第203話 戦場に架ける橋はない!②
秀家が狙いを定めた弾丸は、敵方の兵士の胸元を貫いて血とともに弾けた。
奥に控えた味方から弾丸の込められた火縄銃を渡されて再び狙いを定めて、引き金を弾く。
今度も敵方は後方にバタリと斃れた。
手応えを感じたが、やがて塹壕に辿り着く者が増えてきた。
恵瓊が槍先を突き出し、応戦する。
秀家は傍らの島形児文字の馬印を手に、塹壕を飛び出した。
「八郎!!」
秀家の通称を呼ぶ恵瓊の悲鳴が、背中越しに聴こえる。
「大将が逃げたぞーー! 追えーー!」
敵方が声を張り上げる。
秀家は馬印を低い位置に掲げながら、しかし、敵にはハッキリと見えるようにして、大垣城への道を全速力で駆け抜ける。
障子堀になっている場所まで身を低くして直走りに走った。
――ひゅん!!
途中、弓矢が耳を掠めた。
秀家は振り向かずにそのまま突っ切った。
敵方は秀家に釣られて、堀切に流れ込む。
「大将が逃げるぞ! 捕まえろ!」
全速力で走り切った秀家は堀切に予め作った、枯葉で覆った縦穴に身を滑り込ませ息を潜める。
傍らに既に隠れている宇喜多家の近習と目が合う。
万が一、秀家に襲いかかる兵士がいたら身を挺して防ぐ役割である。
あどけない顔の鼻下に汗をかいている。
秀家は息を整えた。
「待て!! 止まれ!! 罠だ!」
敵方の悲鳴がこだました。
きっと土塁と木々に隠れていた兵士たちが一気に顔を出した頃合いだろう。
この堀切に引き込まれた敵軍に、逃げ場はない。
数十秒後、一斉射撃の轟音が響いた。
うめき声が聞こえて……そこへ容赦なく、弓矢が放たれる音がする。
秀家はまだ暗い穴の中で口を押さえながら息を潜めている。
数分、経っただろうか……銃声が途絶えてから、傍らの兵士が二、三度大きく頷いた。
まずは兵士が恐る恐る穴から顔を出した。
秀家に手を貸し、そのまま引き摺り上げる。
敵方の兵士たちは大勢が既に斃れて、動かなくなった者が大半だった。
「やったのだ……」
秀家は片膝を付いて大きく息を吐く。
戦場はあまりに無情だった。
しかし、殺らなければ殺られていた。
既に引き返せない命のやり取りに段階は移行したのだ。
それでも、秀家は胸に湧き上がった熱さを隠しておくことは出来なかった。
秀家は眼差しを天に向けて、白い歯を見せた。
「私は勝ったのだ。南無八幡大菩薩、我が日の本の神々よ……私はついに、やったのだ……」
◇
伊吹山の「特別指定洞窟」の直ぐ側には、特設の小屋が建てられている。
詰めているのはEWCI(東西合同伊吹山連絡会)役員である、藤堂高虎、細川忠興……そして、大谷刑部に無理矢理推されて捩じ込まれてしまった小西行長である。
伊吹山の山麓は、毛利宰相こと毛利秀元と、細川・藤堂の両軍が護っている。
東軍の主力部隊が結集しているため、瀬名姫軍は手も足も出ないであろう。
行長は横目で細川忠興の彫りの深い白い顔を盗み見た。
思慮深い目をしていて、額と鼻の中腹に刀傷が無かったら、どこぞの大学院生といった雰囲気である。
まさに呉越同舟……細川忠興の不気味な沈黙に、行長の背中はムズムズしてくる。
「……妻は」
いきなり忠興に話しかけられて、行長はびっくりして肩を大きく揺らした。
「そなたの造った堺のキリシタン墓地に埋葬した」
「……さ、左様でしたか」
だからと言って何も応える言葉は出ない。
でも、ガラシャ夫人は行長同様熱心な信者で……彼女が生前身を捧げた宗派で葬儀(追悼ミサ)を二度に渡って執り行った忠興は、確かに彼女を深く愛していたのだろう。
そんな忠興に何か気の利いた言葉をかけたくても、かけた台詞によっては突然斬りかかってきそうで、コワイ。
(なんてことに巻き込んでくれたんだよ。紀之介)
行長は心の内で大谷に恨み言を言って、人知れず小さくため息をこぼす。
そこへ斥候が小屋に入ってきた。
斥候はガシャンッと音を立てて跪く。
「お味方、お討ち死に20名!」
行長は立ち上がり、固唾を呑んで斥候の紅く上気した頬を見守る。
「敵方、討ち死に250余名! お味方の圧勝でございまする!!」
行長は思わず脱力して……椅子に身を預けた。
「……見事!」
膝を叩いて唸ったのは藤堂高虎である。
「中納言殿か?」
忠興が高虎に感想を尋ねる。
