第205話 何の因果かわからない!
「ヴゥゲェェ゙ェェェ」
井伊直政が青白い顔を益々青白くして、胃の内容物の全てを海に吐き出している。
「大丈夫ですか?」
島左近が心配そうに背中を擦る。
ビクッとして直政は左近の顔を仰ぎ見た。
「大丈夫……じゃない」
何故だ?
何故……何の因果でこんな奇妙なメンバーでイカ釣り漁業船に乗り込まねばならないのか……。
直政はグルグルと回る視界に戸惑う。
大型イカ釣り漁業船に乗り込んでいるのは、精鋭50名。
いづれも歴戦の兵である。
――井伊直政。
若くして徳川四天王の一人。
徳川家康からの寵愛目出度く、むさい男共の中に突如舞い降りた、関ヶ原に咲くイケメン貴公子……のはずである。
飛ばされて来た時、直政は思った。
容姿・頭脳・身分揃って……転生先としてはトリプルA。
直政は前世では関ヶ原の後……矢傷が原因ですぐに命を落としてしまった。
これから、再び生き直し、上様と共に泰平の世を築くのだ。
前世で叶えられなかった思いを遂げるのだ、と。
なのに、何故?
直政が回らない頭でいくら考えても分からない。
そして定期的に来る吐き気……。
こんなはずではない。
自分が憐れに思える。
どうして、こんな目に遭わなければならないのか。
どこの誰でもいい。
合理的な説明を求めたい。
――ムカつく。
船酔いで青くなった顔で空を見上げる。
真っ青な空に白い雲が浮かんでいて、目に眩しくて涙が溢れる。
それもこれもあの男のせいなのだ。
あの男……石田三成。
アイツさえ、始末しておけば忌々しい瀬名姫が家康と邂逅してしまうことも無かった。
家康が三成とともに五条川に飛び込むことも無かった。
「ウチの殿と関わったからですよ」
直政はハッとして声の主・島左近の顔を見る。
戦国武将らしい、武骨で引き締まった表情をしている。
「へっ?」
「殿と関わると、ろくな目に合わないんですよ」
深い眼差しで直政を見下ろす。
こいつはエスパーか。
島左近は何度かウンウン、と頷いた。どうやら励まそうとしているらしい。
「神島まで、あともうちょっとですから頑張ってくださいね!」
傍らの村田新左衛門が小さくガッツポーズをして寄越す。
何なんだ? こいつらは。
どっから湧いて出てきたのだ……村田? 何で上様の側近みたいな顔してるんだ?
「実際、村田きゅんは内府の側近でしたからね!」
左近が直政の頭の中を見通したがのように言う。
もしかして、島左近はエスパーなのか?
今朝のことである。
イカ釣り漁業船の朝は早い。
まだ空が白んでる間に集まった男たち総出で舟を出す。
その巨大な舟は敷いた丸太を軋ませながらザブンと海に入った。
新木の匂いをさせながらポッカリと水に浮かふ舟に意気揚々と直政は乗り込んだ。
「我ら『特別救助班』が上様をお救いいたす! 各々抜かりなく!」
直政は下知を飛ばした。
舟の漕ぎ手を含めた精鋭50名の『別班』の見送りには伊奈図書と戸田内記、石田重家が来ていた。
重家は直前まで乗りたい、と愚図った。
「お願いです! 私も乗せてください! 必ずお役に立ちますので!」
十歳ほどの小さな子どもが涙を浮かべながら訴えるのを見ると……敵方とはいえ、心は揺さぶられるものだ。
「ダメでーす! 若殿はお留守番でーす!」
重家はブンブンと短い腕を振り回すも、左近が余裕の笑みで頭を抑えている。
マンガみたいだ。
そんなこんなで、舟はまずは神島付近に向けて出航した。
神島から遥か沖合……その場所へ救助に向かうと決めたのは村田新左衛門である。
無線のやり取りから、なんと方位磁石と北極星の位置だけで推察したらしい。
家康と三成。
二人が流れ着いたのは、そもそも日本地図には記載が無い島の可能性が高い。
湾内をくまなく探しても見つからないはすである。
神島が近づいてきた。
神島からは愛知県の伊良湖岬が大きく近く見えるはずである。
関ヶ原に飛ばされて以降……地理もところどころ変わってしまった。
突出部の渥美半島は半分くらいがざっくり無いのだから。
今は形状は島の形をしている。
日本地図に親しんだ者にとっては、地理的にたいそう衝撃的な姿である。
「うう……気もぢ悪い……」
「義理父上様、お水お持ちしました」
朴訥とした青年が竹筒の水を差し出す。
父親に似た円な瞳が可愛いらしい。
徳川家康の跡取り息子・松平忠吉は、直政の娘婿である。
まさしく掃き溜めに鶴。
心根も素直で文武両道。
出来の良い婿殿の顔を見て直政は安心する。
因みに初姫との婚姻に元舅としてはちょっとは複雑な思いがしたが、初姫の後見人である大谷刑部が頭を下げてきたこともあって直政は気持ち良く受け入れていた。
大谷刑部については第一印象こそ良くはなかったものの、その後の交流で、信頼のおける男との評価を直政は下している。
直政は筋を通す男は好きなのである。
