
「ここ最近は五助だけを連れて、現代に通じるかもしれない抜け穴みたいなものを探してた」
「抜け穴? そんなものあるのか? 見つかったのか?」
大谷は頭を振る。
「いいや……何も。でももしあったとしたら東軍より先に見つけないといけない。
この世界の仕組みを、あちら側より先に見つけなければ危険だ。
あのな、まだ何も分からないが、ただ不思議なことはあって……」
そこへ小姓の格好をした茶々が現れた。
「……か、可愛い」
あまりの衝撃に勘兵衛の脳内の感想が口をついて漏れている。
肩口までの黒髪を紅い紐で縛りポニーテールにしている。
地味なブルーの色合いの小姓の格好が華やかな茶々の容姿と相まって、似合う。
茶々は袖を持ってその場で一回りした。
「これで良い?」
大谷が茶々の手を引きながら伊吹山を降りていくと、大谷家忠臣・湯浅五助が馬を繫いで待っていた。
普段から寡黙な五助は茶々に目もくれず、キビキビした動作で馬を用意する。
「茶々様、お馬には乗れますか?」
大谷が優しく問いかける。
「子どもの頃に乗馬経験はあるけど……ひとりでは無理かも」
「勘兵衛、茶々様と一緒の馬に乗ってくれ」
「せ、せ、せ、拙者がですか??」
「俺は治部と話があるのでな」
勘兵衛はロボットのようなぎこちない動きで馬の手綱を引き寄せ、茶々を馬に乗せようとした。
勘兵衛の差し出した手を躊躇なく踏んで、茶々が馬に跨る。
勘兵衛がそのすぐ後ろに乗ったが、身体が触れないように身を固くしている姿が可笑しい。
茶々が後ろを振り返り、不安げに大谷の様子を見つめている。
「お姫様にずいぶんと懐かれたな。このモテ男が」
三成は既に騎乗している。
大谷も颯爽と馬に跨る。
「彼女も不安なのさ……自分の身に何が起こったのかまるで分からないのだから」
「大坂城から飛ばされて来たってことか?」
「そのようだ」
「記憶は?」
「現代の記憶は乏しい。過去は大まかには覚えているそうだ。
この世界のだいたいの様子は話している。
今のところ、他の女性の姿は見えないとか……話している内にご機嫌ナナメに」
「そりゃぁそうだ」
馬で山裾を下りながら、三成は一昨日の夜から起きた杭瀬川の番屋襲撃事件について事細かに話した。
「俺もお前の見立ては間違っていないように思うぞ」
他国の哨戒機が領土侵犯を行うように、挑発、もしくは圧力をかける目的だろう。
「ただ、宇喜多中納言の言うことも一利ある。喉元に一発、というのは出来過ぎてるな」
一瞬、大谷の目が険しくなる。
「相手方には命を奪うことに躊躇しない、狂人が潜んでいるのやも」
「狂人……」
福島正則、細川忠興、小早川秀秋、浅野幸長……脳内に三成への憎々しげな表情を浮かべた凶暴な顔が次から次へと浮かんでくる。
「候補が多すぎて……皆目見当がつかないな」
悪路を馬に揺られながらも、三成は眠たげにあくびをした。