「いや……もちろん、宇喜多中納言も素晴らしかっただろうが……やはり、大谷刑部であろう」
作戦の立案は全て大谷刑部である。
高虎は興奮状態で言葉を続ける。
「まずは大将首をちらつかせ、手柄に逸る敵方に獲物を見せつける。
そこから、罠に一気に引き込んで渡ってきた者から殲滅する。
敵方は勢いを封じられる」
秀家を前線に出すことには……作戦会議は大いに紛糾したが、秀家自らの志願したことと、大谷刑部がそれを後押ししたことで決定した。
安国寺恵瓊などは最後まで反対していたから、影武者も用意していた。
「まさしく……今まで、幾度も弱腰とも取られかねない戦争回避の協議を続けたことが……相手方の油断を招いたのだ。
瀬名姫の軍勢は、西軍はこの期に及んでなおも腰抜け揃いと見くびって、大した作戦や考えも無く突入……そうして戦場に引きずり込んだことが成功の大きな要因であった」
油断大敵である。
いつの時代も……弱腰、臆病者、と相手をナメてかかるから、手酷いしっぺ返しを受けるのだ。
「それは、確かに見事。だが、今後はこんな罠は通用しないぞ」 忠興は腕を組んで高虎を睨みつけるようにして話す。
罠は大垣城に至るまでいくつも仕掛けられているだろうが……いつまでも通用するものではない。
相手だって学習する。
瀬名姫軍も、このままで終われないであろう。
「第二陣、第三陣、と渡ってくれば……押し通されるかもしれぬぞ」
高虎は顔を横に振った。
「なによりも初戦が大事だったのだ」
瀬名姫が裏工作をしていることは高虎の耳に入っていたから、もう少し工夫があるかと思っていた。
先に支城を抑えるなどの策を弄してきたものの、こちらははじめから大谷刑部には読まれていた。
「第二陣、三陣は……初戦を勝てたら自然と瀬名姫の軍勢へと合流する者が増えて、大きなうねりとなったであろうが。
やはり、初戦を落としたことで、瀬名姫軍首脳陣の不足を露呈したのだ。
思ったより、兵は集まらぬであろう」
確かに第一次揖斐川合戦は、高虎の読み通りこれにてしばらくは幕間となるであろう。
行長は安堵して胸をなで下ろした。
小屋の外でガヤガヤという声が響く。
行長は暗い小屋から、既に陽が高く昇った明るい場外へ出る。
夏の日差しで、クラクラと目眩が起こりそうだった。
「……ち、うえ!」
小屋を出たところでいきなり小さな子供が、行長に縋り付く。
「父上! もう、二度とお会いできないかと思っておりました!!」
子供の温もりに……行長は震えた。
――まさか。
「父上! 父上! ルカはお会いしとうございました! このような僥倖……まさしく、神の御業! 信じられませぬ!」
「……ルカ?」
行長は再び自分の息子をこの手で抱くことができるなど思わない。
熱く細い首筋を恐る恐る触って……子供の顔をこちらに向けた。
まさしく……息子のルカである。
目に涙をいっぱい溜めて……行長を凝視している。
「ルカ!」
行長は屈んで必死に小さな身体を抱きしめた。
嫡男だった11歳のルカは……大坂城で毛利輝元によって処刑される運命だった。
「……父上、私はヨハネを置いてきてしまいました」
行長は朝鮮の孤児を養子にしてルカと双子の兄弟ように養育していた。
ヨハネはまだ大坂城にいるという。 ヨハネもまた、このまま大坂城にいれば……毛利輝元によって首を刎ねられる運命である。
「このままでは……ヨハネは輝元めの毒牙にかかりまする! 父上! ヨハネを救わねば! ヨハネを助けてやってください!」
ルカは行長に縋り付いて訴えた。
小さな拳が行長の襟元を掴んだまま震えている。
「この度のように戦争を起こせば、すぐさま飛んでくるであろうよ」
嘲笑めいた乾いた声が頭上から響いた。
「おぬしらの家族は……西軍の兵士をコマみたいに犠牲にすれば大坂から飛んでくる。
まさに、おぬしら西軍の権力者にとって随分と都合の良い仕組みじゃのう」
細川忠興の冷徹な視線が行長に突き刺さる。
「おぬしらのための世界か……ここは。堪らぬな」
「……」
忠興は大きな足音を立てて伊吹山を降りていった。
――おぬしらのための世界。
そうじゃない、とは言えなかった。
行長はルカの小さな身体を掻き抱く。
行長はそれでも……再び舞い戻ってくれた大切な温もりを離すことが出来なかった。