その大谷刑部は陸に残った。
この舟には、味方は他に……成瀬正成が乗り込んでいるが、直政自身はそれほど正成と絡んだことは無い。
かの国宝・犬山城で有名な犬山藩初代藩主として知られる成瀬正成は幼少期から家康に仕えた、いわば生え抜きである。
風貌は細面に無精ひげ……粗粗しい目つきはどこぞの海賊みたいだ。
関ヶ原本戦では伊奈図書と共に、根来百人衆を指揮。
鉄砲隊の統率にかけてはピカイチの逸材である。
その正成が選りすぐった鉄砲隊と、石田三成と島左近が領内・国友村で作らせた大筒を舟に乗せている。
「ドラゴン退治かぁー! 胸がワクワクしますよね!」
島左近が楽しそうにハシャイでいる。
直政にはそのテンションがさっぱり理解できない。
「……兵部様。船酔いにはなるべく遠くを見るのが良いらしいですよ」
小さな子どもが甲板に這い出して目の前に、いる。
「は? 何で??」
上半身を起こして直政はあんぐりと口を開ける。
「てへ! 長櫃に隠れて付いてきちゃいました!」
――血は争えないものだ。
直政はある意味、感心した。
石田三成の無駄に行動力があるところを……この嫡男は受け継いでいるらしい。
「あ! 嘘でしょ! 若殿! 付いてきちゃったの??」
島左近の大袈裟な喚き声がひどくグラグラする直政の脳内に響いた。
◇
ハイ! アツコ!
突然でビックリさせてしまったかも。
わたしの名前はヴィクトリアといいます。
遺伝子の検査、やってみたのだけど!
なんと、あなたと血縁がとても近いと判明したの!
わたしはカリフォルニア出身であなたは日本人なわけだから……びっくりしたでしょう?
でも、わたしはあなたの写真を見て、これはわたしのきょうだいなんだ!
そう確信しました。
下手な日本語でゴメンナサイ。
でも、あなたにすぐに伝えたくて、こんなメッセージを書いてます!
わたしのお母さんは日本人です。
だから日本のことは大好き。
きっと今は、時差があって、日本は夜中ですよね。
返信は気が向いた時で構わないです。
迷惑だったら無視をしても構わないです。
でも会って話をしてみたいです。
わたしのたった一人のお姉さん、アツコ。
連絡をください。
いつまでも待ってます。
ヴィクトリア・K・レフチェンコ
コペンハーゲンの夜の町が窓の外で深く沈んでいく。
代わりにホテルの窓には、明るい部屋の内装と安藤幹夫がパソコンに向かう真剣な表情が映し出されている。
本郷真美子はシャワーを浴びたあと、バスローブ姿に着替えるとふざけて安藤の後頭部に頬を寄せた。
「篤子さんは、ヴィクトリアさんに何て返事をしたの?」
くすぐったそうに、安藤は振り返る。
「うーん……会いたいけど、今は会えないって」
Fac◯bookのやり取りでは……その後も二人は交流していて、篤子が英語で返したり、ヴィクトリアが娘・ナターシャを紹介したりして、親密な微笑ましいやり取りが続く。
この後、篤子は突然の杉山光男からのメールによって、ヴィクトリアと久世弓子の家族に深く関わることとなる。
時系列的には、この時篤子は……既にヴィクトリアと姉妹であることを知っていたことになる。
「篤子さんの勤めていたナガイ総合研究所は……確か遺伝子の研究所だったわよね」
篤子はかねてより自分のルーツを探していた。
ナガイ総合研究所の本社はアメリカの遺伝子検査サービスを展開している会社で(なりやすい病気を検査するのが主力サービス)、そのサービスの一環でDNA Relatives(親戚検索システム)というとのがある。
篤子は母親の君枝からはルーツを聞くことができなかった。
当然、このサービスに登録しただろう。
同じように登録したアメリカ人のヴィクトリアからメッセージが送られて来たのである。
「ヴィクトリアさんは……今、どこにいるの? 結局、篤子さんとは一度も会えていないのかしら?」
「弓子さんによるとヴィクトリアさんは、イヴァン・レフチェンコ氏と世界を回っているらしい。彼女とレフチェンコ氏はかなり上手くいっているそうなんだ」
母親である弓子より、レフチェンコと共にいる。
そのことを語る弓子は少し寂しげだった。
「そんな世界的に有名人のイヴァン・レフチェンコを捕まえられるの?」
「たぶん……大丈夫! 今まで、不思議なくらい都合良く導かれてきたのだから、今度だって」
安藤は全く心配していない。
必要な時に必要なタイミングで、情報は降りてきてくれたし、鍵となる人物は現れてくれたのだ。
右往左往せずとも……ドンと構えていれば良い。
「うーん……不安だわぁ」
安藤は真美子を膝に乗せて引き寄せた。
「焦らずとも大丈夫だよ。真美ちゃんは何も心配しないで、僕に任せといて!」
そうドヤ顔で言い放った言葉を後々、安藤は後悔することとなるのだが。
この幸せな夜に、二人は知る由もなかった。




